旧水戸街道ランダム歩きその13 我孫子⇒天王台 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

旧街道、暗渠、廃線跡、坂道などの散歩ブログ
最近は殆ど街道がメイン

2011年8月6日、旧水戸街道を我孫子から天王台まで歩きました。
我孫子の宿は、先達のブログなどの情報から、かつての脇本陣の
建物が非公開ながら残っている事を知っていたので、歩くのを
楽しみにしていた区間です。
本日の通行ルートはこちら、歩行距離は4.125km でした。

午前8時前に我孫子駅に到着。前回からの続きを歩きます。
前回ご紹介した割烹旅館「角松本店」のあたりで道路を横切ると
大光寺というお寺と、大光寺が開いていると思われる幼稚園が
ありました。参道の入り口付近に「四國四十二番」と彫られた
石碑があります。



調べてみると、「新四国相馬八十八カ所霊場」の第四十二番目
という事なんですね。こちらの取手の観光紹介サイトに説明がありました。四国の
八十八カ所霊場に倣って、取手~我孫子の区間に新たに八十八カ所霊場を
設けたものなのですね。

街道はちょうど大光寺のあたりで左カーブをします(北向きになる)。
すると「従是子神道」と彫った道標が...

 $らんまるのブログ-従是子神道

子の神大黒点への参道の入り口の様です。この道標は寛政九年とありますから
1797年のものの様です。そこからすぐ北にあるマンションの真ん前に、やや
場違いな風情で、我孫子宿の本陣跡の標識が立っていました

$らんまるのブログ-我孫子宿本陣跡

比較的近くにこの本陣の離れ家だったものが移築されているらしいと
先達のサイトで読んだ事がありますが、先を急いでまたの機会としました。

また少し北に進むと道路の左側には、水戸街道歩き業界(?)的に有名な、元脇本陣の
小熊家が威厳をもって建っています。茅葺きでとても趣深い建物ですが、こちら
現役の住宅なので公開されていないそうです。

$らんまるのブログ-我孫子宿脇本陣

それにしても北柏を超えてからというもの、街道沿いには構えのたいそう立派な
旧家が目立ちます。我孫子宿の周辺ではどうも鈴木さんというお宅が
多かった様な気がします。

そこから水戸道中は再度右に湾曲しますがカーブの曲がりばなの交差点には
割烹旅館鈴木屋があります。
こちらは江戸時代のものではありませんが、それに準ずる明治12年の創業。
店舗を拝見していても重みが漂いますね。

$らんまるのブログ-鈴木屋

我孫子の宿場は歴史の痕跡が現役として生きているケースが多く、この辺りを
歩くのはとても楽しい経験でした。

さて鈴木屋のカーブのあと、街道を道なりに東南東にしばらく進むと道は
三叉路にさしかかります

$らんまるのブログ-成田海道追分

上の写真、向かって左に折れるのが旧水戸街道、直進すると成田山に向かう
街道です。今はこのブログのテーマ的に水戸街道を進みますがいつからここから
成田にも行ってみます。
さて、この三叉路の「中州」的な部分にはたくさんの道標が何だか無造作に
寄せ集められたかの様に並んでいます。倒れているものもあります。

$らんまるのブログ-成田さん追分道標

向かって左のメインの石碑にはお供えとお参りは欠かされていない様でした。

ここからしばらく進むと、我孫子駅で常磐線から分岐したJR成田線の踏切を
超えて先に進みますが、踏切の名前を見ると、、、、

$らんまるのブログ-我孫子浜街道踏切

金町と新宿の踏切と同じく「浜街道踏切」の名称が。何と言いますか、
明治に一度「陸前浜街道」とされた名称を、旧国鉄であるところの
JRは律儀に保存されているのですね。

この後、しばらく歩くと、街道は再びJR常磐線と出会いますが、ここは普通の線路ではなく
我孫子の車両センターです。

$らんまるのブログ-我孫子車両センター

旧水戸街道はここで一旦線路に切られた形になっているので
線路下を通り、我孫子市水道局の横を通って天王台方面に進みます。

勝手な話ですが、歴史の痕跡は今日はもう無いかな、などと思っていると、
天王台に到着するおよそ1kmほど手前でしょうか、旧家らしい大きなお家の
お庭に青面金剛が見えました。

$らんまるのブログ-天王台青面金剛

何だか得をした気分になります。青面金剛の説明はこちらのWikipedia
青面金剛の説明)のWikipediaにお任せしますが、簡単に言うと庚申講
御本尊なのですね。

これを見た後まっすぐ進むと水戸道中は交差点で左に折れて取手方面に続いて
ゆきます。私の本日の目標は天王台までなのでここで左には折れず、天王台駅に
向かって直進し、帰途につきました。

2011年8月6日アップ