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くさかはるの日記

くさかはる@五十音のブログです。

漫画と小説を書いて暮らしております。

現在、漫画と小説が別ストーリーで展開してリンクする『常世の君の物語』という物語を連載中。

検索していただくと無料で読むことが出来るので、どなた様もぜひお立ち寄りください。

八月もお盆を過ぎたというのに、日差しの勢いは弱まることを知らないらしい。

母がまぶしくないようにベッド脇のカーテンを静かに引いてやると、真由美はひとり静かに丸椅子に腰かけた。

目の前の母には、もう元気だったころの面影はない。

生命維持のために必要最低限の管につながれ、母はこの一年、よく頑張っている。

「まだまだいけるわよね、母さん。それとも、もうあっちに行きたいのかしら」

物言わぬ母の両目は涙と目やにで濁っており、たまにぴくりとまばたきはするが、それは何かに反応しているからでは勿論ない。

病室の中に、たまに不規則に聞こえる母の脈拍を伝える機械音だけが響いている。

 

と、そのとき、真由美の胸に入っていたピッチがメロディを奏でた。

相手は看護師の吉岡だった。

どうやらカルテに不備があったようだ。

今年に入って何度目だろう。

プライベートで問題があっても職場では出さないようにしてきたのだが、決意だけでは駄目らしい。

身内の不幸なんて、この年になれば珍しいことでもないのに。

それでも、たった一人の母だもの。

仕事に影響が出るのも仕方がないじゃないか。

ね、母さん。

母の髪の毛をそっと額になでつけながら、真由美はそう、心の中で呼びかける。

思えば医者になったのを一番に喜んでくれたのは母だった。

その母がもうこの世を去ろうとしている――。

私、いい娘だったかしら。

真由美は呼びかける。

まぁいいわ、バリバリ働いて、あと四、五十年したらあっちで会いましょ。

だから急がなくてもいいからね。

最後に母の手をぎゅっと握って、真由美は病室をあとにした。

廊下に出ると、まばゆいばかりの日差しがあたりを照らしていた。

 

 

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訓練中に右足を骨折した。

独り身はこういう時、気楽なんだか心細いのか分からない宙ぶらりんな気持ちになる。

しかし、幸い消防士仲間に励まされて退屈はしなかった。

 

今日は病院でギプスをとってもらう日だ。

強烈なかゆみともおさらばだと思うと、いてもたってもいられない。

いつも愛想のない受付の女性を横目に、俺は松葉杖をつきながらエントランスをぎこちなく進む。

 

しばらく待合室で待たされた後、個室に呼ばれてみると、今回世話になっている女医がやってきた。

年齢は俺と同年代で、若い頃は美人だったことがうかがえる顔立ちをしている。

あらぬ誤解をうまないように視線を壁掛け時計へと移し黙っていると、簡単な説明の後、ギプスにカッターが入れられた。

説明は受けたものの、カッターで皮膚が切れないのが不思議だ。

最後には、はさみが入れられて、俺のギプスは無事外された。

久しぶりに現れた俺の右足は、白くふやけており、何より強烈な匂いがした。

「くさいっすね」

思わずこぼした感想に女医が「みなさんそうですから」と答える。

ならば安心、というわけにはいかず、俺は恥ずかしさを覚える。

そんな気持ちをはぐらかすように、俺は本当に久しぶりに右足を地面につけてみた。

ゆっくりと体重をのせる。

途端にぐらつき、ベッドに座り込む。

聞くと、数週間はリハビリが必要なのだそうだ。

体力には自信のある俺だ、年齢を重ね忍耐力もついている。

それくらい難なくこなしてやる。

淡々と今後の説明を続ける女医を前に、俺は静かな闘志をもやしていた。

 

せまい病室には、俺の右足が発する強烈な匂いが満ちていた。

 

 

私の名前は谷口加奈子。

結婚願望のない30手前の独身女だ。

仕事は医療事務をやっている。

 

