木を植える。

 

ある一定以上の知性を持つ人ならば、

 

希望的観測を除いて、

単に見込みの計算を行った場合、

 

今後、百年、二百年にわたって

人類の文明が存続する見込みは、

ほとんどないだろうというのは共通の見解であるやに思われる。

 

地球上に宇宙人が存在しないこと。

 

それは、

知性を持った生物が外宇宙に至るまでに

すべて滅んでいることを指し示している。

 

・・・もはや我々は「秒読み」の段階なのだ。
 

人は自らの能力以上のことをする義務を負わず。

 

私のように能のない人間には、

この状況を覆しえるような、

妙案なぞ浮かぶわけもない。

 

しかし、

できることが全くないわけでもないのである。

 

木を植えることぐらいはできるのだから。

 

オーウェルは述べている。

 

胡桃を植えるというのは孫のために植えることである。

 

リンゴの木でさえ、

百年ほどは生きている。

 

かしやブナなら数百年も生き続け、

切り倒されて材木になるまでに何千、何万という

人々を楽しませるだろう。

 

個人的植林活動だけで社会に対する義務が

そっくり果たせるとはいえないまでも、

 

仮に20のうち一つでも成長すれば

その人は公衆の恩人になれるだろう、と。

 

 

現代社会のテーゼである

「今だけ、金だけ、自分だけ」に対する有力な

アンチテーゼは、

「木を植えること」なのではないだろうか?

 

PS

僕が植えているのはイチジクだったり、

レモンだったりするのは秘密・・・。

 

 

 

(成長も早代わりに、20年くらいで枯れちゃうんだって)

 

あそこにむらがっているのはC級妖怪だな、

食欲が先立って品性が感じられない。

(幽遊白書:仙水忍)

 

早く(胡桃を植えるような)人間になりたーい。

(妖怪人間:ベロ)

 

今日より明日なのですじゃ~~~!!

 

 

でも、今日がないと明日もない。というジレンマ。