くさかはるの日記

くさかはるの日記

くさかはる@五十音のブログです。

漫画と小説を書いて暮らしております。

現在、漫画と小説が別ストーリーで展開してリンクする『常世の君の物語』という物語を連載中。

検索していただくと無料で読むことが出来るので、どなた様もぜひお立ち寄りください。

くさかはる@五十音のブログ

私は男運が無い。

 

簡単に私の男遍歴を紹介すると、10代の頃は根暗だったために恋愛とは無縁に過ごし、24歳のときに職場の上司に強引に迫られ不倫の関係になる。

これが初めての相手。上司が女遊びをしていることを奥さんは了解済みであるという、ずいぶんおおらかな環境だった。

私自身そんな相手に本気になれるわけもなく、私がフェードアウトするという形で上司との関係は終わった。

その後、やはり職場で、年下の学生君とつきあいだす。

この相手がかなりナルシストで、自分とつきあうことがどれほど特別かを言って聞かせるような奴だった。

というわけで一年ほどで別れた。

3人目の相手は、これが最悪だった。やわらかな印象で優しさを前面に出してきたものだから勢い結婚したはいいが、その後、次第に口調が乱暴になり、一年が経つころには私を殴るなどの暴力を振るってきた。即、離婚を決めた。子供ができる前でよかった。

 

この頃、私は仕事が激務でメンタルを病む。

具体的には統合失調症という病気になる。

この病気は人によって幻聴が聞こえたり幻覚が見えたりするのだが、私の場合は幻聴で、四六時中誰かが話しているのが聞こえた。

幸い薬で幻聴は聞こえなくなり、徐々に普通の生活ができるようになっていった。

しかしメンタルを病んだことで仕事はなくなり友人の数もほぼ0になった。

逆にすがすがしいなと思うに至ったのは、それから数年経ってからのことである。

 

今、私は夫と二人で暮らしている。

病気のことは夫には言っていないが、私が何かの薬を飲んでいることは把握しているので、何かしらの持病があることは知っている。

最近なんとなく、夫に病気のことを打ち明けてみようかと思っている。

夫はどんな反応を示すだろうか。

果たしてそれは、私の男運と、どれほど関係があるだろうか。

とりあえず今夜、夕食の後で、打ち明けてみたいと思う。

 

 

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大輔の朝は早い。

散歩をして、朝食をとって、はじまる時間より前に、病院に向かう。

出入口には同じような人たちがいて、ひとこと、ふたこと挨拶を交わす。

待合室で座っていて、看護師がだんだんと声を大きくしていく。

途中で自分の名前だと気がつく。

はじめの頃はイラついたものの、今では慣れて笑顔で応じるようにしている。

病院はいい。

誰かが自分のことを気にかけてくれるから。

と大輔は思う。

 

ひとりで暮らしていると、まるでこの世の中にたった一人取り残されたんじゃないかと感じる時がある。

果たして、自分は死ぬまでこうしてたったひとりで生きていくのかと思うと、気が遠くなる時もある。

しかし大輔にはひとつの決意があった。

就職してから定年まで一筋に勤め上げた社会人人生を振り返ると、死ぬまでの長さに耐えることなど何でもないと思えてしまうのだ。

この体で、死ぬまで、生き抜いてやるから、よく見ておけ。

老いてもそんなプライドだけは捨てたくない。

と思う大輔である。

だが同時に、頑固にはなりたくない。

年老いて頑固になり手に負えなくなった老人を見ると、なんと痛々しいことか、と思う。

自分はそうはなりたくない。

と思う大輔である。

大輔は自分でよく料理もする。

第一に、認知症予防であったし、第二に、よい暇つぶしでもあった。

今日の晩御飯はナスの田楽である。

ナスは自宅でとれたものだ。

ベランダにプランターを買って種から育てた野菜を収穫するときの喜びといったら。

また大輔は習字を趣味としていた。

たったひとり、半紙に向かい墨をすっていると無心になれて精神的にとてもよいのだ。

半紙に、大きな文字で「希望」と書く。

手本はネットで見つけた文字のうまい人たちだ。

文字を書き終わって、一息つく。

筆を洗って、お茶を淹れる。

それをありがたく、ゆっくりといただく。

死ぬまでこうしておれたらいいな、と思う大輔であった。

 

 

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「おはようございます」

玄関を出ると隣人の男性と鉢合わせして、あわてて挨拶をする。

高齢の夫婦とその息子であろう男性という家族構成だが、つきあいは挨拶をする程度で、それ以上の会話はない。

いつもの朝である。

 

