みじかい小説 / 026 / 俺の場合 | くさかはるの日記

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くさかはる@五十音のブログです。

漫画と小説を書いて暮らしております。

現在、漫画と小説が別ストーリーで展開してリンクする『常世の君の物語』という物語を連載中。

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「ただいま」

夕方、仕事から帰って、俺はまず手を洗う。

そうしていると、毎回必ず、奥の間から母の「おかえり」というか細い声が聞こえる。

「ただいま」

と、今度は母の顔を見て笑顔で答える。

これが、俺と母のここ数年の決まったやりとりである。

 

両親が二人とも80代となり、細々と続けていた仕事も引退して数年が経つ。

一方の俺は50代となり、この年で独身、子供もいない。

気楽な独り身ということで、長男の俺が家に残り、他の兄弟姉妹はみな結婚して独立した。

結婚については、この年まで縁が無かったのだからもう一生ないだろうとふんでいる。

50を過ぎたころから諦めも板についてきて、代わりに甥っ子や姪っ子をことさらかわいがるようになった。

俺の役目は両親を見送ることなのかもしれないと、最近では思う。

その後は――。

その後を考えると、ひとり途方に暮れる。

身内がいるとはいえ、たった一人で生涯を終えるのか、と途端に寂しくなる。

しかし一方でここまで気楽な独り身を貫いてきたのだ、もう今更他人との共同生活は無理だろうと思う。

結局、生涯独り身確定なのだ。

 

俺などはまだいい。

友人の智也などは独身のうえ一人っ子だ。

つまり本当にたった一人になってしまうのだ。

そう思うと、幾分か自分の境遇がましに思えるから不思議なものだ。

自分でもこういう考えはいやらしいと思うが、智也よりはましなのだと思うと今の生活も悪くないと思えてしまうのだから仕方がない。

しかし、去年足を骨折して以来急に気弱になった母と、病気の父の世話をこうして毎日しながら、俺の老後は一体誰が面倒をみてくれるのだろうという気になる。

老後のために子供を作ったわけではない、という声が聞こえてきそうだが、切実な問題である。

両親の下の世話を終えると、俺はひとり撮りためていたアニメを見る。

ささやかな自分へのご褒美として。

奥の間から響いてくる両親の咳の音を背中で聞きながら。

 

 

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