長期企画 東海道歩きその25 桑名-四日市 2/3 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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2015年7月11日(土)にやった25回目の旧東海道歩き、
その2/3です。

当日の歩行距離は19㎞ちょうど(街道ではない部分も含めた総歩行距離です)。

歩行ルートは↓の通りです。


員弁川を超えたらすぐに右に曲がりまたすぐに左に曲がると旧道に入ります。数分進はむと右にある浄土真宗の真光寺の境内には桑名藩主である松平定重が万治三年(1660)に寄進した大手水鉢があります。
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大手水鉢は手水場に。
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街道に戻り、真光寺から100Mほど先にあったはずの山口誓子の句碑をうっかり見過ごしてしまいました。

その数十メートル先の縄生(なお)の一里塚跡は、日本橋から97里目のもの。「一里塚跡」とだけ彫られた地味目な石柱が立っていました。
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97里か。次回の歩きになりそうですが100里も間もなくです。

一里塚の400Mほど先で近鉄の踏切を越え、その100M弱先の左側には東海道のポケットパークがあり、それらしい雰囲気。

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その向こうには樹齢300年の榎が往時と同じように旅人を見守ってくれています。

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その後しばらくのどかな旧街道を歩き、旧東海道と県道66号の交差点に差し掛かると、交差点手前右側に浄泉坊というお寺があります。
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こちらのお寺は桑名藩にゆかりのあるお寺という事で山門には三ッ葉葵の紋が刻まれています。
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県道を超えて400Mほど進むとクランク状に左⇒右と曲がりますが最初の左折箇所にこんな看板が!
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御教示かたじけのうござる!

クランクから700~800Mほど進むと伊勢湾岸自動車道の高架を潜る手前の交差点から少し右に入ったところに常夜燈があります。

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後ろの緑一面の水田がとてもきれいでした。

伊勢湾岸自動車道を超え、朝明川を渡ってすぐの左側には力石がありました。重さ100kgだそうです。
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腰痛持ちの私としては見てるだけで腰が痛い気になります。

街道に復帰すると道幅、緩やかな下り坂と湾曲が三拍子そろった非常に旧街道らしい道が続きます。
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そんなこんなでとても充実して歩いていると、民家の前に松寺の立場跡の碑を見つけました。
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少し進むと右側に御厨神明社、そして長明寺があります。このあたりはかつて蒔田氏の居城があったところで、土塁で囲まれており、長明寺の山門前にもお堀があります。
(正面と側面だけの様ですが)
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いよいよ気温も上がり、少し疲れもでてきたの境内で少し休ませて頂いてから街道に戻ります。

その後700Mほど進むと一里塚橋という小さな橋が。

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その名の通りこのすぐ後の右側には日本橋から98里目の冨田の一里塚跡碑が立っています。
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その後は暫く古い民家がちょくちょく見られる地域が続き、ふと見ると左側には小さな敷地の八幡神社がありました。ここでも境内には力石があり、こちらも100kg重。
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力石で力比べをしつつ健康長寿を祈るという意味合いがあるそうです。

その八幡神社のすぐ先の右側には大正天皇の行啓記念道路碑がありました。皇太子時代の大正天皇が富田中学を尋ねられた事を記念したものだそうです。
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少し先で東海道は直角に右折しますが、右折してすぐの右の地点に明治時代の道標が残っています。
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更に県道8号を超えて50Mほど進んだところの右側にある富田地区市民センター前にももう一本明治時代の道標が。

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会社名なども刻まれているんですね。

その先富田小学校の校門の脇には明治天皇御駐輦跡碑が立っています。
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ここに住まわれていた広瀬五郎兵衛さんのお宅で何度も休憩された事を記念したものだそうです。

その少し先の十四川にかかる十四橋を渡ります。川岸には大正十二年(1923)に植樹された約800本のソメイヨシノがあり、桜の咲く頃にはさぞや綺麗だろうと思われました。21

その300Mほど先でまた旧東海道は左⇒右とクランク状に進みますが左に曲がる地点に新設用水道碑と、大小二つの力石がありました。
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力石本当に多いですね。大人用は120kg、子供用は19kgとの事。大人用は論外として今の私、子供用でもいけるかどうか、、

暫く歩くと街道右側に比較的新しそうな道標があります。

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左四日市は良いとして「右いかるが」って、、斑鳩?法隆寺の?と思ったのですが、帰宅後地図を見てみるとここから北西方向に南いかるが町というところがあるんですね

その後高架道路の県道64号の下を潜り暫く進んだ米洗川の手前には大きく立派な常夜燈があります。
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尚、米洗川とは、川底が砂で白く見えたからだとの事。

常夜燈から200Mほど先、街道右側には地蔵堂がありますが元々は伊勢國八幡神社があったところで、八幡神社の石碑が地蔵堂の横にある公園の奥に残っていました。
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そこから300Mほど進むと街道左手には「かわらずの松」があります。樹齢200年の、松並木の名残ですが、この地域は川原津(かわらず)と呼ばれていることに由来するそうですが、26
今も昔と変わらない姿を保っているこの松のために「変わらず」を掛けて敢えてひらがなになってるんではないかと思いました。

その後も旧街道の風情が漂う道を歩きます。時折とても由緒のありそうな旧家があり、感心します。
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やがて今日何回目かのクランクに差し掛かります。

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このクランクで左折⇒右折するとそのまま国道1号に合流し、いよいよこの日の歩きもラストスパートに入りますが、ここら辺りまでを2/3として3/3に続きます。