くさかはるの日記 -6ページ目

くさかはるの日記

小説『常世の君の物語』と『現世(うつしよ)の君の物語』を手掛けています。
ここでは日常のなんでもないことを書き綴っております。

今日も都会のコンクリートジャングルまっただ中を、ヒールの音を響かせながらミドリがゆく。

今日は午後から本社で全社会議が行われる。

総務部に所属するミドリは、朝からその準備に大忙しだった。

全社会議って言ったって、どうせ地方から出て来た田舎社員たちの報告会でしょ。

内心ではそんなふうに思っているが、30代中堅ともなるとその感情を表に出すことはない。

今日は後輩の田崎が生理休暇をとっており、先輩の大石も有休をとっていた。

なにもこんな日にやすまなくてもいいじゃないかと思うものの、こんな日だから休みたい社員もいることを、ミドリは承知していた。

ミドリは、コピー機に書類をさしこむ自分の手をしばし見つめる。

今日疲れるのは分かっていたから、昨夜は両手両足にネイルを施し、思い切り自分を甘やかしたのだ。

そのおかげもあって、こうして職場でネイルを眺め、いっときの安らぎを得ることができている。

 

でもそれだけでは今日の労働には見合わない気がしてきた。

よし、今日仕事を終えたら、帰りにマッサージに寄ろう。

奮発して60分コースを選んで、フットケアもしてもらおう。

そうなると、がぜんやる気の湧いてくるミドリである。

そこへ、上司の小森さんがやってきた。

「書類整理が終わったら、次はプロジェクターね、その次にマイクテストで、それが終わったらネームプレート」

矢継ぎ早に出される指示に新入社員の頃は混乱していたが、今ではすんなり頭に入る。

10年も同じ上司の元で仕事をしていれば、言動の癖というのも分かってくるもので、自然とあしらい方も身についてくるというものだ。

 

きめ細かな準備のかいもあって、会議はとどこおりなく終わった。

打ち上げに行かないかと誘われたものの、ミドリはそれを断り駅近くのサロンに直行した。

全身をもみほぐされ、まるで天にものぼる心地の中、案外、今の働き方は性に合っているなと思うミドリであった。

 

※この小説はyoutubeショート動画でもお楽しみいただけます。

 以下のリンクをご利用ください。

 

 

玄関で見送る母に挨拶をして、今日も僕は仕事に向かう。

家から10分ほど車を飛ばして、最寄りの駅に到着。

ここは県庁所在地から離れたかなりの田舎だから、駅は勿論、無人駅だ。

人のいる駅で購入した定期券を鞄の中に入れたまま、僕は形ばかりの改札をくぐる。

朝のホームには、僕と同じような勤め人や、学生たちがちらほら見える。

今頃はみな各々のスマホに夢中で、自分のそばに誰かが近づいたって顔もあげやしない。

 

時間より少々遅れて汽車が到着。

勿論、一両編成、多くても二両編成だ。

汽車の額のプレートには「ワンマン」と書いてあったりする。

僕にとっては幼い頃から変わらない、馴染みのある車体だ。

都会では電車がいくらでも走っているものだから、子供のころから電車好きな子が育つらしいと誰かが言っていた。

僕が知っているのは電車ではなくて汽車だし、知っているのもこの路線だけだから、特別好きということもない。

ただ毎朝、毎晩、いつも同じ時間にやってきては、律儀に人を運んでいく鉄の箱。

僕にとってこの汽車はそんなイメージだ。

 

仕事を終えて、夕方18時の汽車に乗る。

ここでもやはり、いつもの汽車だ。

一日働いてくたびれた僕を、学生たちを、がたんごとんと運んでゆく。

ときどき都会に出張に行って都会の電車に乗る機会があるけれど、がたんごとんという衝撃の大きさが違うことに驚いた。

田舎は衝撃が大きく、都会は衝撃が小さいのだ。

汽車と電車の差なのだろうかと思うが、僕は特別電車に詳しいわけでもないのでよくは知らない。

ただ、がたんごとんと大きな衝撃とともに、山々や海辺を渡ってゆくこの路線を、僕はなんだか心地よく感じている。

特別好きというわけではない。

単に愛着を感じているのだろう。

今日も僕はおなかをすかせて無人駅に降りる。

また明日もよろしくな、と暗闇の中こうこうと光るいつもの車両に向かい内心つぶやきながら。

 

※この小説はyoutubeショート動画でもお楽しみいただけます。

 以下のリンクをご利用ください。

 

 

 

高校2年の秋、私たちの学年は体育館に集められた。

何の話だろうと思えば、これから始まる受験についての話だった。

私たちの学校は県下随一の進学校で、毎年東大に数人入る程度の学力を誇っていた。

毎年学年があがる際にクラス替えの試験が実施され、上位何位かに入ることが出来れば、晴れて文系理系それぞれ学年に一クラスある進学クラスに入ることが出来る、というシステムだった。

前回のクラス替えのテストで、私はぎりぎりで進学クラスに入ることが出来なかった。

一方で、進学クラスから落ちてきた生徒もいた。

彼らは、さすが進学クラスにいただけのことはあり、日頃から勉強をする姿勢が身についていた。

隙が無い、というべきか。

常に勉強のことを考えているし、家に帰っても勉強しかしていない。

私はこういう人たちと大学受験を戦うのか、と思うと気が遠くなったことを覚えている。

 

