「ごめん、もう、無理」
葵がそうきりだしたのは、残暑の厳しい9月はじめのことだった。
いつ頃からだったろうか、たぶん元をたどれば2,3年前にさかのぼる。
最初はささいなすれ違いだった。
夫が仕事の帰りで遅くなるのに連絡を入れなかっただとか、葵が寝坊をして弁当を作れなかっただとか。
そういった日常の細々したことが重なっていって、気づけば修復不可能なほどに二人の溝は深くなっていた。
「無理って、それ、俺のセリフだし」
涙目でうったえる葵に対し、夫は視線をそらしながらそう言い、口をすぼめた。
「じゃあ、離婚ってことで、いい?」
葵の中に、夫に少しでも否定して欲しい気持ちがあったことは否めない。
けれど勢い口から出てしまった離婚という言葉を、葵は取り消そうとは思わなかった。
「うん、じゃあ、離婚しよ」
夫の返答はそんなシンプルなものだった。
そうして、葵は夫と離婚することになった。
二人のあいだには子供もおらず、共働きのうえ、住宅ローンがあるわけでもなかったため、離婚話は役所に書類を提出するだけという簡単なもので片が付いた。
離婚届けを出したその日に、葵は実家へと戻った。
両親にはあらかじめ話を通していたため驚かれることはなかったけれど、この年になって学生時代のころに使っていた部屋に自分が戻ることになろうとは、葵も予想していなかった。
ベッドにあおむけになり、10代の頃の自分の趣味で彩られた室内を見渡しながら、時間の経過に感じ入る。
「葵、お父さんお風呂あがったから入っちゃって」
階下から母が呼ぶ。
「はぁい」
まるで学生に戻ったかのようで、葵はどこかくすぐったい。
しばらくは両親に甘えて、離婚で疲れた心を癒してもいいかな。
修学旅行のときに買ったキャラクターつきのボールペンを眺めながら、葵はそんなことを思うのだった。
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