「人は、無視・賞賛・非難の段階で試される」
まったく話にならない段階では無視。少し見込みが出てきたら賞賛する。そして中心になった時点で非難するのである。
どこを直さなければならないのか。それを考え、努力することで選手は成長する。
野村再生工場より By 故 野村克也
私が初めて社会人になったのは
他人よりも遅く31歳の時でした
高専を中退し、独学で3浪した後24歳の時に宮崎大学の獣医学科に入学し、6年間終えた後、国家試験でも1年間浪人したので
随分遅れた社会人デビューでした。
就職先は大分県庁
大分県から獣医師の奨学金をもらっていたので
選択肢は、それしかありませんでした。
県の獣医師になることは第1希望ではなかったのですが
とにかく、フレッシュな気分でした。
最初に配属されたのは
大分県の家畜保健衛生所というところで
鶏の疾病予防が担当でした。
鳥、特に鶏が苦手だったので
最初の仕事が鶏の採血💉
前の日に先輩から技術を伝授してもらい
当日は、「さっさと終わらせたい」ので
一言も喋らず集中して行ったため
農家の方々から
「先生うまいなー」と
褒められる始末
(後に分かったんですが採血はどの動物でもめちゃ上手でしたが、点滴は苦手でした)
そんな感じで
予想とは全く違った社会人デビューで
直属の上司から
最初に言われた言葉
「俺はお前を鍛える!」
でした
その時は意味がわからなかったのですが
後に分かったのは
私が年齢が行ってる上に女性なので
ハンディがある
そのハンディを超えるぐらいになるよう
育てる
という意味でした
本当に鍛えられました
怒られることばかりだし
何度も何度も
同じ事を何回も何回もやりました
時には
風呂に入るのを1週間忘れるほど
レポート作成に熱中しすぎてたりとか
高熱がでて倒れる事もありました
が
すごく楽しかったでし
一度も仕事に行きたくない
と
思ったことはありませんでした
周りは、その上司が厳しすぎるのでは?
と心配する声もあったようですが
私は、上司の奥にある愛や情熱を感じていたので
とにかく
毎日が充実していました
お陰で
1年間で3年分くらいの
成長はしたかと思います
今でも
あの時の頑張りが
私の支えになってますし
あの上司の情熱を信頼する心も
自分のベースになっています
今思えば
彼は太陽さそり座♏️さんだったので
なるほどー
と
思うほど
故野村監督も多くの素晴らしい選手を育成しています
彼の愛が情熱が 伝わっていたんだと思います
私も
さそり座の上司から伝達された
愛と情熱を次の世代に引き継げるように
精進したいですねー
実家にいる
愛犬トンちゃん
彼は言います
「愛情よりも餌をくれ」と