速成学館前後 ― 玉井喜作伝への補足(四)速成学館 | 醒餘贅語

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酔余というほど酔ってはいない。そこで醒余とした。ただし、醒余という語はないようである。

 玉井がこのころ設立した速成学館については花袋研究者による論考がいくつかある。創立間もない時期である明治十九年六月十五日付の文書(『東京市史稿市街編第70』所収)には、泰斗小林一郎氏も言及しているが、他に沢豊彦氏、丸山幸子氏による調査がある。この文書、すなわち「府下私立専門各種学校調査」は第一高等中学校(旧東京大学予備門)の依頼による当年四月以降に行われた調査であり、各学校の「名称」「位置」「学科」「入学生徒学力」「修業年月」と一部ではあるが「教旨」を一覧表としている。校主、校長の姓名はない。


 小学校を除いたとあるのは、おそらく高等中学を発足するにあたって、受験乃至入学の要件を精査するための調査依頼ということなのであろう。それでも数が多く時間を要して報告が遅れたと前書してある。総計529校がリストアップされているが、多いのは漢学塾で次いで英語、さらに数学算術や簿記などの学校もある。また複数科目を教授する学校も多い。目的が進学要件の調査であったにせよ、そもそも多様なものが混在していたところへ機械的に並べた結果これだけ膨れ上がったのだろう。
 

 修業年限も様々で、三ケ月という簿記の学校から、十年とか九年とかいう学校もある。九年というある学校の科目は「習字」のみである。これは中等教育というより稽古事であろう。三ケ月の簿記学校もおそらくは算盤塾に毛の生えた程度ではなかろうか。
 

 一部の学校は「教旨」の欄に「官立諸学校入学者ノ為ニ設ク」とか、「海陸測量学生ヲ養成センカ為ニ設ク」といった記載がある。おそらく高等中学が必要としたのはこういった学校の情報であったろう。六十校あまりに「教旨」の記述があるが、このうち官学等に進学するものを対象とすると明記しているものは、数え方にもよるが三十八校で「速成学館」もその一つである。二松学舎や慶應義塾に何も付記していないのは、最高学府相当と認識していたか、されていたかであろう。
 

 一覧は区ごとに書かれているが、数の多い順に神田区87校、麴町区71校、本郷区53校に僅差で芝区52校が続く。速成学館は麹町区三番町六十九番にあり、「大学予備門海陸軍其他官立学校ニ入ント欲スル者ノ為ニ設」けられ、独逸学、数理学、理学、化学を教授し、対象は「小学中等科卒業ノ者若クハ之ト同等ノ学力ヲ有スルモノ」である。数理学は数学で、理学は物理学である。この内容は既に沢豊彦氏が『田山花袋の詩と評論』(沖積社、平成十一年)に引用している。花袋は高等科を終えているため要件は十分であるが、この学校の修業年限が僅か十ケ月であるのは、まさに速成たる所以であろうか。場所は大正元年のものではあるが『東京市及接続郡部地籍地図』に照らせば、今の市ヶ谷駅前おそらくは市ヶ谷プラザの付近である。