さて、日光街道歩き第9回、小山⇒石橋歩きの後編です。
(4月25日、歩行距離は19.348km、ルート地図は前編と後編に)
※使用していた地図サービスの終了で参照できなくなっていますm(__)m。
さて、マックで軽いお昼を食べたところまでが前編でしたが、そろそろ小金井の宿場の入口に差し掛かるところです。お腹も少し満たされてゴキゲン状態で歩きを再開します。すぐに目に入ったのがこれ。
いい感じの廃屋です。例によって、アートフィルターの「ドラマチックトーン」にて若干不気味な色彩に編集してあるので実物はもう少し爽やかな(?)印象だと思います。
さて、さきほどのマックから500mほども歩いたところでしょうか、左側には参道の外から見ても、明らかに超立派なお寺を発見しました。
真言宗の慈眼寺です。建久七年(1196)新田義兼=新田義貞のご先祖、の開基だそうで、朱塗りの観音堂の中には弘法大師作の千手観音像があるそうです。お寺や神社には最近殊のほか敬意を払わせて頂いているつもりですが、たたずまいの格の高さに更に身が引き締まる重いです。
(お休み取って平日にブラブラしてる訳なので引き締まりも一入です)
ちゃんと山門で一礼してから境内に入らせて頂きます。そして中に入ってから見回してみると、あの有名なご紋が見えます。
この慈眼寺、日光に向かわれる徳川将軍家の昼食の場であったそうですね。また、徳川将軍家は清和源氏新田氏の末裔と名乗っていましたから、新田氏を守るお寺であったこちらは当然徳川氏によって手厚くされたのでしょう。立派なのも道理ですね。
街道に戻って20mほど進むと金井神社があります。参道の入口の石柱には「村社」と書いてあったので、村の鎮守の神様ですね。
こちらも堂々たる構えで、先ほどの慈眼寺に続きこちらでも色々とお願いごとをさせて頂きました。
金井神社あたりからは少し、街道風情が味わえる佇まいがあります。
網が掛かってしまっていますが、これはかなり昔からある建造物ですよね。更にその向こうには、見るからに時代の荒波を潜り抜けてきた様な建物が。
結構曲がっていますが、現役で住まわれている様です。勝手な事は余りいえませんがこういう建物、是非残って欲しいものです。
さて、その丁度正面あたりに、ずっと探していたお家が見つかりました。
この立派な門構えこそが、小金井宿の本陣を勤めてこられた大越家の門となります。右側に小さい通用口みたいなのもありますね。今日は本陣本体はなかなか見られませんが、立派な門がたくさん見られます。こちらの大越さんも、家屋は現代のものですが敷地は圧巻!の広さでした。
感心しながら歩いていると久しぶりに国道の距離標識に出会いました。
大分進んだ気がしますね。あと50km強ってところでしょうか。
本陣跡からおよそ1.2~1.3kmくらいでしょうか、JR自治医大前の少し手前、左側の先に大きなパチンコ屋「クイーンエリザベス」の手前で旧街道はまた国道から離れます。(こちらの3番を参照)。
すると旧街道(?)だと思うのですがほぼ畝道に近い状態になります。
道路の先に少しだけ建物の左端が見えているのがパチンコ屋「クイーンエリザベス」です。大分足も疲れているので正直こういう土の道路は気持ち良いです。道はすぐに舗装されるのですが
このクイーンエリザベスのところには大きな犬小屋に住む大きな黒い犬が居て、通りかかるとそれはもう、狂ったかの様に吠え掛かって来ます。100mほど離れるまでずっと吠えられます。
「狂犬さん」を離れたあたりに、農作業用と思われるポンプが草に埋もれる様に無造作に立っていたので、ちょっとモノクロで取ってみます。
国道からはさほど離れていないのですが、完全に喧騒を離れた旧街道風情が楽しめるエリアが続きます。なんとなくノスタルジックな雰囲気を盛り上げようと、「トイフォト」モードであたりを撮影してみます。
どんな風景を撮ってもOKですが、田舎風景なら一際素晴らしくなるこの「トイフォト」モード、水戸街道歩きの頃からかなりお気に入りです。
足は疲れているもののますます上機嫌で道を進むと、緑がきれいな楓の木を発見しましたので、こちらもなるべく緑色をキレイに写そうと頑張ってみます。やっぱできれば晴天がよかったですけどね。
農道の様な旧街道はずっと続きます。足に疲れを感じるとときどき畑の方(当然荒らさないように)の土部分を歩いて、歩きつつも休憩しながら旅を続けます。
因みに前方右を歩いている黄色いシャツのおじさまは歩く速度が早く、こちらも結構な速度で歩いていたのにぐんぐん引き離されてしまいました。恐るべしジモティ。
そしてまたしても旧街道は突き当たりにぶちあたってしまいます。
これはもう根性で先に進めるレベルの行き止まりではありませんので諦めて国道に戻ります。
すると、ちょうど距離表示のある看板が見えます。
宇都宮まで17km。正直かなり旅は進んでいるという感触です。
先ほどの行き止まりから、旧道は1km強ほど消失してしまっています。(こちらのマップの4番以降を参照下さい) 。
本日のゴール「石橋」にちなんだ地名が!
