果てしなく以前の昨年の10月8日(土)に善光寺街道歩き旅の第2回として、上田から屋代までの区間を歩いた旅の第二弾、その10です。
当日の歩行ルートは↓。
街道復帰までの道のりや寄り道なども含めて歩いた総距離は23.5km前後だったようです
ガイドブックは山と渓谷社の『ちゃんと歩ける 伊勢参宮道 善光寺街道』です。
その9では、坂城町文化の館の入口にあたる長屋門の斜向かいに「天領 中之条陣屋跡入口」の碑を見つけ、ダッシュでそちらに向かったところまでをご紹介しました(↓再掲)。
その路地を入って少し進むと古びた案内板がありました。
そこからこんな道を進みましたが、民家の敷地に突入してしまいこれ以上以降は発見できず。
陣屋の井戸の跡が残っている、とガイドブックにあるのでちょっと気になります。
ということでググってみたら、付近の民家の敷地にあるこれ↓がその井戸の跡のようです。
見つけられず残念!
街道に戻り進んでゆくと時折「長屋門くずれ」或いは「結果として長屋門」みたいな構造物や、
シブい民家兼土蔵的な建物や(側面のブリキ板露出がシブすぎ!)
茅葺トタン被せ屋根の古民家をリノベしたお宅などなど興味深い建物を見かけたのですが、この先であんなに最強の建築物に出会えるとはこの時まだ想像していませんでした。
街道右側にある中條神社には、先ほどの中之条陣屋にあった稲荷社が遷座されているそうですが、ちょっと、いや かなり行程が遅れ気味なのでパス!
昭和を感じる、一階の店舗と二階で少し角度についているタバコ屋は自販機営業もやめちゃったみたいでした。
こちらは何の店舗だったんでしょう。看板部分の装飾を見て当初洋品店とかを想像したんですが、それだと店舗が狭すぎますね。
ビリビリの軒先テントが残っているので、食料品、、肉屋とか魚屋だったかな。
街道右側にある「昔はけっこうカラフルでいらしたのでは?」と思われるトタン張りの古民家に妙に惹かれました。
玄関の破風がちょっとむくり気味なのも個性的です。
右端の小っちゃなスペースが何だったのかめっちゃ気になります。トイレにしちゃ道路方向の窓が大きすぎますしね。
その先で善光寺街道は国道から左に逸れる旧道に進んで行きます。
この国道とのY字分岐点の股部分には万延元年(1860)建立の善光寺常夜灯と筆塚があります。
この旧道部分はかなり以前から国道と分岐していたのか、比較的閑散とした街並みとなっています。
ん~、だいぶ山に雲がかかってきましたね。朝イチの天気予報は「晴れ」となっていた筈ですが、今確認してみると素知らぬ顔で終日曇りに変わっていました(;・∀・)。
実際の天気に合わせて後追いで変更する天気予報は困るなあ。
暫く旧道部分を進んで御堂川を渡り、、
その先で国道に合流しますが、本来の善光寺街道の街道ルートはここで今の国道を斜めに横切るように進んでいたので、信号で国道を右に渡りそちらの方に進みます。
信号を渡ると、、あれ、旧道入口の右側に何か仏さまらしきものがいますね。
あら、仏さまじゃなくて「甘泉」と刻まれていますね。こちらはここにあった、「甘泉」と呼ばれた名水を記念したもので、参勤交代の前田候も愛飲したそうです。
尚、この「甘泉」の揮毫は勝海舟の伯父にあたる男谷思孝(おたにひろたか)なんだそうです。先ほどの中之条陣屋の代官であったそうです。リンク先のWikipediaにもその言及がありますが、善政を敷いた名代官だったとされています。
道路工事でここでは枯れちゃったんですね。あたら名水がもったいない。。
水が無くなった訳ではないので、他の場所に遺したのは偉い!
旧道に入ります。ん?何か前方左側に平屋の看板建築らしきものが見えますね。
これがこの日の個人的な建物ランキングトップ賞になりました。
近くに寄って見ると、、京染を扱う、染物の玉屋! 何だこれ、すごいな!!!!!
街道筋から数メートル低い所に地面があるので、街道からは平屋ですが実際は地下からの二階建てみたいな感じなのですね。
いや、これはよくぞ残っていてくれました。屋号の「玉」の字を丸い凸型の看板にした看板建築!
興奮のあまり同じような写真を何枚も載せてしまいます(^^;)。これは坂城町さん、ぜひ遺して下さい。
店舗右端のショーケースは招き猫に造花、そしてその背後は桜色の染物でしょうね。素晴らしい店舗だった印象ですが、荒廃した印象です。
ということで大興奮することしきりになってしまいましたが、この先の坂城の宿場に入ってゆく模様は次回の記事でご紹介します。
さらにつづく。