さて、長年特に悩みのない生活を送ってきたけれど、最近はちょっと事情が違う。

上司である宮下さんが原因だ。

宮下さんは35歳の男性で、白衣が張るほど太っているのだが、問題はそこじゃない。

しばらく前から、宮下さんはひどく不機嫌な状態が続いているのだ。

というのも、指示を出す時なんかに、嫌味が混じるようになったのだ。

「なんでそんなこともできないの」とか「そんなの常識でしょ」とか。

噂好きの先輩たちに聞いてみると、どうやら宮下さんの子供が不登校になったらしいということだった。

正直、だからなんだというのだ。

職場で家庭の問題を言い訳にして不機嫌をまき散らさないで欲しい。

自分の機嫌は自分で取れと言うではないか。

大体、自己管理もできないほど太っている宮下さんだ、お子さんに対する教育の面でも問題があったんじゃないだろうか。

だいたい、奥さんは何してたんだろ。

ああ、そんなことよりさっきからまた足がかゆくなってきた。

そういえば仕事の帰りにドラッグストアに寄って買い足しておかないと、もうすぐ薬がなくなるんだった。

こういう時パートナーがいれば一緒に盛り上がれるんだろうけど。

でも下手に結婚して宮下さんとこみたいに子供が不登校になっても嫌だし。

うちは片親だけどそれはそれで大変だったって母からよく聞かされてるし。

独り身は年をとってからが大変だとは聞くけれど、そんなのなってみなくちゃ分からないし。

とりあえず今のところ私の悩みは水虫ということで。

それが何より幸せな証だと思う今日このごろだったりする。

子供が不登校になった。

 

妻にそれとなく子供の様子をたずねると、なんと食欲は旺盛で朝から晩までゲームをしているというではないか。

これは父親である俺が一度きつく叱ってやらねば。

そう思い、俺は子供を呼んだ。

「ちゃんと学校に行きなさい。今勉強しておかないと、将来困るのは自分だぞ。お父さんも若い頃は勉強が嫌だったけどそれでも学校に行ったんだ。お前にもできるから、ちょっと頑張ってみよう」

最初こそ語調を荒くしていた俺だったが、最後は諭すような穏やかな口調となってしまった。

しかし、若いうちから学校で社会性を身につけておかなければ将来現実社会でやっていけなくなる。そうなったら困るのは本人なのだ。

軌道修正するなら、今なのだ。

しかし、俺のその情熱は、翌日虚しく散ることとなる。

子供が姿を消したのだ。

俺は報告を受けてすぐ警察に連絡し捜索願を出した。

 

それから30年が経つ。

俺は定年を迎え、頭には白いものが目立つようになった。

体のあちこちがひどくきしみ、体格は一回り小さくなった。

子供が、どこで何をしているのかは未だに分からない。

連絡ひとつない。

生きているのか、死んでいるのかすら不明だ。

めっきり口数が少なくなり笑顔の絶えた妻は、このごろは一日中ミシンを動かしている。

なぜだ。

俺は何も悪いことはしていないはずだ。

むしろ親としても夫としても優しく面倒見のいい男のはずだ。

くそ。

本来なら、今頃孫の顔でも見て穏やかな老後を送っているはずなのに。

なぜうちの家庭がこんな目にあっているのか。

なぜ俺がこんな目にあうのだ――。

なぜうちの子は他の子みたいに強く育たなかったのか。

くそ。

俺はこのまま死んでいくのか。

くそ。

 

ああ、今日も日が暮れる――。

 

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今日もリビングで母のミシンの音がする。

裁縫の先生をしていた祖母を思い出しているのか、母は週に一、二度ミシンを取り出しガタガタ言わせている。

今は古いTシャツを継ぎはぎして、夏のパジャマにするハーフパンツを作っている。

「あら、また失敗しちゃった」

そう言って縫った糸をほどくのは、もう何度目だろう。

おばあちゃんの手先の器用さは遺伝しなかったなぁ、とはいつもの口癖である。

 

いずれ母が亡くなれば、私も母を思い出してミシンに向かうことがあるのだろうか。

いや、そんな手垢のついたノスタルジーは私の最も嫌いとするところだ。

私はそう思いなおし、手元のスマホに意識を戻す。

 

耳では、多分にババくさいミシンの音を聞きながら。

 

 

 

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