東京裁判史観の虚妄を打ち砕き本来の日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
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心が臨界質量を超えるメルマガ
『 心 超 臨 界 』
読者:385人 / 発行人:渡部義明

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《 拡散希望 》
★『水間条項TVアーカイブが「凍結」されました◇高市早苗総理大臣実現は三島由紀夫の遺志を継ぐことである』
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★『林外務大臣は北方領土に関し安倍元首相の「2島返還」から「〝4島〟が日本の立場」と明言』
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◆わが国をおとしめた朝日新聞記事――水間政憲
https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/92acc1962771e16ceb5faae5940e9aae
朝日新聞が検証記事で「(当該記事の掲載時期は)宮沢首相の訪韓時期を狙ったわけではありません」との答弁が信用できなくなるのです。

◆一種の幸福論だった古代仏教――渡部昇一
https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/e051d32da5bed5c5789a11a1e47127e7
陰陽道のほうは、いろいろな自然界の現象などは、天に代わって政治の善し悪しを反応して見せるものだ、という立場でやるのだから、はじめから、日本のカミとも矛盾しないで、宮廷でも重く用いられていた。この陰陽道のほうは足利時代ごろまでに、その機能の大部分が仏教のお寺に取られてしまったから、われわれにはピンとこないけれども、古代においては、きわめて重要な役割を果たしていたようである。

◆ミツバチは消え、農業メーカーの札束が舞う――堤未果
https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/4b6b0fbfbdc9343fe0e3d0fa2d6c68b9
農薬は巨額の利益が動く業界だ。多くの国で農業メーカーは、その巨大な資金力から政治に大きな影響力を持っている。アメリカでは農薬業界が政治家や官僚、科学者や大学、マスコミなどを押さえるために、毎年何千万ドルもの札束が舞う。

◆巨大ダムが台風のコースも変えた――渡邉哲也
https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3dad6845d1cffa9ed49da7c7ba4987d1
中国は南水北調構想と呼ばれる、南方地域の水を北部に送り、北部の慢性的な水不足を解消しようというプロジェクトを行なっている。巨大ダム建設も含め、天然の水の流れを変えることに執心させたプロジェクトが、中国の水害の多くを引き起こしているだけでなく、さらに恐ろしい事態を招くかもしれない。

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「宮崎正弘の国際情勢解題」
  令和四年(2022)1月25日(火曜日)弐
     通巻7197号
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地球温暖化? なぜ豪雪が続くのだろう
 トルコ豪雪、イスタンブール空港が全面閉鎖。ギリシア、シリアも
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 日本では北海道、東北、北陸地方に豪雪と聞いても驚かないが、温暖な場所に豪雪と聞くとオヤ珍しいとニュースになる。
 トルコもパムッカレあたりは豪雪、クルド族の山岳地帯も雪が降る。しかし、欧州とアジアの中継ハブとしても知られるイスタンブール空港が閉鎖された。地球温暖化って、本当か?

 ギリシア、シリアも降雪に見舞われており、ギリシアでは学校が全面休校となった。
 パキスタンでも雪による死亡事故が何件も報告されている。となると、北京五輪は当然雪となるだろう。
 プーチンにとって、雪はウクライナ侵攻にふさわしい?

 ところでNATOは東欧諸国へ武器供与、航空機派遣を急ぎ、日本大使館はウクライナ在留邦人およそ四百名に「強い勧告」として退避を要請した。
英国は米国に続き「退去命令」とした。
◎☆◎○☆み○◎☆◎○や○◎☆◎○ざ☆○◎☆◎き◎△△☆□
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS
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(読者の声1)ウクライナの米国大使館職員と家族へ国外退去命令とは、なんだか危機を演出しているのはバイデンではないかという気がしないでもないです。ゼレンスキー(ウクライナ大統領)すらが、「過剰な反応だ」と反発したというではないですか。
 貴誌が予測されるように北京五輪開幕日、ロシアは軍事行動をとりそうですか?
   (HG生、千葉県)


(宮崎正弘のコメント)政治は一寸先は闇。米国としては過剰な対応であるにせよ、万全を期したと言い逃れの余地を残しておきたいし、そもそもバイデン人気の失速はアフガニスタン撤退の失態が直接の原因ですから。



