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青天の霹靂


青天(晴れた空)にいきなり霹靂(雷鳴)がとどろけば、誰でも腰を抜かすほど驚くだろう。それぐらい大事件のたとえだ。日本の政治家は大げさな物言いが好きだとみえ、自分がある日逮捕されたような場合も、大臣に任じられたような場合も、「これは青天の霹靂ですね」などとのたまう。本当は予め分かっていたにしてもだ。


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進退谷まる


昔の人はずいぶん早く、恐らく中学生の頃教室でこの言葉に出会った。出典はもちろん詩経・大雅・桑柔篇だから漢文の時間だったろう。敵に攻められ谷を見下ろす崖っぷちまで追いつめられれば、進むことも退くこともできず途方にくれる。なるほど、谷を「きわまる」と読むのはそういうことなんだと実感した。やがてこの言葉はしゃれになる。麻雀などで、谷という名前のヤツが手詰まりになってもたもたしたりすると、「おいどうした、進退タニまったか」。ここでヤツがぽかーんとしようものなら、アイツは無知だといってバカにするのである。似たような例では、「キミコ、危うきに近寄らず」というのもあった。もちろんこの言葉ももとは漢文の「君子(くんし)はあやうきに近寄らず」だ。恐るべし、昔の人の教養。いまはこの手のしゃれは聞けなくなった。

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時分の花


能で、年齢の若さによって発散される、芸以前の一時的な面白さ、「花」を時分の花を言う。世阿弥の『風姿花伝』にある言葉。「さりながら、此花は、まことの花にはあらず。ただ時分の花なり」いまは能のジャンルを超えて使われることがある。『風姿花伝』では二十四、五歳の頃を一生の芸能のきまる初めとし、このときの花を時分の花と呼んでまことの花と対立させている。若さの勢いというのはどの芸事にもあることで、若い頃にそれなりの評判があったクラシックの演奏者がある年齢に達すると鳴かず飛ばずになってしまうことがままある。これなども時分の花の例と言えよう。


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