私の外反母趾闘病記~術後初めて出場したフルマラソンは残念ながらDNF | 「最後まで諦めない」~医師、時々作家、そしてランナー

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医師であり、時々作家、そしてランナーである筆者が日々の出来事について徒然なるままに綴っております。「最後まで歩かない」事をレースでも、人生でも目指しております。

今日は月曜日です。

 

私は2021年4月1日に両足の外反母趾の手術を南町田病院で受けました。執刀して下さったのは「足のクリニック表参道」を経営している

桑原靖先生です。

 

2021年12月19日に山口県防府市で開催された“第52回防府読売マラソン”に私は出場しています。術後約8か月半が経過した時点での

大会です。

 

フルマラソンに出場する事自体が2020年2月に開催された北九州マラソン以来約1年10か月ぶりの事でした。又、外反母趾が酷くなり、

一旦走るのを決めた2020年9月から2021年6月末までは走る事から遠ざかっていました。

 

私は早朝、朝食を食べる前に走る事を常としています。ここ1ヶ月ぐらいは12キロちょいを走っています。月曜日は休足にする事が多いですが、残り6日は同じような距離を走っています。

 

ロング走をやってないけど、どこまで行けるだろうかと思いながらスタートラインに立ちました。4時間以内に完走しなければならない大会

だけど、レースとは考えず練習の一環だと考えてスタートラインに立っています。

 

結果は残念ながら31キロ地点でリタイアしました。31キロを2時間53分26秒かけて走っています。平均ペースはキロ5;34分、平均心拍数は148bpm、最高心拍数は159bpmでした。

 

35キロ地点の関門まで進みたかったですが、25キロを過ぎてから極端にペースが落ち始め、前半飛ばしたつけが一気に足にきました。

 

ナイキのアルファフライというシューズを用いたのですが、このシューズを私程度の走力のランナーには履きこなせないかと感じています。

 

1キロにキロ6分以上掛かり始めたので、これは完走出来ないと感じたので、31キロでレースを止め、収容バスに乗り込みました。

 

 

サブフォーがかくも高い壁になるとは思っていませんでした。しかし、出走する前は13キロぐらいで走れなくなるのではとか、ハーフまで

辿り着けるだろうかと考えていましたので、30キロをクリア出来た事に手応えは感じています。

 

完走制限時間が緩い大会だったら、ジョグだと切り替えてゴールを目指したと思います。いきなり防府読売は無茶だったなと反省して

います。

 

出走者が山口県在住者に限定されていましたし、実際に走ったのも720名ほどでしたので、スタートでのタイムロスも極めて少なかった

です。

 

終盤は自身のペースが落ちてしまった事もあり、ほぼ単独走に近い状況でした。気温は低めで走りやすかったのですが、風が結構強く

走る人達の気持ちを削っただろうと推測しています。

 

尚、外反母趾の術後の状態は30キロ以上走った後も特に変化はありませんでした。写真は昨日、帰宅してから入浴後に撮影したもの

です。

 

長距離を走った後なので、少し浮腫んでいますが、左足母趾や示趾に大きな問題は生じていません。

 

 

現在、国内の新型コロナ感染者数は少ない状態が続いています。オミクロン株を水際で何とか食い止めようという試みが一定の効果を

上げています。

 

しかし、国外に対していつまでも鎖国に近い状態を続ける訳にもいかないでしょうし、帰国した人達からすり抜けて市中感染に発展する

可能性は決して低くないと思います。

 

2022年は今年と同じような状況が続くと推測されます。オミクロン株が全国各地で市中感染を起こし始めたら、又緊急事態宣言が発出

され、感染者の多い地域へは行く事が躊躇われるようになるでしょう。

 

私も2022年の2月以降、幾つかの大会にエントリーしていますが、それらの大会が無事開催されるかどうかはオミクロン株がどれぐらい

猛威を振るうかにかかっています。

 

私のように大会が練習になっている人達はアフターコロナに備えて、単独走で走力を維持するためのトレーニングを重ねるしかないと

思う今日の私です。