前回の散策で見落とした建物をすぐに回収しようと、3月13日(日)に再び石岡の街を歩いた散歩の記録その3です。
歩行ルートはやや不正確ですが、ほぼほぼこんな(↓)感じです。
その2では昔からある会社と思しき建物を発見し駆けだしたところまでをご紹介しました(↓再掲)。
こちらは安政元年(1854)創業の造り酒屋、府中誉酒造。
そしてこの門は県の登録有形文化財、府中誉長屋門です。
ネットなどでググるととこの長屋門の扉は開いていることも多い様ですが、この日は臨時休業である説明書きが、3枚上の写真に写っている鉄門扉に書かれていたのでちょっと残念でした。
こちらはちょっとした倉庫兼事務所といったところでしょうか。
長屋門と繋がった黒板塀のすぐ内側には蔵があります。これは黒漆喰が一部白くなるまで色褪せてしまったんでしょうね。却って趣があるともいえるでしょう。
もう少し引いて全景も撮ってみます。
この蔵から国道方向(↑の写真から見ると後ろ方向)に進むと一階扉が傾いで無住になっていると思われる旧商家らしき物件が青いトタンの側壁を晒していました。
その正面には昭和な平屋住宅がありましたが、こちらは玄関のガラスが一部割れ、その内側も荷物がギッシリ詰まっているようなのでこれは無住で物置替わりになっているのでしょうね。
蔵の横っちょの格子からカメラのレンズを入れて塀の内側を激写します。酒蔵は表から見える一棟だけではない様ですね。
臨時休業でこれ以上府中誉は見られないので、東(国道の反対側、4枚上の写真、前方方向)に進んで行きます。安手にリノベした感じの出桁造り商家などを眺めながら進んで行くと、、
あっ、後方奥に何か凄そうな商家らしき建物が見えますね。行ってみましょう。
そのすぐ先でY字路で他の車道とぶつかると、えー、米屋と魚屋の多角事業展開をしている丸玉商店という店があり激写します。右側の「鮮魚部」部分は屋上もあってなかなかシブいです。
さて丸玉商店から右方向に進むと、さっき小っちゃく見えていた商家が姿を現しました。
かなり立派な商家ですね、これ。梁がめっちゃ太いです。一階も出桁になってます。今もギリギリ現役かなと思ったのですが、Googleマップでは店名表示がないのでたばこの自販機営業以外はやめてしまっているようです。
道路に面したところだけ対面を保ててますが側面の木造部分が半壊以上全壊未満の物件。
奥側は平屋の看板建築になってます。灯油の販売店だったんですね。
さっきの立派な出桁造りの正面にあったのがこちらの平屋物件。屋根のてっぺんに越屋根か煙出
しがついてます。正面の広い間口部分が店舗だったように思えます。
ちょっと別角度から見て見ましたがなかなかシブくていい感じでした。
見かけた看板建築の廃店舗は玄関口に見えているツタが玄関の扉を通り越して店内にもビッシリ!で中を覗いてそれを見たときには軽くゾゾっとしました。
その後石岡の街の東端を北東に伸びている国道6号(私の松戸の自宅マンションの真ん前まで繋がってます)を渡って更に東に進みます。先ほど歩いている時にちょっとした歴史遺構の案内看板を見かけそちらに行くことにしたのです。
国道を渡って暫く進むとエキゾチックな平屋のペラペラ看板建築が見えてきました。
いいですね、両側に小っちゃな柱みたいなのが立っていて、変則の凸型看板建築。
右からは撮りようがないのでもういっちょ左側から。ほとんど変わんないカットになってしまった。。
この辺りは貝地という地名なのですがそのすぐ先には「貝地五差路」の色褪せた看板があり(前方Y字路の股部分)、ここを右に進みます。
右折路の向こう側にも何やらよさげな古民家が立ってます。
こちらも赤茶色の戸板のあるスペースから見て商家だったですかね。
その先でしばらく複雑な道に沿って歩いて行くと超昭和な平屋住宅エリアに到着!
実はここ、茨城廃寺跡という歴史遺構。この平屋住宅もその一部です。
地図を拡大してみます。赤い横線―がちょっと大きめに描いた看板の位置。平屋住宅はこの看板を上から下(北から南)に見ていることになります。
すると3枚上の写真に写っている平屋住宅はまさしく金堂(≒本堂)のあったところという訳ですね。
なかなか面白い状況ですが、続きはその4でご紹介します。
(あと3回くらいつづく)