他利本願。
人はなぜ鉢に水をやるのか?
「幸福のカギ」
答えは最も平易なところにあった。
何か見返りを求めて人は鉢に水をやるわけではない。
枯れた鉢を見ると嫌な気分になるから水をやるのだ。
「誰がために鐘は鳴る」
人は自分の幸福を目的にしていないときにだけ、
幸福たりえる。
自分の利益についてだけ行動する人間は
原理的に幸福にはなれない。
人は、
「他者を利す」ことを目的にして生きているときにだけ
「幸福」になれる。
「他利本願」
我利我利亡者は永久に幸福にはなれない。
腕の良い職人の仕事の考え方。
「こうしときゃ、あとの奴(使うやつ)が便利だろう」
・w・)・w・)・w・)
そういうことですがな・・・。
幸福とは力の問題ではなく、
意思の問題だったのである。
力多きものは、それだけ多くの他利を施す余地はある。
一方、力少なきものにも他利を施す余地は尚残る。
最低限、
鉢に水をやる程度のことはできるという意味で。
PS
幸福になりたければ、
(・w・)植木鉢に草花を植えよう。
(・w・)木を植えよう。
・・・めちゃくちゃシンプルな答えで草。
まあ、
よー考えたら「自」と「他」の区別に本質的な意味はない。
皆、「自分の観想」の産物なのである。
幸福とは探すものではない。
まわりが皆幸福なら、あなたも又幸福。