行動する人を批判する文化の帰結。

 

今日、こんな記事を見つけた。

 

 

能登半島地震ボランティアが、

圧倒的に不足しているそうである。

 

まあ、こうなるよね。

 

カレー一杯喰っただけで、めちゃくちゃ批判されんだから。

 

 

こんな馬鹿なことをやってりゃ、

そうなるわな。

 

何か行動するってことは、いいこと、悪い事の

両面が発生する行為であって、

 

逆に言えば、

何もしなけりゃ、批判もされないわけだ。

 

典型的な役人の思考である。

 

・・・そら、楽でいいわな。

 

 

こういう馬鹿がいて、

 

「被災地のボランティアは自己完結が基本です」

 

などということを発災当初よく耳にした。

 

もちろん、自己完結は素晴らしいことである。

 

しかし、

それはあくまでボランティア上級者の言であって、

物事には最初から上級者なんていないのである。

 

初心者で、何をしたらいいかもわからんし、

ただ、お気持ちだけはあるよ。

 

だから、行って手伝ってみようかな・・・?

 

賑やかしとか馬鹿にされるかも・・・?

 

というような人の中から、

 

失敗を繰り返して、上級者になる。

 

「失敗するな!」とでも言わんばかりの、

完璧を求める姿勢。

 

とにかくなにか行動しようとする人を、

批判だけする文化。

 

こういう物の帰結は、

 

「何もしないのが正義」

 

みたいなところに落ち込む。

 

善意でなにかしようとして、

それが結果的に良くない結果を産むことは

残念ながら往々にしてあるわけだが、

 

だからといって、

発災当初に万難を廃して被災地入りした人に

対して、

 

「カレー(一杯)喰いやがって!!」

 

なんて批判をされたら、

(当然、それが原因で餓死者なんぞ出てない😁)

 

そら、萎縮してしまうし、

 

善意で行って、

いたらぬところがあるからと何もしない奴らに、

めちゃくちゃ批判される。とかありえないだろ。

 

・・・そんなら、いかんほうがましだな。

 

となってしまうわけである。

 

PS

何もしないのが是。

 

というのは、

官僚主義の最たるものであり、

 

学校、企業、軍隊などあらゆる場所が官僚化して

いる現代において、

 

支配的になりつつある思想である。

 

リスクをむやみに嫌い、

何もしないことを評価することは、

 

無関心を惹起し、

結果的に全てを破壊的に悪化させてしまう。

 

例えばコイツとか・・・。

 

 

役人は自分の判断で動いてはいけない。

 

(民主主義における官僚は、

 法に従う法官僚でなければならない)

 

「手足」なのであるから、

 

「頭」(政治家(代議制を通じた国民の意志))に

従うべきであるが、

 

こと、政治家はその反対である。

 

とにかく自分で判断して、自分で動ける人。

 

これが求められている本来の資質である。

 

だから、何もしないなんてのは論外である。

 

まして、何もしないで批判だけをするなんて、

人間のクズ、政治家というよりも人間として失格である。