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くさかはるの日記

小説『常世の君の物語』と『現世(うつしよ)の君の物語』を手掛けています。
ここでは日常のなんでもないことを書き綴っております。

大学3年生の斗真は、この日もスケッチブックを片手に、絵を描いていた。

今年は9月に入っても暑い日が続いている。

学生寮の一室にあって、冷房代を極力ケチりたい斗真は、嫌々ながら窓を全開にして作業していた。

隣の家との間にある土塀の上を、一匹の猫が歩いて行った。

すると、もう少しで絵が完成する、というところで来客があった。

隣の部屋の和也である。

和也は一声かけると斗真の後ろにまわり、スケッチブックの中身をまじまじと見つめた。

そして「やっぱうまいなー」と言うのだった。

斗真が絵を描いている横で、和也は今日あったことをべらべらとしゃべる。

「斗真はさ、まだ諦めてねぇの?画家」

手土産の酒に口をつけながら、和也がたずねる。

斗真は、美大を目指していたが、3浪した末、諦めて今の大学に通っていた。

「ああ、一生追いかけるつもり。大学を卒業したら美術関係の仕事について研鑽を積みたいと思ってる」

斗真はそう言いながら、赤らんだ顔の和也をスケッチしはじめる。

「うらやましいよな、一途になれるものがあるって」

和也はそう言って口をすぼめて見せる。

「沼にはまってる身からすると結構苦しいこともあるんだけどな」

記憶はあまり鮮明ではないが、当時はそんなことを言っていた気がする。

 

あれから20年が過ぎた。

斗真は独身のまま、現在も時間をみつけては絵を描いて暮らしている。

先日、久しぶりに和也と会って話をした。

なんでも離婚して子供とも別居中なのだそうで、大層さみしいと言うから、学生の頃のようにそんな和也をスケッチしてやった。

すると何を思ったか、和也はそれをSNSのトップページにのせた。

モニタごしに自分の絵を眺めながら、少しは上達しているのかな、と思う斗真であった。

 

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私が生まれたのはとある民家の床下だった。

目の見えないうちから五,六匹の兄妹と一緒に母のお乳を競うように吸っていたのを覚えている。

あるとき、人間の女が床下をのぞきこんで何やら騒ぎ始めたかと思うと、母と私たちは、その女によって家の中へと移された。

それから毎日、女は母に食べ物を持ってくるようになった。

女は母とじゃれあいながら、ときどき私たち子猫ともじゃれあった。

最初は警戒していた私たちだったが、女の匂いにもすぐに慣れて、そのうち女の手からやわらかい餌をもらうようになった。

 

転機が訪れたのは、それから間もなくのことだった。

兄妹のうちの一匹が、女によって抱きかかえられたかと思うと、それきり姿を消してしまったのだ。

私は寂しくなって、不安にもなって、にゃあにゃあ鳴いた。

それでも、女は兄妹たちを一匹、また一匹と消していった。

ついには母まで姿を消した。

私は寂しくなってにゃあにゃあ鳴いた。

しかしそれきり、みんな帰ってこなかった。

しばらくして女はことあるごとに私を見て「ミケ」と言うようになった。

 

時間の間隔など分からないが、それからずっと、私は女と一緒に暮らしている。

いつしか、女が「ミケ」と呼ぶのを待たず、私が先に女の目を見てにゃあと鳴くようになった。

女がぴかぴかする板を見ている間、私はいつも女の膝の上で喉を鳴らすようになった。

しかし最近、夜、女のそばで丸くなるときに、まどろみのなかでふと自分の死を思うようになった。

女が寝ている間に私が死んだらどうしよう、と考えるようになった。

きっと女はひどく驚くに違いない。

死ぬときの姿を見せないというのが私たちのさだめだけれど、もう目も見えなくなってきたし、私の場合はどうやら無理そうだ。

女には悪いけれど、死体の片づけを頼むとして、勝手だけれど今夜あたり、死んでしまおうと思う。

長いような、短いような、一生だった。

この女と一緒で、本当に、よかった。

 

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今朝も朝5時に起きた。

妻が亡くなってからというもの、ひどく早起きになった。

 

起きるとまず、枕元で喉を鳴らしている飼い猫のナミさんに朝ごはんをあげる。

缶詰などの湿った高級ごはんは午後にとっておいて、朝はカリカリの乾いたご飯と決めている。

ナミさんがごはんを食べているあいだに軽く体操をしてシャワーを浴びたら、次は私の番。

タイマーで予約しておいた炊き立てのご飯にインスタントの味噌汁をつけて、主菜はカリカリに焼いた焼き鮭で、副菜は旬の漬物だ。

主菜と副菜は、季節に合わせた器に盛っていただく。

食後には血圧をおさえるための薬を飲むことを忘れずに。

洗い物を手早く片づけたら、玄関に行ってポストから朝刊を取ってくる。

 