ある日、土手を歩いていると、父娘とおぼしき二人とすれ違った。

若い女の人が「ごめんね」と年配の男性に謝っていた。

姿勢の悪い、いかにも卑屈そうなその女の人を見て、大人になってもああはなりたくないなと思った。

そう、私はこんな地方の田舎で埋もれて人生を終えたくはない。

都会に出て、ひとかどの人間になるのだ。

お金もたくさん稼いで、いい部屋に住んで、いい暮らしをして、素敵な人と巡り合って、素敵な恋をして、素敵な人生を送るのだ。

私は断じて、こんな片田舎で終わる人間ではない。

 

それが、学生の頃の私の信条だった。

しかし、結局私は大学受験に失敗した。

今、私は一浪して県内の国公立大学を目指している。

両親と話し合いをした結果、資金面でもそれしか進路がないと言われたのだ。

人生、ままならない。

私は今、はじめて挫折を味わっている。

私はこんな片田舎で大学生活を送り、卒業し、就職し、結婚し、一生を終えていくのか。

世の中、なんて不公平なんだ。

私の脳裏に、あの日、土手ですれちがった女性の姿が浮かんでいた。

 

※この小説はyoutubeショート動画でもお楽しみいただけます。

 以下のリンクをご利用ください。

 

 

今年で三十三歳になる娘が、夫と離婚して帰ってきた。

父親の自分としては、ここで厳しく迎えるべきなのか、はたまた、あたたかく迎えるべきなのか、しばし悩んだ。

しかし結局妻の絵里と相談し、特別なことはせずにそっとしておこうという話になった。

そういうわけで、娘が帰ってきたその日の夕食の席では、離婚については一言も触れずにいた。

食卓には気まずい沈黙が流れたが、当の娘は親の心配も知らずにもりもりと好物の唐揚げを口に運んでいた。

孫がいればまた違うのだろうが、完全な独り身に戻り、娘はどこかのびのびとしているようにも見えた。

 

日曜、家でごろごろしていた娘を見かねて、俺は娘を釣りに誘った。

しかし娘の返事はノーだった。

やれ手が汚れるだの、やれ生き物を殺すのはしのびないだのと言っている。

「そんなことだとダメ人間になるぞ」

と、俺は叱った。

娘はそんな俺を見て「別にいいし」と口をとがらせる。

娘とは、一度きちんと話をしなければならない。

俺は釣りを諦めて、「じゃあ散歩でもどうだ。途中、お茶でもしよう」と誘ってみた。

娘は「それなら行く!」と言い、身支度をはじめた。

 

俺と娘は連れ立って、近所を流れる川の土手を歩いた。

まだ蒸し暑さの残る、九月上旬である。

俺と娘は無言で、ときどき前後を入れ替わりながらゆっくりと歩いた。

すると橋の上に来たとき、娘が「ごめんね」とひとこと言った。

俺は間を置かず「別に謝ることじゃない」と返した。

それきり俺たちは何も言わず、ただ連れ立って、ゆっくりと歩いた。

 

それからどれほどの時が経っただろう。

結局、娘は再婚しなかった。

俺は孫の顔を見ることが叶わずこの世を去ろうとしている。

それでも、思い出されるのはあの日、娘と歩いた九月の土手だ。

もう二度と娘と一緒に歩くことは叶わないが、思い出を胸に、俺は今、ひとり静かに人生を終えようとしている。

 

※この小説はyoutubeショート動画でもお楽しみいただけます。

 以下のリンクをご利用ください。

 

「ごめん、もう、無理」

葵がそうきりだしたのは、残暑の厳しい9月はじめのことだった。

いつ頃からだったろうか、たぶん元をたどれば2,3年前にさかのぼる。

最初はささいなすれ違いだった。

夫が仕事の帰りで遅くなるのに連絡を入れなかっただとか、葵が寝坊をして弁当を作れなかっただとか。

そういった日常の細々したことが重なっていって、気づけば修復不可能なほどに二人の溝は深くなっていた。

 

「無理って、それ、俺のセリフだし」

涙目でうったえる葵に対し、夫は視線をそらしながらそう言い、口をすぼめた。

「じゃあ、離婚ってことで、いい?」

葵の中に、夫に少しでも否定して欲しい気持ちがあったことは否めない。

けれど勢い口から出てしまった離婚という言葉を、葵は取り消そうとは思わなかった。

「うん、じゃあ、離婚しよ」

夫の返答はそんなシンプルなものだった。

そうして、葵は夫と離婚することになった。

 

二人のあいだには子供もおらず、共働きのうえ、住宅ローンがあるわけでもなかったため、離婚話は役所に書類を提出するだけという簡単なもので片が付いた。

離婚届けを出したその日に、葵は実家へと戻った。

両親にはあらかじめ話を通していたため驚かれることはなかったけれど、この年になって学生時代のころに使っていた部屋に自分が戻ることになろうとは、葵も予想していなかった。

ベッドにあおむけになり、10代の頃の自分の趣味で彩られた室内を見渡しながら、時間の経過に感じ入る。

「葵、お父さんお風呂あがったから入っちゃって」

階下から母が呼ぶ。

「はぁい」

まるで学生に戻ったかのようで、葵はどこかくすぐったい。

しばらくは両親に甘えて、離婚で疲れた心を癒してもいいかな。

修学旅行のときに買ったキャラクターつきのボールペンを眺めながら、葵はそんなことを思うのだった。

 

※この小説はyoutubeショート動画でもお楽しみいただけます。

 以下のリンクをご利用ください。