「アイスコーヒーひとつ、無糖で」
今日も俺はいつもの喫茶店でアイスコーヒーを頼む。
暦は10月になったとはいえ、家から喫茶店までの道のりを歩くと、軽く汗ばむ陽気だ。
「モーニングセットはおつけいたしますか?」
「いや、いい」
朝食は家で軽く食べてきたので、いつも断ることにしている。
俺は入り口近くの専用コーナーから適当な新聞を取ってきて、自分の席で広げた。
今日は何か目新しいニュースでもあるだろうか。
今時スマホもあるのだが、老眼のため、より目に優しい新聞に頼ってしまう。
しばらく新聞を読んでいると、隣のボックス席に男性3人組がやってきた。
和気あいあいとした雰囲気で、高校生以来の友人がそのまま定年を迎えたような仲の良さだった。
俺にもああいった友人がいたらなぁ、と思うが、いないのだから仕方がない。
3人の声を背中で聞きながら、俺は再び新聞に目を落とした。
家に帰ると妻がベランダで布団を干していた。
「あら、おかえりなさい。いつものとこ?」
妻が尋ねる。
「そう、いつものとこ」
と俺は答える。
この年になると夫婦の会話も減ってきて、話題はいつも同じものになってしまう。
そういえば、もうすぐ妻の誕生日だ。
何か特別なことがしたいが、妻は一体何に喜んでくれるだろう。
そう思い、妻の背中に「誕生日、何が欲しい?」と率直に尋ねてみた。
すると「何もいらわないわよ。あなたと過ごせれば」という声が聞こえた。
そう言われると少々照れ臭いが、そうは言っても何かプレゼントを渡したい。
「じゃあ、一緒にいつもの喫茶店に行くか」
と、俺はなんとなく思いついて、そう口にしていた。
誕生日の朝、俺と妻は喫茶店のボックス席にいた。
「アイスコーヒー二つ、無糖で」
二人とも家から歩いてきて息があがっていた。
「それから、モーニングもお願いします」
俺はそう言うと、妻と目を合せ、にかっと笑った。
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