新聞を開く前に、まずはコーヒーを淹れる。

豆を手動のミルで挽くところからはじめるが、私は一月ごとに豆の種類を変えて味の違いを楽しんでいる。

フィルターに少し冷ました熱湯をゆっくりと注ぎ入れる。

部屋いっぱいに広がるかぐわしい香りに全身が溶けてゆくような心地を覚える。

そうして、カップ一杯のコーヒーを淹れたら、やっと折りたたまれている新聞を手に取って広げる。

その頃になるとナミさんがかまって欲しそうに膝の上に乗ってくるので、私は片手でその頭をなでながら紙面にざっと目を走らせる。

新聞をあらかた読み終えたら、今度は洗濯物をベランダに干す。

 

妻は亡くなる前に、「私は先に逝くけれど、毎日ちゃんと生きていくんですよ」と繰り返し語っていた。

正直、何が起こってもそれを共有することのできる相手がもういないというのは寂しい限りだが、それでも男ひとり、なんとかやっていけているのは妻のその言葉があったからだ。

妻よ、私はちゃんと生きているだろうか。

ときどきそう問いかけながら、今日も私は生きていく。

窓辺では、飼い猫のナミさんが今日もゆくりとくつろいでいる。

 

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夏休みも終わり、小学校に子供たちの姿が戻ってきた。

そんな子供たちと大きな声であいさつを交わしながら、美智子は門をくぐる。

これまで幾度となく繰り返されてきた朝の光景だ。

けれどこの光景も今年で見納めかもしれない。

 

相場美智子は、23歳の時に就職して以来、ずっと同じ、このあけぼの小学校に勤めてきた。

元々子供が好きだった美智子にとって、小学校の教師は天職だった。

20代の頃は若さ故か、教員同士の人間関係に苦労したけれど、30代、40代と、年を重ねるごとに発言権が増していき、働きやすくなっていった。

 

50代になるとぜひ教頭にと推す声もあったが、美智子はそれを断り現場に立ち続けてきた。

そして今年、美智子は60を迎える。

定年退職しようと思えばできる年齢になり、美智子はひとり悩んでいた。

50歳を超えた頃から体の節々が痛むようになり、もう最近では歩くたびに膝が痛くてたまらなかった。

55歳を超えたあたりから腹に力が入らなくなり、声がしわがれるようになってしまった。

若いころは高音まで出る自分の声を密かに誇らしく思っていたのに。

 

「もう、潮時かしらね」

夫にそう、ぼやいてみる。

美智子と夫は職場結婚だった。

二つ年上の夫は既に60歳で定年退職している。

「今年いっぱいで退職しちゃって、あとは一緒にセカンドライフを楽しもうよ」

と夫は言う。

「セカンドライフって言ったって、一体何をするのよ」

「一緒に小学校のボランティア活動に参加するっていうのはどう?それに習い事を楽しむっていう選択肢もある」

夫の提案に、美智子は悪くない思いがした。

そうだ、定年したって人生は続く。

定年したって小学校と関わり続けることはできるのだ。

それに、今の年から習い事か、なんだかこそばゆい思いがする。

「干支も一周まわるし、新しい人生のスタートをきってもいいかもね」

美智子はそう言うと、子供のように顔いっぱいの笑顔を夫にむけるのだった。

 

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僕は今日で十二歳になる。

それがなんだかとても嬉しくて、僕は朝から手足をばたばたさせて動き回っていた。

ママは「じっとしてなさい!」なんて叱るけれど、だって誕生日なのだ。

仕方がない。

 

学校では朝の会で先生が「今日は酒井良太さんの誕生日です。おめでとうございます」と発表してくれた。

クラスじゅうの視線が僕に集まった。

僕はもじもじしながら「ありがとうございます」と言った。

学校で、僕は一日中特別な人間だった。

 

家に帰るとママがケーキを作っていた。

「ママ、何か僕に言いたいこと、ない?」

僕はもじもじしながら聞いてみた。

「ちょっとあっち行ってて。邪魔だから」

とママは言った。

なんだよ、今日は僕の誕生日だぞ。

特別なんだぞ。

面白くなかった。

ママのいるテーブルから離れて壁をまわったところで、僕は大きな声で「くそばばあ!」と言った。

するとママがケーキを作る手を止めて一目散にやってきて僕の頭を平手で思い切りたたいた。

僕はびっくりした。

だって今日は僕の誕生日なのに。

なんでこんなことが僕に起こるの。

 

でも僕は泣かなかった。

でも僕はママを絶対に許さない。

だって誕生日に僕の頭を叩いたんだ。

暴力を振るわれたんだ。

僕はママを絶対に許さない。

 

結局、この年の誕生日は夜には機嫌を直してステーキを頬張っていた気がする。

あれから20年が経った。

僕もママもそれなりに年をとった。

僕には今年、娘が生まれた。

僕はあの時のママの平手打ちを今でも覚えている。

だから、自分の娘に手を上げることだけは決してしないでおこうと決めている。

ママは今も、テレビでパワハラが問題になると、パワハラを擁護するような発言をするが、暴力を振るわれた方はいつまでも覚えているものだ。

すやすやと眠る娘をのぞきこみながら、これからやってくるこの子の誕生日が祝福されたものでありますようにと僕は願っていた。

 

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