「下石橋」ですもんね。普通に考えると次の交差点で「下」が
取れて石橋の中心地に入ってゴールするんだろうな、などと思った
のですがそれが甘かった事は後に分かります。
ともあれ、その先で非常に面白いものを発見しました。題して「ムダに豪華なとんかつ屋さん」です。
なんと、とんかつ屋さんに「長屋門がある」のですよ。メインの建物は写真中向かって右側の建屋の様なので、長屋門は何に使っているのでしょうか。旧街道の遺物とは思えませんが。
そうこうするうちに旧道に入り込む目的地が見えてきます。ここです。
この梅山製菓さんの手前の細い道を左折して、農道めいたところを西に進むと、正確に旧道をなぞっているかどうかはやや難しいと思いますが、丸大ハムの工場から続いている道=概ね旧道に入れます。
で、せっかく旧道に入れたのですが、またしても行き止まりにぶちあたります。
この少し先の国道交差点あたりは既に旧道と国道が同じになっているので、この先何となく旧道は右曲がり気味だったのでしょう。
その交差点に出て信号機の上にある地名をみて愕然としました。てっきり私は「石橋」とか「石橋本町」とか書いてあってあと300mくらいでゴールだと思っていたんですが、実際の地名はこうでした。
『下石橋北』........南北を使う手があったのですね。私の負けです。
学校帰りの小学生の通学集団とすれ違いながら歩き続けますとようやく
ゴール近くになってきた様ですが、上の写真の歩道橋の少し向こう側に神社がありました。ゴール近くですので、欲張って参拝することに。
これは石橋愛宕神社という神社で、どうもここ、境内は元々古墳だったのではないかといわれてる様です。
左側の黒い石碑に「女神」と書かれていますし、正面の石碑群にもかなり古いもので「女神」と刻まれており、一般的な神社よりもかなり段違いに古そうな印象です。
本殿の右側の狛犬は子連れさんでちょっとかわいかったかな。
参詣を終えて石橋までの旧街道をラストスパートです。
まず目に入ったのが伊沢写真館。写真はこちらになります。
なんでこれを撮るかというとこちらの写真館は元脇本陣なのです。が、書籍や先達のブログなどで予習していなければ絶対に脇本陣とは気づかないでしょうね。
そのすぐ先では、国道との(今日の)名残を惜しむ様に、国道距離表示が。
おーし、あとちょっとで東京から100km地点だ!!
脇本陣から120mほど先にあるのが伊澤茶舗。
察しの良い方は既に推察されていると思いますがこちらが本陣跡です。どちらも伊澤(沢)さんですよね。ご親戚で本陣と脇本陣を張っていらしたのでしょうか。
最後に駅前にあるおそばの老舗、清水蕎麦屋でお昼にお蕎麦を頂こうと思っていました。明治からの老舗で楽しみにしていました。
辿り着いたのが午後2:03。私の目の前で表札が「営業中」⇒「準備中』にくるっと裏返りました。無念です。
寂しい思いとひもじい思いで、しかし街道を堪能しきった満足感を持ってゴール石橋駅に到着し、2時間以上かけて帰宅したのでした。
次回はギョーザの街、宇都宮までのコースです。次も頑張るぞ!
2012年4月28日アップ