くさかはるの日記 -4ページ目

くさかはるの日記

小説『常世の君の物語』と『現世(うつしよ)の君の物語』を手掛けています。
ここでは日常のなんでもないことを書き綴っております。

「おはようございます」

玄関を出ると隣人の男性と鉢合わせして、あわてて挨拶をする。

高齢の夫婦とその息子であろう男性という家族構成だが、つきあいは挨拶をする程度で、それ以上の会話はない。

いつもの朝である。

 

仕事へと向かう夫を送り出し、ゴミ出しをして、私もパートへと向かう。

私の職場は自転車で5分ほどの場所にある和菓子工場だ。

防護服のような白衣に身を包み、毎日毎日ベルトコンベアの上を流れてゆく和菓子に手を加える。

毎日毎日毎日毎日、ベルトコンベアの前に立って手を動かす。

何も考えなければ苦ではない。

パートは定時きっかりに終わる。

家に帰って一息ついてから夕飯の支度にとりかかる。

夫はいつも1,2時間ほど残業をして帰ってくる。

夫とはもう連れ添って15年になる。

子供はいない。

子供をつくろうとしたことはあったが、授からないのだから仕方がないねという話になり、二人で数年前に諦めることにした。

それ以来、夫とはなんだか晩年を迎えた老夫婦のような関係になっている。

当たり前だけれど、同じ空間に二人しかいないので、自然と話題が尽きてくる。

それに、どちらかがイライラしているとそれが伝染してもう片方もイライラしてしまう。

そういうことが分かっているから、夫と私はつとめて明るく振舞い、どちらからともなく話題を提供するという習慣がついた。

そこで最近、話題となっているのが隣人である。

隣の人は両親が亡くなれば一人だよね、僕たちはまだましだね、などと言い合っている。

昨日も、一昨日も、同じ話題で盛り上がった。

そうして同じ話題に飽きたら、次の話題を引っ張り出す。

その繰り返し。

こんな私たちの日々はまるでベルトコンベアの上の和菓子のようだ、と思う。

同じような日々の中で、ほんのり甘くて、味わい深い時間が流れる。

こうして私と夫は人生の最後まで一緒にゆくのだろう。

このベルトコンベアがどうか最後まで続きますように、私はひとり勝手に願っている。

 

 

※この小説は、youtubeショート動画でもお楽しみいただけます。

 以下のリンクをご利用ください。

 

 

「ただいま」

夕方、仕事から帰って、俺はまず手を洗う。

そうしていると、毎回必ず、奥の間から母の「おかえり」というか細い声が聞こえる。

「ただいま」

と、今度は母の顔を見て笑顔で答える。

これが、俺と母のここ数年の決まったやりとりである。

 

両親が二人とも80代となり、細々と続けていた仕事も引退して数年が経つ。

一方の俺は50代となり、この年で独身、子供もいない。

気楽な独り身ということで、長男の俺が家に残り、他の兄弟姉妹はみな結婚して独立した。

結婚については、この年まで縁が無かったのだからもう一生ないだろうとふんでいる。

50を過ぎたころから諦めも板についてきて、代わりに甥っ子や姪っ子をことさらかわいがるようになった。

俺の役目は両親を見送ることなのかもしれないと、最近では思う。

その後は――。

その後を考えると、ひとり途方に暮れる。

身内がいるとはいえ、たった一人で生涯を終えるのか、と途端に寂しくなる。

しかし一方でここまで気楽な独り身を貫いてきたのだ、もう今更他人との共同生活は無理だろうと思う。

結局、生涯独り身確定なのだ。

 

俺などはまだいい。

友人の智也などは独身のうえ一人っ子だ。

つまり本当にたった一人になってしまうのだ。

そう思うと、幾分か自分の境遇がましに思えるから不思議なものだ。

自分でもこういう考えはいやらしいと思うが、智也よりはましなのだと思うと今の生活も悪くないと思えてしまうのだから仕方がない。

しかし、去年足を骨折して以来急に気弱になった母と、病気の父の世話をこうして毎日しながら、俺の老後は一体誰が面倒をみてくれるのだろうという気になる。

老後のために子供を作ったわけではない、という声が聞こえてきそうだが、切実な問題である。

両親の下の世話を終えると、俺はひとり撮りためていたアニメを見る。

ささやかな自分へのご褒美として。

奥の間から響いてくる両親の咳の音を背中で聞きながら。

 

 

※この小説は、youtubeショート動画でもお楽しみいただけます。

 以下のリンクをご利用ください。

 

 

職場で三つ年下の柿崎君といけない仲になったのは、去年のクリスマスのことだった。

仕事帰りの飲み会で隣同士になり、話が盛り上がって二人して抜け出してそのままベッドイン。

よくある話に聞こえるかもしれないが、問題があった。

それは柿崎君も私も結婚している、ということだった。

 

私たちはその後何度も人目を忍んで逢瀬を重ねた。

ときに二人して残業のあとで、ときに片方をホテルの一室で待ちながら、という具合に。

私の夫は仕事で忙しく、とても私の変化には気がついていないようだった。

柿崎君のところも共働きだが、奥さんは気がついていないということだった。

 

