2013年2月23日(土)
この日は、前週に引き続き、大山詣りの「大山街道」のルートを辿る旅の第二回目を実施しました。前回ゴールした、東急世田谷線の世田谷駅を発し、多摩川を越え、川崎市の宮前平駅に至る、約12.5kmの旅です(コースはこちらを参照下さい)。
朝7:50分ころの電車で出発し、東急世田谷線の世田谷駅に9:05に到着。街道筋に戻ります。前回歩いていた街道筋から南に下り、すぐに西に折れるルートが江戸時代の街道ルート。
道幅も、かすかな湾曲具合もかつての街道を彷彿とさせます。
数分歩くと、代官屋敷跡があり、かつての威容を伝えています。
その斜向かいにあるのが天祖神社。境内では、おじいさんが一人ひなたぼっこをされていましたが、重みの感じられる神社でした。
街道に戻るとやがて街道は世田谷通り(都道3号)と斜めに交わる交差点に辿り着きますが、その交差点は元々何がしか門なり木戸なりがあったのか「桜門」と書いた門柱が道の両側に立っていました。
さて、世田谷通りとの交差点ですが、下の写真で街道は一旦斜めに世田谷通りを越えた後、120度位の角度で左に曲がり、(下の写真の緑のポルシェが街道にいますが、奥の立体駐車場のところを左に曲がる訳です)
さっき越えたばかりの世田谷通りをまた横切ります。
上の写真で追分状になっているところを左側に入っていく道が大山街道、右側が世田谷通りです。ルートとしては世田谷通りを底辺とした三角形を描く様に歩くことになりますね。
世田谷通りを越し戻って100mほど歩くと右手に鈴正畳店があり、木の足元に道標らしきものが見えています。
近寄って見てみると「ここにあった道標は、区立郷土資料館に移築す。」だ、そうです。それを置いておくくらいなら、レプリカでも置いておいた方がいいんじゃないかな、とちょっと思いました。
その後都道427号を越えると道は下り坂になって住宅街を抜けてゆきますが、弦巻4丁目と5丁目のあたりで左手にある公園には江戸時代の大山街道をゆく旅人の像がくつろいでいました。
この地元が大山街道の保存に尽力されているのですね。旅人像の他にも、この辺りでは大山街道のマーク札がよく貼られています。
大山詣りの際には木刀を納めることになっていたそうですから旅人が木刀を持って歩いている絵柄になる訳ですね。
少し先にいった右手のコンビニの前にはお地蔵さんと馬頭観音が祀られていました。
向かって左が歩いてきた旧ルート、右側が新ルートです。
その数十メートル先左手には見るからに昔からありそうな鎌田酒店が「ででーん!」という感じで姿を見せてます。
この辺りで、街道前方には「世田谷ビジネススクエアヒルズ」のでっかいビル(東名高速道路を走っていると見えるあのでかいビルです)が街道の真正面に見えており、妙なコントラストを作っています。
このあたりで右手に真福寺の参道の入り口があるので、お参りをしに行きます。赤い門が立派なお寺です。
用賀を越えると街道は田中橋という交差点のところで、東名高速の下を潜ります。元々大きな橋だったのでしょうが、今は川も一部があまり面白みのない暗渠になってしまっており、細い用水みたいになっています。
その後数百メートル進むと、延命地蔵のある追分で、再大山街道の旧道と新道は別れて行きます。
右手に入っていくのが旧道、まっすぐ進むのが新道です。
その後環八道路を越え(渡れないのでちょっと迂回して横断歩道を渡る)ると、街道は緩やかな登りになり、直角に左折して急な下り坂に変化しますが、その直角な曲がり角の奥にあるのが慈眼寺です。
そこを越えると玉川商店街に入ります。正面には国道246号、厚木街道の高架が聳えています。
この大山街道はこうやって旧街道と、新しい高架道路が混じり合う景色が多いですねー。
厚木街道の下を潜ると街道は多摩堤通りに出ますが、角にある「懐石やなぎや」の下に何だか申し訳の様に大山道と書いた標柱がありました。
多摩川は多摩川通り(こちらも国道246号)の橋を渡るしかないので、二子玉川駅の方に向かって歩いてゆきます。二子玉川駅の向かいにあるビルを見上げたところ、真っ青な空がきれいだったので激写!
