科学教育もなかった。

 

私は先日、近代教育は統一を失って

科学技術偏重になっているのではないか?

 

という、趣旨のことを書いた。

 

 

けれどもそれは間違っていました。

ごめんなさい。

 

・・・実際は、科学技術教育もなかった😁。

 

今日、こんな記事を見つけた。

 

 

電気自動車が普及すると、

現在のガードレールでは防げない可能性があるため、

 

新たなガードレールの試験を行っている。

 

という記事なのだが、

 

なんでこんな実験が必要なのだろう?

 

と思い、先を読んでみると・・・。

 

電気自動車は搭載するバッテリーのせいで

ガソリン車に比べ、数百kg以上も重いため、

 

現在のガードレールの強度は、

ガソリン車の重量を元に計算されているおり、

止められない可能性があるから。

 

とのこと。

 

(・w・)?

 

あれ、

電気自動車はエコだというフレコミだったはずだが・・・。

 

これはおかしいぞ・・・。

 

運動エネルギーは、重量と速さの2乗に比例する。

 

 

電気自動車のほうが、ガソリン車よりも、

運動エネルギーが多く必要だということ・・・。

 

それを称して「エコ」即ち、

環境負荷が低いというのはどういう了見なのか?

 

(軽自動車と10トンダンプの燃費は

 当然、後者のほうが悪い)

 

ああ、なにか?

 

これ、エネルギー効率の話じゃなく、

 

電気だからエコ、ガソリンだから非エコ。

 

と言っているのだろうか?

 

・・・しかし、それもおかしい。

 

なぜなら、日本の発電はその約8割が

化石燃料によってもたらされてるからである。

 

つまり、表面上、

電気に見えても、元は、化石燃料なのである。

(水素も右に同じ、水を電気分解して得ているから)

 

いやいや、あなた。

 

それは今現在の話でしょ?

 

再エネが普及すればそういう問題も解決するでしょ?

 

(・w・)!?

 

・・・ああ、そうですね。

 

っと、

つい丸め込まれそうになるが・・・。

 

しかし、ここには根本的な矛盾がある。

 

再エネがエコであるか、否か。

 

その問題は脇に置こう。

(計算式その他で異なるから)

 

仮にガソリン車を使わなかったとして、

原油採掘自体をやめるというなら、

 

確かにエコかもしれんが、

 

航空機には原油由来の物質(ナフサ、軽油)が

必須であり、

 

また、石油化学製品は現在ものすごい数あり、

 

 

その全てを廃止する、

あるいは代替えするのは、現実的とはいい難い。

 

・・・つまり、ガソリン車をやめても原油の採掘自体は

やめられないってこと。

 

掘り出したガソリンだけを利用しない。

 

ずっと溜めておく。

 

これって、厖大な無駄じゃないの・・・?

(そこらじゅうが貯蔵タンクだらけになる)

 

電気自動車がエコ。というのはおかしい。
 

こんな自理明白におかしなことを、

訂正しようとしないのだから、

 

統一的教育どころか、

各論的な科学技術教育さえ、やっているのか疑問である。

(全国の科学教師諸氏よ。眠っておられるのか?)

 

PS

今世界では、

反知性主義がとてつもないほど強大な力をもっている。

 

一方、

ハイブラウは数的にそして、質的に負けている😁。

 

ハックスリーは予言していた。

 

人が金銭による「種の選別」を実施し続けるなら、

 

人は数代を経ず、

ポズナップ型かバビット型の人間に

転化してしまうだろう、と。

 

・・・彼らの能力はすごい。

金を稼ぐという一点特化しているという点で😁。

 

 

馬鹿か、利口かという問題は、

金持ちか否かという問題に「変換」されてしまったのだ。

 

カントよりも、パリス・ヒルトンのほうが

「賢い」と「見做される」世界線。