伊勢参宮道で伊勢詣り Day1の7 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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10月3日(火)~6日(金)の伊勢詣での旅、初日(10/3)の旅模様その7です。この日はたぶん寄り道併せて30㎞前後歩いたと思います。


ガイドブックは前回の善光寺街道から引き続き『ちゃんと歩ける伊勢参宮道 善光寺街道』。

 

今回は準備時間が少な目だったので、地図の見どころポイントの記録は大幅にカットしてます。

 

その6では鈴鹿市内の彌都加伎(みずかき)神社で、神社にお勤めのきれいなお姉さんの笑顔に浮かれて道を間違えた後、菅原社で牛に願いをかけたところまでをご紹介しました(↓再掲)。

 

菅原神社の先でもS字状の街道らしい上り坂がしばらく続きます。

 

クルマの整備工場ですね。何か見覚えのあるキャラが見えているような、、

 

ややっ、あなたは!!50年前から子供たちが代々お世話になっているドラえもんさん!!

 

ドラえもんさんのいらした辺りが坂の頂上だったようで、その先から下り坂に転じます。

クルマが見えない時をなるべく狙っていますが、やはりクルマ通りは多し。

 

「魚森」、、魚屋さんだったのでしょうね。すごく古い建物って訳ではないですがシブいなあ。

 

坂の途中、街道右側にあるこちらの石標は、この地域で米作者に新しい米作りの技法を指導した水原政次さんの彰功碑なんだそうです。

 

街道左側はかなり深い水路になっていて、My橋と言えどもなかなか壮観!元々はかなりの水量があったものの、そうではなくなったので、水路の底に排水路を築いたような構造です。

 

その先で近鉄名古屋線の踏切を渡ります。そろそろ白子(しろこ)の街に入るはず。

 

渡った先では、街道の進路は右折なのですが、その前に左側に見るべきものがあるので、まずはそちらに寄り道します。まずは北の端地蔵堂と呼ばれる地蔵堂で、鎌倉時代造立の六體地蔵菩薩が安置されているとのこと。

!今気づいたのですが、画面左側に写っている茶色の壁の家、の足元の石標には何か字が刻まれているように見えます。オリジナルサイズでも見てみましたが読めませんでした。

 

で、こちらがその地蔵堂です。

「北の端」地蔵堂と呼ばれるだけあって、ここが次の宿場、白子宿の北側の入口に当たります。

 

その地蔵堂の道路向かいには、役行者をまつったお堂がありました。

奈良の大峰山でも修業をしたと言われているので、比較的地理的に近い三重県でもこうして祀られているのかなと思います。と、愛知県豊田市の私の実家にほど近い崖下にも役行者を祀った祠のようなものが小さな山にありました。

 

あっ、私が中学生の頃に流行った「幻魔大戦」というSF小説の続編というかパラレルワールドの話に当たる「真幻魔大戦」( 中学生が読むにはややエロかったです)では、「幻魔大戦」の主人公である東丈(あずまじょう)の前世として書かれていたのを思い出しました。

 

などという回想はここまでにして、白子の宿場に入って行きます。

 

白子の街並みの特徴は家の並び方がギザギザ(道路スレスレだったり、引っ込んでいた)であることで、ガイドブックにも「敵の侵入に際し、身を隠し迎撃する工夫であった」とありますし、疑いはしませんが、普通の街でも意外にギザギザしていることも多いので、「ほほぅ!」とか言って感心するには至らなかった感じです。

 

その先で街道は桝形に差し掛かります。補助線を描くまでもなく分かりやすい桝形ですね。

 

この桝形を最初に左折したところでそのまま街道から外れて左奥にずんずん入っていくと、江島若宮八幡神社の脇参道の入口があるのでそのままお参りに行きます。

 

こちらがその八幡神社。丁重にお参りした後、石の壁のへりに座らせて頂きちょっと休憩!

 

いや~、やはり1年ぶりの30km歩きはちょっと堪えますね。ということで早めにエネルギー補給!こんな時はエネルギーの塊、羊羹ですよ!昨夜ファミマで買ったものです(*´∀`*)。

 

休憩したら街道に復帰します。ここから先はかなり見ごたえのある建物が続きました。

のっけからかなり風情があります。

 

うーん、いい建物ですねえ。隣で見切れている看板建築の商店もなかなかの年季。

 

 

その先で道路が細くなりますが、その地点の街道右側にはこんな解説版がありました。小笠原氏の屯所(とんじょ:≒駐在所)があったんですね。

解説版のみで遺構的なものは特に残っていませんでした。

 

こちらは一階・二階の連子格子と、二階の黒漆喰+袖壁が渋い!

 

いいですねえ、白子宿。ちなみにこの伊勢詣での旅では最後まで連子格子、袖壁、それから厨子二階が建物のキーワードでした。

 

おおっ、これは連子格子に、虫籠窓、小さいけど袖壁に加えて高さ的に厨子二階というフルスペックですね。一瞥して軽く震えがくるほど素晴らしい!伊勢参宮道、最高!

 

この虫籠窓の素晴らしい旧家の玄関わきにあったのがこちらの縦看板。

「伊達家 油屋 忠兵衛」!軒下の構造もカッコいいなぁ~!

こちらは廻船問屋と油商を営んでいた家で、築百年の文字通りの100年住宅なんだそうです。

 

こちらもフルスペックの古民家!ハイレベルな古民家が次から次へ登場します。こちらは紀州御仕入荷物扱 を務めた河合家であるようです。

いや、本当にこの街道にしてよかったなあ( ;∀;)。一年間にわたる「街道不足」がすーっと解消されていきます。

 

その先で右折→左折の桝形。奥の左折ヶ所の外側が高札場跡だったそうです。

 

よく探してみると案内板がありました。

 

桝形の先に「白子東町 公園」があり、↓の写真のすぐ右横には、、

 

旧河藝(かわげ)郡役所です。明治の世の中になって県政が敷かれてから、ここに郡役所が置かれ、群制の廃止後も事務所や家事裁判所などになったものの、昭和の火事で敷地と松の木がけが残ったので公園になった、と案内板にありました。

 

白子に入るなりクライマックスがやってきた感じですが、この続きはその8でご紹介します。