1960年代生まれ 妻と二人暮らし
ラグビーをしてた学生時代はナイスバディ
だったのに今は無残な体重90kgのデブおやじ
妻の愚痴にあきらめたくないと一念発起して
細マッチョを目指し迷走中。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いつもブログを訪問下さりありがとうございます。
今回はダイエットから少し話題を変えてマクドナルドの話しです
みなさんは『青いマクドナルドの日』を御存知でしょうか
年に一度、今年は11月19日(日曜日)にハッピーセットの売上から1セット購入につき『50円』がドナルドマクドナルド財団に寄付されます。
ドナルドマクドナルド財団って何
身内に寄付するの
って思いますよね
『ドナルドマクドナルドハウス』という施設がある事を御存知ない方が殆どだと思います。
『ドナルドマクドナルドハウス』とは病気と向き合う子供たちと、その看病をする御家族の宿泊施設です。
100%寄付とボランティアで運営されていて、全国に11施設、
関西だと摂津市と神戸市にあります。
50年前→もう半世紀前
初めてマックに行った時の事は今でも鮮明に覚えています。
母と二人、地元の商店街に出来たお店に行きました。
『フィレ.オ.フィッシュ』ってなんそれ?
フィッシュバーガーとちゃうねん
おっしゃれーーー
『マックシェイク』なんこれ?
めっちゃうまいやん
お姉さんもめっちゃ笑顔で綺麗な人ばっかりやんか
『もうここはアメリカやんか、アメリカやん』
商店街のおばちゃんやおっちゃんばかり見てきた少年には『スマイル0円』の笑顔のお姉さんは『アメリカ人ちゃうの?』とさえ思えたのでした。
そしておかんはオーヤンフィフィにしか見えなかった
50年前の田舎の少年にとって『マクドナルド』は商店街に突然現れた『アメリカ』そのものでした。
そしてその約10年後、少年はマクドナルドでバイトを始めるのです。
学生時代の4年間マックでバイトしてました
最終的にはAスイングマネージャーなんてバイトだけどマネージャーの仕事をやらせて貰ってました。
私の青春の一ページでもあるマック
私がその後の人生で10年間も海外で仕事をする事になったのも『マックの影響』が少なからずあったと思います。
『青いマクドナルドの日』なんてのは当時は無かったけれどいつまでも世の中の人から愛される、又世の中に貢献し続ける企業であって欲しいと思います。
最後迄お読み下さりありがとうございます。