十等電信技手幸田露伴(一)函館 | 醒餘贅語

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酔余というほど酔ってはいない。そこで醒余とした。ただし、醒余という語はないようである。

 幸田成行、すなわち後年の露伴が余市を出奔したのは明治二十年八月二十五日である、と本人が「突貫紀行」に書いている。その日は小樽のキト旅館に宿り、翌二十六日枝幸丸で岩内、寿都、松前を経由して二十八日に函館に泊まった。宿はここでもキトである。


 キトという不思議な名前は、ある本によると祈祷から来ているという。徳川時代からの老舗で回漕店と宿屋を営んだらしい。小樽のキトはネット上の地図では色内1丁目6-13にあったことになっている。函館の方が本店らしく、明治三十四年の『函館案内』(小野寺一郎著、函館工業館)によれば東浜町桟橋前の三階建で、当地一番の旅店とされている。東浜町は今の末広町のうち海に近い側を占めていたようで、「北海道第一歩の地」という碑のあるあたりかと思う。キトという字は丁度トキの合字を逆にして同じように一字分に詰めた字体で書かれている。わずかな所持金で着の身着のまま飛び出したような印象だが、卑職とは言え元官吏の格式は保っていたと言えるのではないか。


 函館では市中を散歩するうちふと目についた「ヂグビー、グランドを文魁堂とやら云へる舗にて購ふて帰りぬ」とある。後の版では単に小説を買ったとなっているものもある。このヂグビー、グランドについては既に阪大の橋本順光氏が『大阪大学大学院文学研究科紀要』59巻、55-90頁(2019)においてGeorge Whyte-Melvilleの ”Digby Grand” であろうと推定されている。


 Whyte-Melville(1821-1878)はスコットランドの作家で1852年のヂグビー・グランドを皮切りにスポーツとしての狩猟をテーマとして多くの小説を書いた。この処女出版作のいくつかの版はInternet Archivesから入手できるがAn autobiographyという副題がついている。出だしを見ただけであるが、古いせいなのかスコットランド方言なのかは分からないが、難しくはなさそうだが読みにくい。橋本氏によると露伴がこの小説に言及したことはないそうである。


 文魁堂はおそらく魁文舎のことであろう。函館駅前にかつて棒二森屋という百貨店があって平成末年まで営業していたが、その淵源の一つ金森森屋の書籍販売部門が魁文舎で、販売のみならず出版も行っていた。函館市史にも記載がある。点数は多くないが国会図書館のデジタルコレクション他にいくつか出版物が見つかる。商業英会話、地図、古書の翻刻など雑多である。Digby Grandはおそらく古書かと思うが、新刊と古書の販売、さらには出版などの分化はまだ進んでいなかったのだろう。


 八月二十九日からは湯の川に行き、林長館に滞在した。翌月三日に戻るまで「客あしらひも軽薄ならで、いと頼もしく思」ったこの旅館に五泊したことになる。


 林長館は令和六年の今既にないが、比較的最近まで存続したようである。Googleのストリートビューを見ると、湯の川の松倉川河口近く、熱帯植物園の北側に「林長館」という看板を出した建物がある。2023年6月の写真では、外側に錆が目立ち廃屋のようにも見える。2011年の時点の傷みはそこまでではないが駐車もなく旅館らしい活気は既にない。


 当地の記事を読むと林長館は明治大正期には湯の川を代表する旅館であって、当時の絵葉書等からは三階建ての威容を誇ったようである。あるいは災害等で衰微したのか、これはもう少し湯の川の歴史をあたってみなければ分からない。