魂がふるえる時 | 運の良い人・まる◎さんの感動日記

運の良い人・まる◎さんの感動日記

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仙台から帰りました。

今日の体験は、あまりにも衝撃が大きくしばらく誰とも言葉を交わせないほど。

早く一人になりたいと思いました。
自分のこの心に受けた衝撃をどう受け止めたらいいのか、じっくりと自分の心に向き合いたいと思ったのです。


不思議な「縁」に導かれ、スーザン・オズボーンという素晴らしい歌手のライヴコンサートを鑑賞する
ことができたのです。

彼女はシアトルのオルカス島というところに住むアーティストなのですが、日本が大好きでよく日本に
訪れます。でも、一般の商業主義メディアには乗らずに、彼女のメッセージを理解してくれる人を相手に
地道にライヴ活動を続けているようです。

といっても、その実力たるや、リサイタルはカーネギーホール、国連総会、オリンピックなどで開催され、日本では天皇、皇后の御前でも歌を披露しています。

彼女の声は、神が舞い降りた様に澄み通っており

天使の歌声

と呼称されるほどだといいます。

日本でも彼女の歌声に接してから、その衝撃に自分の人生が変わったというアーティストが大勢いて
宮本亜門、東儀秀樹、EPOなどが彼女のおっかけをするほどだそうです。

でも、彼女にかんたんに会えるワケでもないらしく、見えないバリアーがあるとでもいいますか
彼女を必要としている心の持ち主しか会えないのだ、というニュアンスを紹介者から感じました。

ボクに彼女を紹介してくれたのは、ピアニストのO氏。
長野オリンピックで彼女が独唱をした時に演奏をした方です。

たまたまボクが仙台に出張で行っているという話しをO氏にしたところ、あれぇ偶然だねぇ
ボクもその日は仙台にいるんだよ。ということになった。
じゃあ、せっかくだから仙台で会いましょうか?
と、o氏と話したところ、実はスーザン・オズボーンという素晴らしいアーティストが仙台でライヴを
するので、それを観に行こうと思っているんだ。というのです。

で、ボクはスーザンのことをまったく知らなかったのだけど、なんかこれは「縁」だな、と感じて
じゃあ、仙台で一緒にスーザンのライヴを観ましょう。という流れになったのでした。


昼に時間があるので、ホテルから出てぶらぶら歩いているとo氏から電話。
どこにいるの?
仙台の町をぶらぶらしてるんだよ。
もう会場にいるから、来ない?
というので、早いけど会場に行ってみる。
しばらくすると、スーザン本人が到着。初対面だけど、o氏に紹介してもらい握手。
とっても澄んだ瞳の人で、はずむような心を感じる。

スーザンは楽屋でスタンバイに入るので、しばし別れてボクらはランチをしに出る。


さて、ようやくライヴの時が来る。
会場は自由席のため、ボクらは早くから並んでいた。
会場に入って、正面の第1列に座る。スーザンが歌うピアノがおいてあるまん前だ。
o氏のおかげで、恥ずかしくなく一等席を陣取ってしまった。

おごさかなはじまり。
アカペラで静かに歌いだしたとたん、なぜかいきなり涙があふれ出した。
いくら感激やで、感動プロデューサーを自称しているボクだって、こんないきなり涙が出る
なんてことは今までにない。
意味も何もない。
歌声が、空気を伝わってボクに届いたとたん、とにかく自然に涙があふれてしまったのだ !!

それからは、まるで不思議な不思議な時間だった。

うまく説明ができない。
というか、自分が受けた魂のふるえを、その場にいなかった他の人に伝えるだけの術が、今のボクには
ない。
言葉にするのがもどかしい。

文字通り、ボクの魂がふるえたのである。
スーザンが発する歌声に触れたとたん、ボクの魂が共振・共鳴し、ぶうんぶうんとうなりを上げたのである。
きれいな歌声だ、とか、美しいメロディだとか、歌い方がうまいとか、そんなことではない。
問答無用、説明しようがないところで、魂がふるえ、その邂逅に、純粋に涙があふれて止まらないのである。

最初は、胸の奥、内側にあたたかい春の日差しのようなものを感じた。
カラダの内側から、ぽかぽかとあったまってくる感覚。
胸の中に、ピンク色、桜色した花が出現する。
その花びらが、ねじれ、回転するようにゆっくりゆっくりと開いていく。
まるでスローモーションを観ているように、自分の胸の中で起きているできごとが、ビジュアルで
見えるのだ。

涙はどんどんあふれ、ほほからあごを伝わり、膝にぽたぽた落ちてくる。

この世に生まれてきたことを感謝した。
何度も何度も心の中で、宇宙の存在に話しかけた。
神さまありがとうございます。

自分に使命があるのなら、どうかその使命をまっとうさせてください。

縁があって、ふれあう人を幸せにしたい。
生きていることに感謝をし、助け合い、共に成長する、そんな生き方をしたい。

どうか、その力を下さい。


いつしか、今までボクが体験してきた、様々なことが胸の中に次から次へとあふれかえっていた。

とてつもない苦しみと悲しみの中にいたこと。
もがき、苦しみ、
何もできずにはいつくばっていたこと。

知らず知らずのうちに、大切な人を傷つけ、自分をも傷つけてしまったこと。
後から気づいた時には、取り返しのできないことをしてしまったこと、心を閉ざしたこと。



スーザンは、歌のあいまに、こんなことを言った。

まちがってもいいんだよ。
まちがいはまちがいじゃない。
また、トライすればいいだけ。
また、トライすれば、その前のまちがいは、
大切な気づきのために必要だったこと。



具体的なことは、あまりにもプライベートなことなので、言えないが、
自分の中には、とてつもなく重く固く苦しいしこりがあった。

それが

気がつくと、スーザンは「仰げば尊し」を英語で歌っていた。

「いざ、さらば」
という言葉が、
ボクの中で鳴り響く。

もういいんだ。

ボクの一つのステージが
終わりをとげたのだ。


さようなら。

我が師の恩。



今度は、ボクがもっともっと懐の深い人間に成長して、誰かの師になる番なのですね。


ありがとう。

すべての生命に感謝をいたします。




PS

ライヴが終わって、スーザンに会いに行った。
思わずスーザンに飛びついた。
またしても、たくさんの涙があふれた。号泣した。
スーザンも一緒に泣いてくれた。
何も言わなくても伝わるものがあったのだ。

もう大丈夫。もう大丈夫。
スーザンが、そう言ってくれているように魂で聞こえた。