前回の散策で見落とした建物をすぐに回収しようと、3月13日(日)に再び石岡の街を歩いた散歩の記録その4です。
歩行ルートはやや不正確ですが、大雑把にはこんな(↓)感じです。
その3では、シブーい昭和的平屋集合住宅が茨城廃寺跡の、事もあろうに金堂(本堂)址だったことを発見しぶっ魂消たところまでをご紹介しました(↓再掲)。
平屋住宅=金堂跡の向かい側には講堂があった筈ですが、今は原っぱと三本の木のみがあって、大きな寺の中心部だとは、言われても分からない状態になっています。
来た時とは別の道を通って石岡中心部に戻ります。こちらはクルマや車庫事朽ちかけて埋もれつつある民家。遠からずクルマは崩れた車庫の屋根の下敷きになりそうです。
その民家の先はなかなか見事な梅園でした。
ちょっとアップでも激写してみましょう。ブロ友さんへのコメントでも書いたことがありますが、梅の花ってなーんか楚々とした和風の佇まいがすごく良い気がして好きです。
敷地の大きな蔵付きの家がちょくちょく見られます。こちら母屋はわずかにブロ友さん命名の房総スタイル寄りの平屋寄棟造り。
その先で見かけた月天宮という神社でお参りすることに。
石岡の府中エリアにはこの月天宮の他、日天宮、そして前回の散策で見た星宮とを併せて「府中三光宮」と呼ばれていたという説明が後方に見えている案内板にありました。
こちら道標っぽく石の右下部分に「右」と刻まれている気がするのですが、他が読めません(・・;)。
しばらく粘りましたが読めないので諦めて丁寧にお参りして石岡中心部に戻ります。
中心部に戻る途中で、私の自宅マンションの真ん前から繋がっている国道6号を歩道橋で渡ります。
こちらは松戸方向。
そして水戸方向。
あ、いえ、6号線に深い縁のある者でなければ「だから何だよ(゚Д゚)!」という話ですが、、。
この日勝手に「石岡東商店街(仮称)」などと名付けた通り(旧水戸街道に並行する東側の道)に戻ります。昭和な「たばこ」の丸い看板に何となく引き寄せられて激写。
その1で一度立ち止まった信号の四つ辻まで戻ってきました。右方向が石岡駅方面、すぐ左にはあの素晴らしいコリント調風の看板建築の喫茶「四季」がある場所です。
そのまま直進するとちょっと商店街のアイデンティティが薄れたように見えますが、、でも割烹あるし右側には平屋看板建築の店舗もありますね。
こちらがその割烹、お食事処。ちょっと閑散とした感じです。
その先で、前回の散策のその1で写真撮り過ぎて全然進めなかった駅前通りを越えるとやはり少し商店街の面影が残っているような風景が続きます。
元々はもっと商店街だったエリアが一部マンションなど宅地化されてしまったといったところか。。
こちら建物は新しそうですが「かつをぶし」の看板からすると、店自体は昔から構えているのかもしれませんね。
そしてこの「石岡東商店街(仮称)」の突き当りにあるのが前回の散策でも絶賛した野口輪店!
やっぱりいいなあこの建物!↑とほとんど同じアングルで撮ってしまった(;^_^A。
ちょっと写真のトーンを変えてみました。野口輪店と再会できたのはいかにもめでたいですが、今回見ようと思っている3軒の建物の内、その2でご紹介した下見張り板の洋館以外まで見つけていないのでそろそろ焦り始めます。
とりあえず旧水戸街道の国道351号に出ると、あの蔵造りの店舗とも再開できました。
さてこの信号が石岡宿の北の果て、旧水戸街道はここで右折、左斜め前方には常陸国分寺跡があります。
とりあえず交差点の左奥の古めかしいビルがちょーっとだけ気になるのでまずはそちらから見ていきましょう。
この少し後、思わぬクライマックスが突然訪れますが続きはその5でご紹介します。
(あと2回ほどつづく)