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(読者の声2)先日、書店でふと目にした御著「葬られた古代王朝・高志国と継体天皇の謎」(宝島社新書)、大きな驚きをもって拝読しました。
私の周囲には新潟県巻、山古志などの出身者多く、また加賀や福井県大野在住の数人の友人知人がいるため、「裏日本」にはいささかの関心を抱いていました。
 ところが北陸地方が「裏」ではなく、古代日本では「表」であったと知って驚いた次第です。早速、知人に「読みかじり」を披歴したところ、さすが地元だけに「継体さん」(継体天皇)については知識豊富のようでしたが、それでも「表」であった事については知っていませんでした。
 もっとも私自身の歴史認識が貧弱のため、御著についての理解度は五割にも満たないことを自認するところですが、対して先生の歴史についての並々ならぬ学識と徹底した現地踏破には唯々驚嘆感服しています。
  (HI生、板橋)


(宮崎正弘のコメント)とくに福井県では継体さん人気が高く、ついで応神天皇ですね。
日本書紀にでてきた古志の拠点は殆ど廻りましたが、なにしろ古代のこと、史蹟と言っても後世の後智慧の産物が多く、結局、神社周辺になります。ご愛読に感謝です。



  ♪
(読者の声3)英語のサイトでヒトラーの経済政策について詳しく取り上げている。
「ヒトラーはいかにして失業問題に取り組みドイツ経済を復活させたか」
http://www.ihr.org/other/economyhitler2011.html
 ヒトラーは1933年1月30日に首相に就任。ガルブレイスらの指摘は次の通り。
「大恐慌下のドイツで、インフレを起こさずに失業を解消し、公共支出のために大規模な借金をし、最初は主に鉄道、運河、アウトバーンなどの民間事業に使われた」「1935年後半には、ドイツでは失業が解消された。1936年には、高収入によって物価が上昇し、あるいは上昇させることが可能になった......30年代後半のドイツは、安定した物価で完全雇用を実現していた。これは、産業界において、まったくユニークな成果であった」「イギリスとアメリカの保守派は、ナチスの金融上の異端、つまり借金と支出を見て、一様に破綻を予測した...また、アメリカのリベラル派とイギリスの社会主義者は、弾圧、労働組合の破壊、黒シャツ、強制収容所、悲鳴にも似た演説を見て、経済学は無視していた。ヒトラーからは、完全雇用も含めて良いことは何もないと信じていた」。
 ドイツのビジネスは復活し、隆盛を極めた。国家社会主義時代の最初の4年間で、大企業の純利益は4倍になり、経営者や起業家の収入は約50%増加した。1933年から1938年の間に、ドイツの国内総生産は平均して年に11%という驚異的な伸びを示したが、インフレ率は大きく上昇しなかった。
 ドイツの企業は繁栄したが、利益はコントロールされ、法律によって適度な範囲に抑えられていた。1934年以降、ドイツ企業の株主への配当は年6%に制限された。未分配の利益は帝国政府の国債に投資され、その年利は6%、1935年以降は4.5%となった。この政策は、企業の再投資と自己資金調達を促進し、それによって銀行からの借り入れを減らし、さらに一般的には商業資本の影響力を弱めるという予想通りの効果をもたらした。

 法人税は1934年の20%から1936年には25%、1939-40年には40%と着実に引き上げられた。ドイツ企業の取締役は経営者にボーナスを与えることができたが、それは利益に直接比例している場合に限られ、また従業員にもそれに対応したボーナスや「任意の社会貢献」を認めるものであった。
 ヒトラーが権力を握ったとき、ユダヤ人はドイツの全人口の約1%を占めていた。新政府はユダヤ人を政治的、文化的に排除しようと躍起になったが、少なくとも数年間は経済的な生活を営むことが許された。実際、多くのユダヤ人は、政権の復興策や経済復興の恩恵を受けた。例えば、1933年6月、ヒトラーは、ユダヤ人が経営するベルリンの百貨店チェーン「ヘルティー」への1450万マルクの大規模な政府投資を承認した。この「救済」は、この大企業の仕入先、金融機関、そして何よりも1万4000人の従業員の破滅を防ぐために行われた。
 長年、スタンフォード大学で歴史を教えていたゴードン・クレイグ教授はこう指摘する。「衣料品や小売業では、ユダヤ系企業は1938年まで黒字経営を続け特にベルリンやハンブルグでは、評判や味の良い店は、ユダヤ人が経営しているにもかかわらず、昔からの顧客を魅了し続けていた。金融の世界では、ベルリン証券取引所でのユダヤ系企業の活動には何の制限もなく、1937年までメンデルスゾーン、ブレイシュレーダー、アーンホールド、ドレフュス、ストラウス、ウォーバーグ、アウフホイザー、ベーレンスの各銀行家は活動を続けていた」。ヒトラーが権力を握ってから5年後、ビジネス界におけるユダヤ人の役割は依然として大きく、特にベルリンではユダヤ人がかなりの不動産を保有していた。しかし、この状況は1938年に大きく変化し、1939年末にはユダヤ人はドイツの経済生活からほとんど姿を消していた。
※1938年11月、パリのドイツ大使館で、書記官がユダヤ人青年に射殺され「水晶の夜」事件が起こる