「俺たち、どうなっちゃうんでしょうね」

と、ある時、柿崎君が言った。

「なんで他人事みたいに言うのよ」

と私はつっかかった。

「お互いに家庭のある身ですし、この辺にしておきませんか」

と、柿崎君は言った。

「え、私は嫌」

と私は応えた。

私たちが関係を持ってから、十カ月が経とうとしていた。

 

「離婚、してくれないか」

と夫から切り出されたのが、十一月に入ったころのことだった。

「なんで」とは聞けなかった。

私はひとこと「分かった」と言い、夫が差し出してきた離婚届にサインした。

 

夫と離婚したことを柿崎君に告げると、「俺は離婚とか出来ないですからね」と念を押された。

私、何やってるんだろう、と自分で馬鹿馬鹿しくなった。

今年のクリスマスはひとりで過ごそう。

秋も深まってきた街並みを眺めながら、私はひとりそう決意するのだった。

 

 

※この小説は、youtubeショート動画でもお楽しみいただけます。

 以下のリンクをご利用ください。

 

 

 

 

今日をもって、後期高齢者となった。

つまり、今日、僕は75歳の誕生日を迎えた。

この年になると誕生日といっても特別の思いはなく、ただいつも通りの一日が訪れているといった印象だ。

だが、僕はあえてスーパーでショートケーキを買った。

定年退職をしてから調べたのだが、あまりにも変化がなく単調な日々を送っていると、認知症が早く訪れてしまうという。

だから誕生日というイベントを大きな変化としてとらえ、自ら大げさに祝うことにより、認知症防止をはかろうと目論んだわけだ。

特別甘いものが好きというわけではないのだが、誕生日といえばやはりこれだろう、ということで、数あるケーキの中からショートケーキを選んだ。

 

家路につきながら、この十年を振り返る。

65歳で仕事をやめて以降、僕は貯金を崩しながら生活していたが、二か月前にそれも底をつき、先月から生活保護のお世話になっている。

もっと貯金しておくべきだったと思ったが、就職難で一度も定職についたことのない僕だ、こうなることは分かっていた。

老後、贅沢はできないと最初からあきらめていたため、今の生活に不満はない。

むしろ国のお世話になることで、まるで国に守られているように感じられて心強い。

その点、日本に生まれて本当によかったなと思う。

あとは死ぬまでの時間をどう過ごすかという問題が残っているが、僕は本が好きなので、毎日図書館に行ったり本屋に行って立ち読みをしたりして過ごそうと思っている。

それに、今では誰でもネットで文章が書ける時代だ。

死ぬまでの間、暇つぶしに日記のようなものをネットで公開してみても面白い。

こんな僕だけれど、せめて生きた証をネットの海に流そうと思う。

そういえば今日は75歳の誕生日だ。

よし、今日から始めてみるか。

そう思い立った僕は、足腰が弱っているのも忘れて、いつもより軽い足取りで家路についたのだった。

 

 

※この小説は、youtubeショート動画でもお楽しみいただけます。

 以下のリンクをご利用ください。

 

 

真っ白なキャンバスを前に、美紀はうなり声をあげたくなっていた。

場所はとある高校の技術棟2階、美術室の片隅である。

十月に開催される文化祭に出展する絵のテーマが決まらない。

美紀の頭を悩ませているのは、その一点だった。

友人の綾は既に半分ほど描き上げているし、後輩の井上君ももう下書きを終えていた。

一年に一度、一般の人を含めて自分の絵を見てもらえる貴重な機会だ。

手は抜きたくない。

そう思えば思うほど、ますます頭の中が散らかってゆく。

 

家に帰っても、美紀はあれこれと落書きをしては消すを繰り返していた。

そこへ、夕飯ができたと母の呼ぶ声がした。

はぁいと返事をしてリビングへ行く。

夕飯は美紀の大好物のハンバーグだった。

美紀はそれに箸をつけながら、「ねぇ、お母さんが創作で大事にしてることってなあに」と尋ねた。

美紀の母は趣味でハンドメイドをしており、アクセサリーを作っていた。

「そうねぇ、わくわく感かしら」

母の答えに、「わくわく感かぁ」と美紀は曖昧に返事をする。

「じゃあ、お父さんは?」

と、今度は父に尋ねてみた。

美紀の父は建築家である。

「そうだなぁ、実用性、かな」

予想に反して現実的な答えに、美紀は「えー」と曖昧に笑った。

「今度の文化祭の絵のテーマが決まらないんだよね。何かいい案ない?」と、美紀は面倒くさくなり思い切って尋ねてみた。

すると両親は「それは自分で考えなさい」と揃って言った。

「えー」と美紀は不満を口にした。

 

その晩、美紀は夢を見た。

その夢は、わくわくして、でもどこか現実味を帯びた夢だった。

 

次の日の放課後、美紀は美術室でキャンバスに向かっていた。

「あれ、美紀ちゃんやっとテーマ決まったの」

友人の綾が背後から声をかける。

「うん、わくわくして、現実味のあるSF世界の風景を描くことにした」

果たしてこの絵は、「我が家の世界」という題で、文化祭でひときわ人目をひくことになるのだった。

 

※この小説は、youtubeショート動画でもお楽しみいただけます。

 以下のリンクをご利用ください。