みなさま、ご無沙汰しております。
怒涛の2月を経て、ようやく忙しさが一段落へ向かいつつあります。
また、こちらのブログのほうも更新していきたいと思っています。
いろいろ書きたいこともあるのですが、まずは今日のことを。
中学校の、評価業務、終了!!
実はこれ、かなりしんどかったです。
わずか1週間で、期末考査の採点、ノートの採点、レポートの採点、提出物のチェック×160…。
鬼ですよ、まじで。
小学校の先生方とはまた違った評価の「大変さ」が中高にはあるのだと、身をもって思い知らされました。
この大変さを味わうと、世の中楽な方に流れていく理由がよくわかります。
評価は試験だけ。試験の内容は記号や穴埋めだけ。
こうすればどんなに楽なことか。
でも、社会科の学力って、そういう断片的な知識だけではかれるものだけではありません。
同じ知識でも、一問一答的な知識と、あることがらを文章で説明するとでは、要求される能力がまったく違います。
本当にそのことの意味を考え理解しているかどうかをはかるには後者のような問題を出題しなければなりませんが、文章で書かせればその解答は子どもによって大きく異なり、より採点が大変になります。
そのほかにも、史料を読み取る能力、歴史的事実を現在とひきつけて考える能力、歴史の授業にどう向きあっているのか、などなど…。
子どもが歴史の授業を通じて学んでいることは、いわゆる「受験」で要求されている能力よりももっともっと幅と個性があるものなのだと思っています。
そういったものを「評価」するためには、試験の問題にも多様性を、そして試験以外の評価対象も必要になってきます。
私はそれをノートやレポートの内容から判断しています。
それぞれいわゆる「四観点評価」の枠組みにはめ、それぞれの判断基準を明確にした上で、子どものかいた「作品」を「評価」するわけです。
この辺についてのこまかなことはまた機会があればお話ししたいと思いますが、ともかく、子どもの能力を「評価」しようとすればしようとするほど、教師の仕事はいくらでも増えていくわけですね。
正直、今の立場だからこそこれだけ時間もかけられますが、来年度以降、同じようにできる自信はありません。
まぁ、やらねばとは思っていますが。
教師の給料は、こういうところでがんばってもほとんど反映されませんから、労働の対価という意味では、易きに流れるのも仕方のないことかな、と思います。
ですが、せっかく大学、大学院と7年間も社会科教育について学び、その課程を終えようとしている今、夢と理想をもち続けられる限り、自分なりに「よりよい」教育のかたちを模索していきたいと、改めて考えています。