今は昔 昨年の10月8日(土)に善光寺街道歩き旅の第2回として、上田から屋代までの区間を歩いた旅の第二弾、その9です。
当日の歩行ルートは↓。
街道復帰までの道のりや寄り道なども含めて歩いた総距離は23.5km前後だったようです
ガイドブックは山と渓谷社の『ちゃんと歩ける 伊勢参宮道 善光寺街道』です。
その8では新地の集落で体力回復のために買った缶コーヒーが、当時娘のお気に入りだった「東京リベンジャーズ」とのコラボデザインだったところまでをご紹介しました(↓再掲)。
ドリンクを飲んでいる「ふれあい広場 ショッピング いいじま」の正面には不思議な建物が!
「慶応塾」って書いてあります。ぱっと見た感じ廃業した喫茶店みたいな気がしますが学習塾なのか、それとも「慶応塾」という看板を単にオブジェとして持ってきただけなのか、、しばしググってみましたが手がかりが見つからず「慶応塾」と覚えておくことにしました。
因みにストリートビューを使って「慶応塾」の側面を見るとこんな(↓)感じでした。
入口も無いし喫茶店という訳ではなさそうですが、左の方の凝った明かり取り?の窓やそのすぐ右の障子の感じといい、真ん中近くに「バッハの???」という看板も架かっているので、私的なアトリエ(兼時々音楽教室?)といったところでしょうか。。
「ふれあい広場 ショッピング いいじま」と「慶応塾」のすぐ先には東から西に流れる谷川という千曲川の支流が流れていて、西方向(↓)に「こんもり」と聳える山の手前で千曲川に合流しています。
正面方向にも山が聳えています。
谷川を渡ったすぐ先(川沿い)の右側に往海玄古碑という石碑があります。これは、江戸時代初期にたばこ栽培を始めて「玄古たばこ」というブランドを展開した往海玄古を記念したものです。
表側には「往海玄古 主庵」
裏面はちょっと見づらいですが、「たばこがんそ 埴科郡 横尾村」と刻まれているそうです。
埴科は「はにしな」と読みます。
更に上の写真で奥に見えている消防ホースの格納庫の脇には道祖神があったので、こちらも激写。
暫く進むと街道は下り坂に差し掛かり、前方の山がよく見えるようになりました。Googleマップで見る限り鏡台山という山ではないかと思います。
小さく写っている自転車のおばさんは、自転車の片側のペダルの上に立つような姿勢でずっと進んでいますが、普通に乗った方がラクなんじゃないかなぁ?とずっと気になってしまいました。
その先の街道右側にある稲荷神社は、社殿が小さくてかわいい茅葺きトタン被せっぽくて良いのですが、参道の階段が草深いので華麗にパスをして先に進みます。
その先で県道91号を歩道橋で越えます。歩道橋の上から下界を激写。真正面に見えている山の手前下を千曲川が流れていますが、この程度の高さでは確認できませんでした。
ん?右下に何か建物が見切れてますね。
むっ!これは、、茅葺トタン被せ屋根の古民家!正面の引戸が全部サッシになってますが、いい風情で残っています。
早く歩道橋を下りて見に行かねば!
うーん、これはよい風情ですね。
住居として現役かどうかやや微妙ですが、、、
少し離れたところから側面を撮って見ると窓越しに見える家財道具などが妙に生々しいので現役で住まわれている可能性はあるかなと感じました。
少し進むとすぐ先にまた別の茅葺トタン被せ屋根の民家が。これは向こう側から見ると全貌が見えそうですね。
こちらは向かって右(善光寺街道と間もなく交わる国道に面した)側に玄関があるのでしょうが、左下に写っているまども壊れかかっていますし、こちらは無住になってしまっているかな。
とんかつ うなぎ 丼物 そば などと書かれた御食事処 まちだ食堂はなかなか良い風情でしたが、お昼よりもずいぶんと前ですし、そもそも準備中なので入れず。
とんかつとかカツ丼が美味しい店なんじゃないかと思われたのでちと残念です。以前関西で街道歩きをされている、私が勝手に師匠とも仰いでいるブロ友さんと「街道沿いの食堂にはどうも適切なタイミングで出会えないんですよね」といったコメントをやり取りした事がありましたが、それを地で行くような展開でした(^^;)。
その先街道右側には西念寺というお寺があります。
右端に写っているのは芭蕉の句碑で「身にしみて 大根からし 秋の風」とあります。
この土地は「辛味ねずみ大根」が名産であったことに因むそうです。
参道が長いので入口付近からちょっと遙拝ぎみにお参りして先に進みます。
久しぶりに国道18号に合流します、、がクルマ多そうですね。
上の写真でトラックの後ろに隠れてしまっている大きな敷地の家がこちら(↓)。1分以上粘ってこれが一番クルマが少なく撮れたカットでした。薬医門のある立派な家です。
そして同じく2枚上の写真で右端に見切れていた建物がこちら(↓)。
二階の右端はサンルームか何かですかね。ベランダの上の大きな軒下の塗装というか材料が剥がれてぶら下がってしまっています。
その先で街道右側に入ったところにあるこちらは、、とてもシンプルなデザインの長屋門と言ってよさそうですね。そのまま後方の塀と繋がっています。
その先の街道右側には坂城町文化の館という施設があります。こちらは坂城町に寄贈された旧家で築山の庭園があるそうですが、、
は、入れん!扉がビタァッと閉まっています。
今、Googleストリートビューでこの場所を見て見ると、2022年10月(まさに私が歩いた月)の画像でしっかり扉が開いているので、休日は休館なのかも知れません。
この文化の館の斜向かいに見えている路地の入口にはこんな碑が。
「天領 中之条陣屋跡 入口」とありますね。ガイドブックによると「安永八年(1779)に本陣屋が設置され、明治まで約百九年間坂城五千石を支配した。陣屋井戸を残している」とあります。これは必ず見に行かなくては!
ということでこの先陣屋跡を見に行く訳ですが、この続きはその10でご紹介します。
更につづく!