さてチャクラシリーズの続き、いってみましょう。
ちなみに今までのシリーズはこちらよりご覧くださいませ
さて今日は第4チャクラのお話ですが、
今までのように「チャクラが弱い」ではなく、「チャクラが閉じている」という表現にしたのは、
その方が現状とかチャクラの機能とか、あるいは感覚的にぴったりくるからです。
★第4チャクラとは
第4チャクラの機能は一言でいうと「私は愛する」です。
みなさま、今、さらっと読み飛ばしたと思いますが、
私的にはここは結構ポイント高いと思っていて、
「私は愛される」のではなく、「私は愛する」なのですね。
多くの人は「愛される」ために必死になるけれど、
私たちの本質は「愛される」ではなく、「愛する」ことだということです。
私たちはこの世界を愛するために生きている。
それは地球という生命体そのものを愛するということでもあるし、
そこで一緒に生きている動物や植物や鉱物や微生物・・・。
そういった存在達をまるっと愛するということでもある。
また自分自身や自分の人生や周りの人たちや遠くの人たち、
あちら側の人たちなども含め、この世界すべてを愛するということでもありますよね。
私たちがこの「私は愛する」という力を十分に発揮できれば、
世界中からあっという間に戦争がなくなって、平和になるし、
魂の成長とか目覚め、あるいは波動や霊性の高さというのは、
「どれだけ愛することができるか?」という一点で測られるのかもしれません。
かつて宇宙人アミは「愛の度数」という表現をしたよね。
それは私たちが一生かけてチャレンジしていく課題かもしれない。
だから私たちが考える必要があることは、
私たちはどれだけ愛されているのだろう?ということではなく、
どれだけ愛することができているだろう?ということであり、
愛されるために必死になる以上に、愛することに必死になることが大切。
また閉じたハートは分断を産みますが、開いたハートはつながりを産みます。
さらにハートが開くと直観力とか感受性も高まります。
★第4チャクラの性質
第4チャクラが司る「愛する」は、たとえばパートナーとか家族とか
友人・知人的な個人的な相手を愛するということではなく、
人類愛とか情緒を超えた愛、全存在に対する愛を意味します。
あ、愛って感情ではないのよね。存在の状態のこと。
この状態を達成するためには、目の前の誰かだけではなく、
例えば地球の裏側の誰かとかアフリカの名前も知らない誰かとか、
植物とか動物とかそういうところまで視野に入っている必要があります。
(もちろん目の前の誰かも大切ですよ)
最近は特にスマホという名前の目の前の小さな箱に視野が限定されてしまって、
そこしか見えなくなって、想像力がなくなっているから、
余計にそこに映らない遠くの誰かや何かについて慮るということが難しくなっていますよね。
(スマホで世界は広がらない。むしろ狭くなる)
★第4チャクラが閉じている人
信頼することができない、希望を持てない、憎しみ、拒絶、不信感。
自己中心性、否定的で悲観的、批判的、気難しい、許せない気持ち、無関心、
思いやりがもてない、受容的ではない(相手を否定したり、コントロールしようとする)、
自分や相手を尊重できない、保身に走るなどなど。
たとえばいつも人の目を気にしたり、人の顔色を伺って生きている人は
「人を信頼していない」という意味でハートが閉じている人だし、
いつも自分や他人に文句を言ったり、あの人が●●してくれたらいいのに!
と思っている人は受容的ではないという意味でハートが閉じています。
そのようにして、多くの人がお互いに本当の信頼関係を築けないまま、
自分が傷つかないようにハートを閉じて生きていますよね。
つまり世界は敵だと思っているということ。
また私たちが本当に地球を愛していたのなら、
ここまで環境を破壊したり、そのことに無関心ではいなかったはずです。
そういった様々な角度からみても、現代を生きる私たちは
ハートを閉じて生きていると言っていいと思います。
★第4チャクラと肉体
第4チャクラが司るのは心臓(まさにハート!)、循環器系、肺、肩、腕など。
系でいうと胸腺です。
信頼の反対は心配。心配性の人は心臓に負担がかかります。
自分が愛せない世界で生きているのは息苦しいので肺がやられます。
肩と腕はハートと繋がっているので、本来はハートからあふれ出る愛のエネルギーが
肩を通して手に伝わって、そして手を通して相手に伝わるわけですが、
ハートが閉じているとそれもなくなりますよね。
だいたい恐れている時(ハートが閉じている時)って肩が上がって、緊張するもんね。
愛する力が下がると、胸腺が閉じて、免疫力も下がりますよ。
★処方箋
エーリッヒ・フロムというドイツの心理学者が「愛するということ」という著書の中で、
「愛することの本質は、自分から与えることだ。自分の喜び、興味、理解、知識、
ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているものすべてを与える。
それは自分の持てる力の最も高度な表現であり、自分の持てる力と豊かさを実感する行いである。
与えることはそれゆえに喜びを覚える楽しいことなのである」と言っています。
また彼は「愛というのは能力である」とも言っています。
つまりそれは、愛する「能力」は先天的にあるものではなく、鍛えるものだということ。
この辺りは「私たちが生まれてきた理由は、究極的には愛する力を高めるため!」という
スピリチュアルな目的にも合致しますよね。
また「自分の中に息づいているものすべてを与える」というのは、
宇宙が(あるいは神や高次の存在達が)、この世界のすべてを私たちに与えてくれた
ということとリンクします。しかも無償で。
大地も水も空気も植物たちや動物たちも、私たちが生きていくのに必要な全てのもの、
そしてこの世界を楽しむために必要な全てのものは最初からこの星にありました。
私たち=神であり、宇宙であるならば、私たちにも同じようにすべてを与えるということができるはず。
与えるっていうと、なんか上から目線でニュアンスがちょっと違っちゃうのだけど、
シェアする、分かち合うっていう感じかな。
シェアする、分かち合うというのは十分にあるという前提がないとできません。
その意味でフロムがいうように「自分の豊かさを実感できる行い」になり得ます。
逆に「足りない」「十分ではない」という思い込みは恐れを産み、私たちのハートを閉じてしまいます。
俗にいうクレクレ君とかはそうだよね。
自分にはないと思っている。だからクレクレという行為になるのだけど、
受け取り方がザルなので、さらに足りないというループにはまる。
逆に例えば鬱の方が道路を掃除したり、
困っている近所のおばあちゃんにちょっと手を貸すとかすると元気になるというのは、
与えたエネルギーが返ってくる、フロム流にいえば
「与えることはそれ自体が喜びを覚える」という美しいエネルギー循環が起きているということでもあります。
ということであなたも何かをシェアすることから始めましょう。
受け取ってもらえないのではとか、
こんなことをしたら変に思われるのでは
と思う気持ちはわかりますが、それは既にハートが閉じています。
あなたがすることはシェアすることで、
シェアしたことをどうするかは相手が決めることです。
例えばあなたがシェアしたことを相手が受け取らなくても
傷ついたり、ショックを受けたりしなくなったら、
相手を受容&尊重することが出来ているという意味で、
あなたのハートが開いてきたという証拠。
そもそも本当にシェアできているなら、
それ自体が喜びになるから相手の反応は気にならなくなりますよ。
チャレンジしてみましょう~。
富士山とレムリアと縄文についてお話させて頂きました。
★ゆほびか様に「頼れるヒーリングサロン」として掲載頂きました。
(2022年1月号)