10月3日(火)~6日(金)の伊勢詣での旅、初日(10/3)の旅模様その8です。この日はたぶん寄り道併せて30㎞前後歩いたと思います。
ガイドブックは前回の善光寺街道から引き続き『ちゃんと歩ける伊勢参宮道 善光寺街道』。
今回は準備時間が少な目だったので、地図の見どころポイントの記録は大幅にカットしてます。
その7では、白子宿で、百年クラスの古民家が次々に登場し、喜びのダンスを踊りたいくらい嬉しい気持ちになった後、桝形を通過し河藝郡役所跡の説明版をしげしげと眺めたところまでをご紹介しました(↓再掲)。
郡役所跡から少し先に進むと「大徳屋長久」という、享保元年(1716)創業の菓子屋があります。「小原木」という銘菓の店で紀州藩御用達の菓子司を勤めたんだそうです。
今は現代的な店舗になっていました。
こういった感じの、リノベした古民家が見放題な宿場です。
やがて白川という小さな川を和田橋で渡ると、そのまま左折→右折の桝形を通過します。
上の写真にもちょこっと写っている川沿いにあった床屋、今は廃業してしまった様ですが、なかなかシブくて激写しました、
床屋の先で桝形の左折をすると酒屋の前に自販機があったので、ここでスマホを出してアプリCoke-Onでもらえたチケット=タダ券(1本買うとスタンプ1ケ、15ケでチケット1枚)を利用してリアルゴールドなどを飲んだら、、
そのほぼお向かいにある久留真(くるま)神社に立ち寄ります。
こちらの神社、「クルマ」という響きから、何と鈴鹿サーキット関係者の信仰が厚いんだそうです。事故が起きると人命に関わる職場ですから、そうした事もあるんでしょうね。
さらにそのすぐ先で再び左折→右折の桝形がありますが、最初の左折部分に唯信寺というお寺があったので、お参りに立ち寄り、ついでにお手洗いをお借りしました。
神社には少ないですがお寺には意外とお手洗いがあるので、それが目的じゃありませんが、こういう時には助かります<(_ _)>。
で、同じ桝形の左折部分に黒壁の古民家がありますが、その前に道標があります。
指差し式の「☞さんぐう道 ☜神戸四日市道」と読みやすい文字が刻まれています。
横の説明版によると、ここの道標は昔からあるものの、再三再四倒されてしまったので、昭和十二年に和田家の人が立て直したら、またしても倒されてしまったので(!)昭和30年代に、3mあった道標を2mに縮めて、立て直したんだそうです。・・何をしたらそんなに道標がバッタバッタ倒れるんでしょうね(;´・ω・)。
こちら(↓)道標の建っているところにある古民家。例によって連子格子が見事。
さらにその先、街道左側の民家庭の前の説明版には「この辺りに同心屋敷が、街道両側にそれぞれ五軒ずつくらいあった」と書かれていました。
さらにそのすぐ先の街道右脇には、目付役人が詰めていた役所跡の解説板がありました。俸禄200~250石というと、大名になる最低条件の1万石の40~50分の1くらいなので、まずまずと考えてよいでしょうね。
余り禄が軽いと、役人としての権威にもかかわるでしょうし。。
もうちょっと晴れてくれると写真はきれいになりますが、この日は25℃を超えて割と暑かったので、この日の目的地の津まではまだ随分あることを考えると、日の光が厳しいよりはマシなだったろうと思います。
渋めの民家はもういくらでも街道沿いに見られる状態。
Googleマップの「伊勢街道」の記載は直進とされている↓の個所ですが、ガイドブックでは右折をすることになっており、また右折方向に名刹もあるので迷わずそちらに進みます。
右折するとすぐ視界に入り、どんどん大きく見えてきたのが、突き当たりにある子安観音寺の仁王門です。すごい立派!
こちらは高野山真言宗の寺院で、聖武天皇の勅によって、藤原不比等が建立したとされる古刹です。街道を歩いていると、見かける歴史遺構が江戸はもちろん鎌倉時代や平安時代に遡ることはありますが、飛鳥時代生まれの藤原不比等建立ときましたか。
ちなみに入口の仁王門は三重県の指定有形文化財です。
例によって門を額縁的に使わせてもらい境内を激写します。
こちらの銅の燈篭や、
三重塔は「智慧の塔」と呼ばれる、地方で唯一の純木造三重塔で大日如来、文殊菩薩、普賢菩薩の三尊が祀られているそうです。
滅多にお目にかからないくらいの古刹に敬意を表して丁寧にお参りします。
ご本尊は白衣觀音。
丁重にお参りしたら、子安観音寺に隣接した比佐豆知(ひさずち)神社にも併せてお参りします。
寺社が多すぎてお賽銭の小銭が無くなってきた(^-^;。
ここからは、「七曲り」とでも呼びたくなるくらいに曲がり角が多く、そのせいか都度丁寧に道標が設置されていました。こちらは「右 さんくう道 左 くわんおん道」(右参宮道、左観音堂)
道標に従ってここを右に曲がります。
ホントにここ街道ですか、ただの住宅街じゃなくて?的な道を進んで行くと、、
左折だけ可能な丁字路にポツンと小さな道標ありました!
こちらも正しい指示で「左 いせ道 右 くわんおん道」とあります。
道標を設置した頃から、ちょっと順路を間違えやすかったのでしょうね。
飛鳥時代にまで遡れる古刹と多数の道標を目にしてすっかり満足な状態でさらに津を目指して進みますが、この続きはその9でご紹介します。
ということで続きます。