 ヒトラー時代のドイツの犯罪率は低下し、殺人、強盗、窃盗、横領、小額窃盗の発生率が大幅に低下した。ヒトラーが政権を握ってから7回もドイツを訪れたイギリスの議員、アーノルド・ウィルソン卿は、「乳幼児の死亡率は大幅に減少し、英国のそれをかなり下回っている」「結核やその他の病気は明らかに減少している。刑事裁判所はこれほどまでに仕事がなく、刑務所もこれほどまでに収容者が少なかったことはない。ドイツの若者の身体能力の高さを観察するのは楽しいことです。最も貧しい人々でさえ、以前よりも良い衣服を身につけており、彼らの明るい表情が、彼らの中にもたらされた心理的な改善を物語っている」と書いている。
 オーストリアは、1938年3月にドイツ帝国に加盟した後、劇的な成長を遂げた。併合直後、当局は社会的苦痛を和らげ、低迷していた経済を活性化させるために迅速に動いた。投資、工業生産、住宅建設、個人消費、観光、そして生活水準が急速に向上した。オーストリアの失業率は、1937年の21.7%から1939年には3.2%に低下した。オーストリアの国民総生産は、1938年に12.8%、1939年には13.3%という驚異的な伸びを示した。
 国民の自信を示す重要な要素として、出生率の急激な上昇があった。ヒトラーが政権を取ってから1年以内に、ドイツの出生率は22%も上昇し、1938年には最高潮に達した。歴史学者のジョン・ルカックスは、この出生率の上昇は、ヒトラー時代のドイツ人の「楽観と自信」の表れだと考えている。「1932年にドイツで生まれた2人の子供に対して、4年後には3人の子供が生まれた」と彼は指摘する。「1938年と1939年には、ヨーロッパで最も高い結婚率がドイツで記録され、多産な東欧の人々の結婚率をも上回った。30年代のドイツの出生率の驚異的な上昇は、婚姻率の上昇よりもさらに急であった」。スコットランド生まれの優れたアメリカ人歴史家ゴードン・A・クレイグは、「国家社会主義のドイツは、白人が住む国の中で唯一、ある程度の出生率の上昇に成功した」と指摘しており、ヒトラーが政権を握ってから出生率が急激に上昇し、その後も着実に上昇した。

 著名な英国の歴史家A.J.P.テイラーは次のように述べている。1936年までに完了したドイツの経済回復は、再軍備に依存したものではなく、主に公共事業、特に自動車道路への莫大な支出によってもたらされた。ヒトラーが自慢していたにもかかわらず、実際には軍備を手抜きしていたのは、ドイツの生活水準が下がることによる不人気を避けたかったこともあるが、それ以上に、「自分は必ずハッタ…

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「宮崎正弘の国際情勢解題」
  令和四年(2022)1月25日(火曜日)
     通巻7196号 <前日発行>
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 速報
  ウクライナの米国大使館、職員と家族に退避を督促
   北京五輪開幕日、プーチンは微笑しながらロシア軍の侵攻を命じるかも。
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 2008年8月8日、北京五輪開幕。プーチンは北京会場の特等席に居た。当時の中国主席は胡錦涛だった。
 その日、グルジア(現在のジョージア)にロシア軍が侵攻し、サアカシビリ大統領は自ら戦ったが、当てにした米軍もNATOも軍事介入はしなかった。結果、オセチアとアブハジアのふたつの「共和国」が独立し、ロシア傀儡政権が産まれた(世界の国々は承認していないが。。)。

 サアカシビリは、人気急落し、その後ウクライナに亡命して、オデッサ州知事などを務めていたが、国籍を剥奪された。現在はウクライナ国籍を回復しているが嘗ての影響力はない。サアカシビルはそもそもインテリの家庭にうまれキエフ大学から米国へ留学し、ニューヨークの法律事務所で働いていた。
 ソ連が崩壊し、グルジアが独立すると祖国へもどり、政治家に。シュワルナゼ政権と対立するようになり大統領を二回務めた。

