昨年の10月8日(土)に善光寺街道歩き旅の第2回として、上田から屋代までの区間を歩いた旅の第二弾、その7です。
当日の歩行ルートは↓。
街道復帰までの道のりや寄り道なども含めて歩いた総距離は23.5km前後だったようです。
今回もガイドブックは山と渓谷社の『ちゃんと歩ける 伊勢参宮道 善光寺街道』です。
その6では、会地早雄(おおちはやお)神社で巨石の奥にある祠や神が宿っているような境内の神木を見て殊勝にも畏敬の念に打たれてしまったところまでをご紹介しました(↓再掲)。
街道=国道に戻ると真正面に山が見えます。以前にも書いたことがありますが、中山道や甲州街道で何度も見かけたこうした景色が忘れられずに今回善光寺街道を歩いているので、文字通り願ったり叶ったりを地で行くようなものです。
街道左側に見えてきたのは創業安政二年(1855)の新田醸造、「信州白樺印みそ」の老舗だそうです。
そのすぐ隣にある民家は屋根の棟があちこち曲がってます。
更にその隣、上の写真でも見えている白い漆喰壁の土蔵があるのは茶屋本陣跡。
土蔵がちょっと長屋門的になってますね。
滝沢家が務め、明治天皇がここで滞在した時の「明治天皇鼠宿御小休所」の碑が門の脇に立っています。
明治十一年(1878)の巡幸の際のもので、邸内には御膳水井戸があるとのこと。
茶屋本陣なので、ランチかカフェ休憩(言い方!)に使われる施設で、お泊りはしていないのですね。
格式の高さを今に伝える玄関の門、開いていませんが薬医門でしょうね、
何となく撮ってしまった「産業道路1号」の入口のアーチ。。交差点の名前は「ねずみ」🐭。
この道を道なりに進んでゆくと沿道に工場があるようです。
茶屋本陣などではないものの、かなり立派な門・塀付きのお宅が散見されます。lこちらの薬医門やなまこ壁のある塀は割と最近のもののようです。
土壁のハーフ長屋門と言えばいいですかね。クルマ通りが激しく道路の反対側に渡れないので、苦しい角度で激写するのを強いられます。
夕暮れ以降にこのシブい外灯が点いているのを見て見たいなあ。
これは二階の戸袋といいかなり立派な建物ですね。元々旅館でもやっておられましたか?に、しては玄関が普通過ぎますか。。
鼠橋通り交差点を越えて更に進みます。街道左側に見えた廃墟の茅葺トタン被せ屋根らしき物件は隣家の庭越しに激写するので精一杯でした。
実はこの辺り、枡形跡らしいのですが、完全に見逃していたので例によってストリートビューの術で。
枡形というかもう普通の緩いカーブにしか見えませんね。。
恐らくもう少し手前から見た↓が枡形跡の全体像なのだろうと思います。ゆるーく右カーブした後、左カーブしているように見えます。
その枡形の左カーブの途中で見えた大きく立派な古民家は局所的に明かり取り?の越屋根が乗っかっていました。
通り越してから逆サイドのアングルでもう一枚激写!
あっ、さっきの赤錆びた茅葺トタン被せ屋根、全貌が見えたんですね。「見えない」と勝手に諦めていたのでこれはお得な気分(≧∇≦)。
土蔵もあるそれなりに立派な家だったと思いますが、一定期間以上無住が続いているようですね。
木々に囲まれたような家が見えました。
その隣にあったあからさまな茅葺トタン被せ屋根の家はかなりの年代もの。こちらも道路の拡幅をした結果玄関の真ん前が国道になってしまったのでしょうね。
ある意味幽玄な風景と言えましょう。家も傾いちゃってるし、無住になって久しそうです。
山に雲が懸かってますね。まさか雨は降らないと思うけどちょっと心配になってきました。
その先、↓の地点で国道から離れて旧道に入ります。
細かく屈曲する道筋は街道の特徴そのものです。
駐車場を横切っているのは暗渠の水路ですね。水門見えてます。
水門の向こうに社が見えていますね。せっかくなので行ってみましょう。
暗渠の先にあったのがこちらの神社。ガイドブックには「白山神社」とだけありました。
この辺りは先ほど通過した鼠宿から一年遅れて開村した「新地」なんだそうです。
白山神社から街道に戻るとすぐ先に道祖神がぽつんと立っていました。
登り坂に差し掛かり古い集落の中を進んで行きますが、続きはその8でご紹介します。
つづく!