仕事へと向かう夫を送り出し、ゴミ出しをして、私もパートへと向かう。

私の職場は自転車で5分ほどの場所にある和菓子工場だ。

防護服のような白衣に身を包み、毎日毎日ベルトコンベアの上を流れてゆく和菓子に手を加える。

毎日毎日毎日毎日、ベルトコンベアの前に立って手を動かす。

何も考えなければ苦ではない。

パートは定時きっかりに終わる。

家に帰って一息ついてから夕飯の支度にとりかかる。

夫はいつも1,2時間ほど残業をして帰ってくる。

夫とはもう連れ添って15年になる。

子供はいない。

子供をつくろうとしたことはあったが、授からないのだから仕方がないねという話になり、二人で数年前に諦めることにした。

それ以来、夫とはなんだか晩年を迎えた老夫婦のような関係になっている。

当たり前だけれど、同じ空間に二人しかいないので、自然と話題が尽きてくる。

それに、どちらかがイライラしているとそれが伝染してもう片方もイライラしてしまう。

そういうことが分かっているから、夫と私はつとめて明るく振舞い、どちらからともなく話題を提供するという習慣がついた。

そこで最近、話題となっているのが隣人である。

隣の人は両親が亡くなれば一人だよね、僕たちはまだましだね、などと言い合っている。

昨日も、一昨日も、同じ話題で盛り上がった。

そうして同じ話題に飽きたら、次の話題を引っ張り出す。

その繰り返し。

こんな私たちの日々はまるでベルトコンベアの上の和菓子のようだ、と思う。

同じような日々の中で、ほんのり甘くて、味わい深い時間が流れる。

こうして私と夫は人生の最後まで一緒にゆくのだろう。

このベルトコンベアがどうか最後まで続きますように、私はひとり勝手に願っている。

 

 

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「ただいま」

夕方、仕事から帰って、俺はまず手を洗う。

そうしていると、毎回必ず、奥の間から母の「おかえり」というか細い声が聞こえる。

「ただいま」

と、今度は母の顔を見て笑顔で答える。

これが、俺と母のここ数年の決まったやりとりである。

 

両親が二人とも80代となり、細々と続けていた仕事も引退して数年が経つ。

一方の俺は50代となり、この年で独身、子供もいない。

気楽な独り身ということで、長男の俺が家に残り、他の兄弟姉妹はみな結婚して独立した。

結婚については、この年まで縁が無かったのだからもう一生ないだろうとふんでいる。

50を過ぎたころから諦めも板についてきて、代わりに甥っ子や姪っ子をことさらかわいがるようになった。

俺の役目は両親を見送ることなのかもしれないと、最近では思う。

その後は――。

その後を考えると、ひとり途方に暮れる。

身内がいるとはいえ、たった一人で生涯を終えるのか、と途端に寂しくなる。

しかし一方でここまで気楽な独り身を貫いてきたのだ、もう今更他人との共同生活は無理だろうと思う。

結局、生涯独り身確定なのだ。

 

俺などはまだいい。

友人の智也などは独身のうえ一人っ子だ。

つまり本当にたった一人になってしまうのだ。

そう思うと、幾分か自分の境遇がましに思えるから不思議なものだ。

自分でもこういう考えはいやらしいと思うが、智也よりはましなのだと思うと今の生活も悪くないと思えてしまうのだから仕方がない。

しかし、去年足を骨折して以来急に気弱になった母と、病気の父の世話をこうして毎日しながら、俺の老後は一体誰が面倒をみてくれるのだろうという気になる。

老後のために子供を作ったわけではない、という声が聞こえてきそうだが、切実な問題である。

両親の下の世話を終えると、俺はひとり撮りためていたアニメを見る。

ささやかな自分へのご褒美として。

奥の間から響いてくる両親の咳の音を背中で聞きながら。

 

 

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職場で三つ年下の柿崎君といけない仲になったのは、去年のクリスマスのことだった。

仕事帰りの飲み会で隣同士になり、話が盛り上がって二人して抜け出してそのままベッドイン。

よくある話に聞こえるかもしれないが、問題があった。

それは柿崎君も私も結婚している、ということだった。

 

私たちはその後何度も人目を忍んで逢瀬を重ねた。

ときに二人して残業のあとで、ときに片方をホテルの一室で待ちながら、という具合に。

私の夫は仕事で忙しく、とても私の変化には気がついていないようだった。

柿崎君のところも共働きだが、奥さんは気がついていないということだった。

 

「俺たち、どうなっちゃうんでしょうね」

と、ある時、柿崎君が言った。

「なんで他人事みたいに言うのよ」

と私はつっかかった。

「お互いに家庭のある身ですし、この辺にしておきませんか」

と、柿崎君は言った。

「え、私は嫌」

と私は応えた。

私たちが関係を持ってから、十カ月が経とうとしていた。

 

「離婚、してくれないか」

と夫から切り出されたのが、十一月に入ったころのことだった。

「なんで」とは聞けなかった。

私はひとこと「分かった」と言い、夫が差し出してきた離婚届にサインした。

 

夫と離婚したことを柿崎君に告げると、「俺は離婚とか出来ないですからね」と念を押された。

私、何やってるんだろう、と自分で馬鹿馬鹿しくなった。

今年のクリスマスはひとりで過ごそう。

秋も深まってきた街並みを眺めながら、私はひとりそう決意するのだった。

 

 

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