 さて米国は、在キエフ米国大使館の職員ならびに家族の国外退去を急がせるとした。
 ロシア軍のウクライナ侵攻が秒読みになったと判断しているようである。
 ロシアはフェイクニュースであり、挑発的行為であり、ロシアはウクライナ問題の平和的解決を望んでいると反論している。

 北京冬季五輪開会日。プーチンは北京へ飛び習近平と握手して開会式を見物する予定になっている。
 その日、ウクライナ侵攻があるか。
◎☆◎○☆み○◎☆◎○や○◎☆◎○ざ☆○◎☆◎き◎△△☆□
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  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
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 あの文革の惨さ、おぞましさ、死刑直前に獄中十年、精神の記録
  暗黒の歴史を世界に伝えなければいけないと当時の文革高校生が綴った

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楊小凱著、劉燕子監訳・小林一美解説『中国牛鬼蛇紳録』(集広舎)
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 著者は文革時代、高校生だった。鋭敏な神経と感覚を備えた著者は、論文を書いた。保守過激派の反発を産み、死刑になる寸前だった。獄中十年、そこで目撃した地獄。
 1968年、湖南省の片田舎で育った著者はまだ高校生。文革が始まっていた。楊少年は「中国は何処へ行くか?」という小論文を書き、ついで農村の実情を調べるため、多くの農民と話あってレポートを書いた。それが回覧され、『保守造反派』の間にもでまわってしまった。
 中国全土を蔽っていた「当時の官製イデオロギーは、全人口の80%を占める農民の殆どに歓迎されていないことを知った。農民は共産党は好きではないが他に選択の余地がないので、仕方なく受け入れているだけである」(33p) 
 そして、こうした思考を続ければ劉少奇らの考え方が正しいという結論にならざるを得ないという直感があった。
当局から目を付けられて拘束され、懲役十年。父は左遷され、母や文革中、迫害を受けて自殺した。
 獄にぶち込まれた人々にはコソ泥から、掏摸、詐欺師もいた。ソルジェニツィンが書いた『収容所列島』の中国版とは「看守所・未決囚」と「労働改造所」、そして「監獄」の三つのシステムがある。
 ゴロツキ、研究者、医師、宗教家、同性愛者、流れ者、ヤクザ、左官屋、舞台監督など履歴は様々だった。その生態を生き生きと描いた。西側世界は吃驚した。
 楊小凱は獄中でマルクスの英語版を読み、共産主義が完全に誤りであることを独習で学んだのだ。獄中が彼の大学だった。
 出所後、印刷工などを経て、武漢大学助教、幸運にもその後、海外へでることができた。
83年に渡米し、プリンストン大学で博士号。豪の大学に移り、2002年には受洗している。
 著者は2004年、オーストラリアで客死した。当時はメルボルンのモナッシュ大学の教授だった。妹の楊暉が現地へ飛んで臨終を見届けることとなった。癌だった。
 本書の一部は1990年に発表され、討論の輪ができた。著者の楊小凱は学者として名を成し、専門は経済学だったが、米国での議論は経済学ではなく文革時代のことばかりだった。評判となったので、残りを『北京の春』に連載し、1991年には英語版も出版された(脱線。評者(宮崎)、この頃,『中国の春』『北京の春』を郵送購読していたが、論文が夥しく,読むのに追いつけなかった)。
 それから30年の歳月が流れ、ついに日本語版が世に出た。魂は不滅、文学的な作品は残るのだ。
 巻末のやや長い解説「毛沢東時代と中国を世界史の中で理解するために」を書いた小林一美(神奈川大学名誉教授)は、次の重要なポイントを指摘している(499-501p)
 「中国で最も長く反体制の教義と反乱実績を持つのは白蓮教である。中国の白蓮教は、ゾロアスター教(この世を善神と悪神の闘争と捉える)から分裂したマニ教に起源があるといわれる。マニ教は唐代に中国に広く伝わり、宋代の国内の禁欲的な白蓮宗などの宗教集団と合体し、元末の大反乱の宗教反乱の中心集団となり、そのなかから生まれた朱元章が明王朝を樹立した(中略)。明清時代には国家から最も危険視される過激な結社であった。なぜなら、白蓮教は清代には中国伝統の武術結社と結びついており、各地で武装蜂起を企んでいたからである。白蓮教のモチーフは、『天下大乱し、弥勒仏が光臨なさる』、『真命天使がお生まれになる』、『この世には、まさに地獄の災難が降りかかろうとしている』、『勇敢に戦い死すれば、天国に生まれ変わる』というもので、現在のアルカイーダ、タリバン、ISのような終末論的な預言をした」のである。
 毛沢東以来、中国共産党は宗教の全てを取り締まり、キリスト教会とモスクを破壊し(多くは地下に潜った)、法輪功を徹底的に弾圧し、臓器を摘出して稼ぎまくり、いまウイグルのイスラム教徒を洗脳し、拷問し、労働改造所で重労働に酷使し、しかも平然と北京五輪を開催して、「世界の一流国」だと虚勢を張るのである。
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 2320回】  
 ――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港202)