この先は二子の宿場が始まっていよいよ旧街道の風情が色濃くなってくるのですが、この先車通りは多いし、路上駐車は多いし、歩道は無いし、でけっこう危ないので注意が必要です。
上の写真の通りを直進すると右手の壁に大山街道と二子宿の案内が貼ってあり、地元の方の保存の意気込みを感じます。
街道から少し右に入ったところには二子の渡し入口という標柱が立っています。
この道をそのまま奥に入ったところには二子神社があり、何やら白鳥の様なオブジェが飾ってありますが、実はこのあたり、岡本太郎にゆかりの地で、太郎の母、岡本かの子の生家があった場所だそう。かの子は、この辺りの大地主、大貫家の娘さんだったのですね。ちなみに岡本太郎もこの付近で生まれているそうです。神社をちょっとレトロっぽく撮ったのがこちらです。
街道筋に戻って歩き始めると、街燈の柱にも「大山街道」と延々と書いてありますし、こんなものも見つけました。
お手製で作ったものですが、こういう努力で街道も残っていくものなんだろうと思います。
暫くすると右手にどっしりとした蔵の様な飯島商店があり、その前に大きな釜がありますが、説明を見ると、NHK大河ドラマの『黄金の日々』で石川五右衛門が釜ゆでにされるシーンに使用
されたのだとか。。
少し進むと、高津図書館交差点の少し先の右手には江戸時代から続く、田中呉服店があり、昔ながらの風情を出していました。
その少し先、街道が軽く左カーブするところの右手には川崎市大山街道ふるさと館があり、その前に小さな道標があり、街道風情を添えていました。
そのすぐ先では二ヶ領用水が流れ、大石橋がかかっています。
写真正面の街道左手には天保年間(1830年)創業の稲毛屋金物店も見えています。
その数百メートル先の右手には、溝口神社がありますがこちらは現役バリバリの神社で、常に雅楽の調べが流れ、祈祷が続いている様でした。
そのすぐ先の右手には日蓮宗の宗隆寺があります。かなり敷地も大きく立派なお寺でした。
そのまたすぐ先の栄橋交差点を過ぎると街道は湾曲を増し、JR南武線の踏切を渡る頃には歩道スペースもほとんどなく、かなり歩きづらいことになり、登り勾配になってきます。
やがて左側には「大山街道 ねもじり坂」という案内板があり、街道は左折をします。結構な急坂で、大学生らしい男性も自転車を下りて押して登るくらいでしたが、電動アシストの自転車で買い物帰りらしい奥さんがスイーっと走り過ぎるのが対照的でした。
これも道路未舗装の時代だったら大変でしょうね。しかしこの少し前からこの後までずっと急な坂を登ったり降りたりして結構大変です。多摩丘陵の起伏をまともに街道が通るからですが、こんなに起伏が多いとは知りませんでした。
ねもじり坂の入口から数百メートルほど進んだ左手には地蔵堂があります。かなり立派な地蔵堂で私がカメラの調整をしている間にも地元の方がお参りに来られていました。
若干の起伏を繰り返しながら進むとやがて、先ほど下を潜ってきた国道246号=厚木街道が再び右から迫ってくるので歩道橋で越え、向かって左側の進路を進みます。歩道橋からの景色がこちら(↓)。
標識には「静岡167km 厚木30km」と書かれていました。
途中宮崎中学校入口交差点付近の民家で梅が咲いていたのでちょっと撮らせて頂きました。
この民家の庭にがさがさした大きな草むらがあったのは覚えているのですが実はこれ、「宮崎大塚」と呼ばれる、古墳かどうかも分からない塚らしいのですが、認識していなかったのでスルーしてしまいました。。。
そこから数百メートル先、宮崎団地前の信号で車道は大きく左に
カーブしていきますがそこを右手に真直ぐ下りてゆくのがルートです。
ただ、手元の本で見ても、ここから先は暫く宅地や道路の整備のため、旧道区間は大分失われており、付近の道を歩いているだけの様です。
坂を下りた後、また結構な急坂を上り、上述の本に従って進むと一部、旧道と重なっているらしい部分があります。
この道筋で宮崎台東急アパートメントのところで左折してすぐに右折した先にコンビニサンクスがありますがここを左に下りて行きます。
この下り坂が八幡坂という坂で、坂を下ると、東急田園都市線の宮前平駅=本日のゴールが見えてきます。
下り切ったところ、右手の急な階段の上に八幡神社があります。
既に10km以上歩いて少々疲れていましたが、本日の締めくくり
なので頑張って登ります。
最後に八幡神社でお参りをして宮前平駅から帰宅の途につきました。
それにしても今日のルートは起伏だらけで、距離の割には疲れました。
この先も多摩丘陵が続き、厳しい道中でしょうが、道標などの街道風情も意外に多く楽しめるこの大山街道。最後の大山詣りを楽しみにして、旅を続けたいと思います。
2013年2月24日(日)アップ