地形散歩04 新京成未成線分譲地を歩く | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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2013年12月08日(日)

翌日から海外出張の予定だったので、軽めに歩いた方が良さそうだと思い、
自宅から近いところで地形散歩を楽しむことにしました。

ネタ本は今回もこちら。

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今回は、新京成電鉄未成線跡地の住宅街を歩いてみました。リンク先の
Wikipediaにも説明されていますが、未成線とは、構想・計画段階或いは建設
途中で中止されてしまい、実現しなかった鉄道路線のことを現わします。

現在新京成は京成津田沼から松戸を結んでゆったりと走っていますが、
かつては常磐線の混雑解消を目的として、松戸から更に南下し、柴又
あたりまでの延伸新線の予定があったそうです。柴又で止まってしまっては
不便なのですが柴又で接続する京成電鉄が当時(昭和30年代初頭)
押上~有楽町間に新線を計画していたため、新京成としては、そのまま
列車を柴又から有楽町まで直通で繋ぐ構想をしていたそうです。
昭和31年に新京成は松戸~柴又間4.7kmの鉄道敷設免許を申請し、
その途中には、園芸大学駅、及び松戸高校前駅の2つの駅が予定されて
いた様です。

その後新京成が用地買収でグズグズしている間に常磐線と地下鉄千代田線
の相互直通運転が決まってしまったため、新京成は延伸新線をあきらめ、
買収していた線路用地を分譲したそうです、その跡地が、現在もきれいな
円弧を描いた住宅地になっているので、これを見に行った訳です。



常磐線各駅⇒京成金町線⇒北総開発鉄道と電車を乗り継いで、7:40頃に
矢切駅に到着します。地上に出るとすぐ目の前に水上勉の旧居跡の碑が
駅前のバス停のところに立っています。
01水上勉旧居跡

「松戸街道」と名のついた県道一号を北上し矢切方面に向かいます。02県道1号松戸街道

途中にあった和菓子屋さんの前に、「野菊の墓」に因んだ銀杏の木が
植えられていました。                            03矢切の銀杏

道路の傍には、秋のススキが残っており、晩秋~初冬の雰囲気が
強くなっていると感じました。                     04ススキ

東京外環自動車道の建設地を少し過ぎたところに千葉銀行の支店が
ありますが、ここからが未成線分譲地の始まりで、この千葉銀の
建物の幅がほぼそのまま線路予定地だったことになると思われます。05千葉銀

未成線跡地はほぼずっと軽く左カーブをしながら北北東の松戸方向に
伸びており、一列に並んだ住宅地もきれいな孤を描いています。
06これが分譲地
写真向かって右側が未成線分譲地の住宅です。実際は右側方向に
もう一列住宅が並んでおり、左右二列の住宅がずっと孤を描いて
並んでいる訳です。

住宅が急に無くなり、公園状になっている様なところもしばしば
見受けられました。                         07公園

やがて三矢小台交差点の脇にあるリブレ京成というスーパーと
バスの回転場の前に辿り着きますが、これが「松戸高校前駅」の
予定地だったところです。
08松戸高校駅前

リブレ京成の東側にあるバス回転場からリブレ方向を見ると
何となくここが駅前広場になる予定だったことが分かる様な
気もします。                            09駅前広場

更に歩を進めると、住宅が左右二列に並んでいながらも、
左右で高低差が残っているところもありました。
10斜めの地面
用地は買収していても、整地はしていなかたのですね。

更に歩を進め国道6号線に突き当たる少し手前くらいになると
新しい家屋が非常にきれいに並んでいる個所がありました。11きれいな孤
線路予定地跡であることがかなり分かりやすい気がします。

後ろを振り返っても、規則正しく並ぶ住宅が非常に美しい。12振り返って

やがて国道6号線に突き当たり未成線跡は途切れてしまいます。
ここから松戸駅のあたりまでは買収が進んでいなかったのかな?

6号線の脇には千葉大学の園芸学部があり、その辺りに園芸大学駅を
作ろうとしていたのでしょうね。

後は松戸駅に向かって帰宅するだけなので、千葉大学園芸学部の
周りをぐるっと回る様に歩いて松戸駅に向かいます。園芸学部の
入口の銀杏がきれいでした。                    13園芸学部入口

そのすぐ近くには昔からありそうな観音堂が祀られていました。14観音堂

結構古くから通っていた道かもしれませんね。そういえば利根川沿いの
布佐から松戸に生魚を運んでいた鮮魚街道(なまかいどう、と読む)も
この辺りを通っていたので、もしかしたら関連しているかもしれません。

更に、十五代将軍徳川慶喜公の弟、徳川昭武公の住まいだった戸定邸
脇を通ると、茅葺きの門とその横の銀杏のペアがとてもきれいでした。

ここから松戸方面に下りてゆく坂は、平成21年に天皇皇后両陛下が
この戸定邸に行幸されたのを記念して松戸市と千葉大学が
「戸定みその坂」と名付けたそうで、図らずも最後に坂道歩きも
少しだけ楽しめました。                     16みその坂

自宅からかなりの近所で、なかなか楽しい地形散歩でした。

来週は出張も終わっているのでまた街道を歩く予定です。

2013年12月8日(日)アップ