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『中國京劇』の2021年11月号は、荒寥とした葦原の外れに立つ小さな茶店――共産党の地下連絡拠点――を舞台にした現代劇「蘆蕩火種」を特集する。

 文革を煽った革命現代京劇の1つである「沙家濱」を改編したものだが、演目名を元の「蘆蕩火種」に戻している。つまり文革前は「蘆蕩火種」だったものが革命現代京劇へ“昇格”したことから「沙家濱」に改められ、今回、「蘆蕩火種」に戻され、内容を一新して公演されたということだ。

「沙家濱」も今回の「蘆蕩火種」も共に主役は茶店を経営する老板娘(オカミさん)の阿慶嫂だが、舞台全体での比重に大きな違いが見られる。この点を同誌は、「現代京劇『蘆蕩火種』では阿慶嫂の出番が増やされ、地下工作者、優秀な共産党員としての彼女の身分が一層強調されている」と伝える。葦原に身を隠し戦傷の治癒と兵力立て直しを進める共産党傷病兵の一群を庇いつつ、彼女は茶店を執拗に疑う日本軍や共産党狩りに血眼になっているヤクザを向こうに回し、知力を尽くして戦う。

 かくして彼女の振る舞いは「より深く、より活き活きとした愛国主義教育」の生きた教材となり、「新時代の社会主義文化建設に新たな、より大きな貢献をなした」となるそうだ。「より深く、より活き活きとした愛国主義教育」とか、「新時代の社会主義文化建設」などと言う手垢の付いたような共産党プロパガンダ常套句が習近平政権に対するヨイショであることは、敢えて指摘するまでもないだろう。

 以上を総括してみると、『中國京劇』が特集として扱った「党的女児」「花漫一碗泉」「文明太后」「夫人城」「母親」「蘆蕩火種」、加えるに「岳母刺字」「楊家女将」――これらの演目は「強いオッカサン」に収斂し、彼女らが指し示す愛国と党への忠誠といった主張に貫かれていると言っておきたい。

「党的女児」の田玉梅、「花漫一碗泉」の白玉蘭、「文明太后」の文明太后馮氏、「夫人城」の韓太夫人、「母親」の葛健豪、「蘆蕩火種」の阿慶嫂、それに「岳母刺字」の岳母、「楊家女将」の?夫人などの「強いオッカサン」の系譜に習近平夫人の彭麗媛を並べてみると、面妖とまでは言わないまでも、やはり不思議な構図が浮かんでくるようにも思う。

 延安以来の共産党の権力闘争、わけても建国以来のそれを追ってみると、江青(毛沢東夫人)、王光美(劉少奇夫人)、葉群(林彪夫人)の微妙な立ち位置を考えないわけにはいかない。彼女らは権力者の配偶者であることをテコに政治の世界で「最高権力者の代弁者」として権力闘争に積極的に関与し、結果として毛も劉も林も、“配偶者の政治嗜好”を阻止できなかったことになる。まさに彼女らは「強いオッカサン」然と政治の世界に闖入していったのである。

 こう振り返って見ると、中国の政治文化において権力者夫人(私)と正式の政治ポスト(公)を峻別するシステムが機能していないようにも思えるが、こういった曖昧模糊としたシステムがあるかぎり、やがて彭麗媛は党中央常務委員ならぬ常務委員、副主席ならぬ副主席として振る舞う可能性は否定できそうにない。このような政治文化からして、『中國京劇』が見せる一連の特集は、あるいは現在中国の「強いオ…

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