犯した罪は償えない。贖いと償い。

「死んで罪を償います」

人を殺害して、
死刑を宣告された囚人が、

しばしば、
このようなセリフを吐く。

私は、そのたび、
なんとこいつは、思い上がった奴なのだ。

と思う。

 

人は罪を償うことなどできるのだろうか?


罪の対義語は何か?

それは、罰でない。許しである。

償いが終わる時。
それは相手があなたを許す時である。

では、
人を殺した時、その罪を許せる人は誰か?

それは、唯一、殺された人だ。

しかしながら、彼はもうここにはいない。

だから、
その罪を許すことは、

もう誰にもできないのである。

罪を償うことは永遠にできない。

これに対して、贖(あがな)いとは、
償(つぐな)いを求める行為。

 

即ち、罪人の自発による贖罪。

コチラの方は、
言い方は悪いが、ただの自慰行為である。

Aという物に対する、弁償。
何かを差し出せば、何かをもとめられる式の
勝手な想定。

 

天秤は釣り合うという妄想。


のしかかかる罪悪感に対する言い訳。

もっと悪意の言い方をすれば、
世間に対する隠れ蓑ですらある。
(こんなに反省しています式の)

ある事柄が償えるという、勝手な前提に基づく
自慰行為。

人を殺してしまった人間は、
それが許されるということは、本質的にありえない。

死んだ人間は、死んでいるからだ。
(固定されている)

償いというゴールのない贖いを
永遠に続けること。

人を殺すということは、そういうことである。

まして、罪人が自らの命を持って、
「償い」が可能であるかのように考えるのは、

完全におかしい。

なぜなら、君が死んでも、彼は生き返らないからだ。

人はなぜ罪を犯すのか?

それは、ある意味において、許しがあると
勝手に思い込むからである。

許しなどない。

たとえ君がその命を差し出したとしても、
相手が許さなければ、
そんなものには何の意味もあるはずがない。

天秤は永遠に釣り合わない。

PS
一般に人は罪の許しというものを
軽はずみに口にするが、

本当は殺し以外の、

どんな罪も、本質的に許されることなどない。

 

例えば、
泥棒にあった人は、そのことを永遠に忘れない。

 

事事の端々に、
嫌なことを永遠に思い出すからである。

この世には、泥棒がいる。
人を見たら泥棒と思え!

という風に、
観念は永遠に書き換えられてしまうだろう。

 

泥棒に入られる前と後では、
被害者は、すでに別人になっているわけである。

それを、
元に戻すことは誰にもできないのである。

・・・被害者本人でさえも、無理である。

前科者が社会復帰する場合、
「もう罪は償ったのだから・・・」式の話をするやつが
いるが、

なぜ、どっかの檻に何年か入るだけで、
「罪の償い」がどうして完了するのか?

 

全く理解不能だ。


罪を犯された。という記憶が完全に消えて、
元の状態に戻る。ということなら、
あるいは償いは終わったといえるかもしれないが。

そんなものは誰にもできはしない。


加害者はもちろん、被害者にだってできないのだから。

 

「心に空いた穴」は埋められないのである。

 

・・・ではどうすれば良いのか?

 

それは私にはわからないが、

罪は償える。などということは少なくとも

口が裂けても言わないこと。

 

それだけはわかる😁。


犯した罪は償えないと心得よ。贖いと償い。