「最後まで諦めない」~医師、時々作家、そしてランナー

「最後まで諦めない」~医師、時々作家、そしてランナー

医師であり、時々作家、そしてランナーである筆者が日々の出来事について徒然なるままに綴っております。「最後まで歩かない」事をレースでも、人生でも目指しております。

今日は日曜日です。


私は東京都北区赤羽で開催された〝第17回東京赤羽ハーフマラソン〝に出場しました。


記録は手元のガーミンで1時間50分33秒でした。正式な記録は中々出ないようです。しかし、1時間50分を切る事は出来ていないと思います。


最近の練習では大体11キロちょいをキロ5分13秒で走れたら上出来な部類である事を考えたら、今日はレースコンディションもよかった事もあり、悲観するような結果ではないと思っています。


赤羽ハーフは、足立フレンドリーマラソンと同じで荒川の河川敷を走る大会でした。ほんの少しアップダウンはありましたが、基本フラットなコースでした。


赤羽駅からもメイン会場は徒歩圏内です。コースも陸連公認ですので、リピーターも多いと思います


私が大会に出場するのは2025年5月の橘湾岸スーパーマラニック以来の事です。


暑い時期の大会は避けていましたが、秋になれば又大会に出場しようと考えていました。


しかし、昨年10月初旬の朝のランニング途中に路側帯に躓いて転倒し、右腸骨骨折を負っています。


2023年11月に同じくランニング中に転倒して左腸骨骨折を負っています。この時は同時に左鎖骨も骨折しています。腸骨骨折も2023年の時の方がかなり重症でした。


今回は仕事や競技への影響も随分少なかったです。


それでも2025年10月の東京レガシーハーフ、11月の神戸マラソンはDNSにせざるを得ませんでした。


12月のみえ松阪マラソンを腸骨骨折からの復帰戦と考えていましたが、大会当日の天候がかなりの雨予報だった事に怯んでDNSにしています。


今年に入ってからは1月12日開催された伊万里ハーフにエントリーしていましたが、11日の18時まで仕事だったため、時間的に余りに余裕がないので、又してもDNSを選択しています。


そしてようやく今日の大会出場となっています。


昨年ならば凄まじい勢いで大会に出場していましたので、大会への復帰ももっと早かったと思います。


しかし、今シーズンは毎月第3日曜日に開催される大会を中心にエントリーしています。伊万里は祝日開催です。第5日曜日の大会にもエントリーしています。


昨今の物価高の影響を病院や診療所もかなり受けています。人件費の高騰もしかりです。


昨年の今頃はそこまで困窮していませんでしたが、今はクリニックの経営状態は非常に厳しいです。


自分がマラソン大会の遠征などに使うお金は自分で稼がないといけなくなっています。


そのため私は第1日曜日は山口県周南市にあるとある病院の日当直をしています。そして第2,4日曜日は山口県防府市にあるとあるクリニックの日直をしています。となると大会に参加出来るのは第3日曜日だけになります。第5日曜日がある月は2回チャンスがあります。


尚、当直業務は山口県宇部市の病院を中心に週に一度ぐらいの頻度でお伺いしています。


月に一回でも遠征出来るだけいいと思っています。生活が更に厳しくなれば、大会への出場回数を更に絞らないといけません。


今シーズンに入って感じていますが、私は月に何本もフルマラソンを走る事がいい練習になっていたという事です。


月に一回しか大会に出場しない事が自分のフィジカルやメンタルにここまで影響するとは思わなかったです。


しかし、与えられた条件で戦うしかありません。


今シーズンの残りの大会は2月の北九州マラソン、3月の板橋シティ、ふくい桜、4月の長野の4本です。


まあ、決して少なくはないし、先ずは来月の北九州に向けて練習を重ねようと思う今日の私です。









今日は子供の日です。


昨日、私は橘湾岸スーパーマラニック2025、L173キロの部に出場しています。


昨年はE217にエントリーしていましたが、気温が異様に高くなる予報に怯んでDNSにしています。


2023年はE 217キロの部に7時スタートで出場しましたが、89キロの伊王島エイドでリタイアしています。


2022年は自身の故障のため出場していません。


今回は完走に拘る事に徹しようと考えて、L173キロの部に出場する事を決断しました。


スタート時間も早めの7時にしました。深く考えずに決めたスタート時間でしたが、この決断が後になって響いてきます。


途中まではE217キロの部の7時スタートの選手達が沢山周りにいましたので、寂しさはなかったです。


しかし、江川の交差点でE部門の選手達が違うコースに行ってしまうと前にも後ろにも選手がいないという状況になっています。


程なく一人の選手が私に追いついて来ました。この方は何度もL部門に出場している方らしく、道もよく知っていました。走力に関しても私よりは随分余裕はあるなと感じました。


60.8キロの以下宿エイドは見落としようがありませんでした。


65.2キロの恐竜体育館のエイドはE部門の選手達の着替えを行うエイドでもあります。


恐竜博物館はまだ出来てから4年ほどしか経っていない新しい建物です。私も水分が乏しくなってきたので、恐竜体育館のエイドで水分を補おうと考えていました。


後で知ったのですが、このエイドが実質的に機能し始めるのは4日の16時からだったようです。


私が恐竜博物館に着いたのは15時20分頃でした。一度でも行った事があれば、あそこかと分かるのでしょうが、立哨もいないと分からなかったです。


もう少し先にあるのかなと思いながら進むと、権現山に登る山道に入っています。


ああ、何と恐竜体育館のエイドをスルーしてしまったと、この時点でやっと気付きました。69キロ走った時点の出来事でした。


橘湾岸スーパーマラニックはエイドとエイドの間が結構空いています。又、エイドで提供される食べ物に余り過度な期待は出来ません。


従って、かつての萩往還がそうであったように、コンビニを有効に活用する必要があります。


恐竜体育館から権現山までの間にコンビニはありません。


まだ時間は十分あったので、恐竜体育館に戻り、ゼッケンのQRコードを読み取ってもらい、食事を摂ったり、水分を補給すればよかったかなと思いますが、昨日は気温も高く体力に余裕は正直なかったです。


権現山エイドまで行けば気持ちも変わったかもしれません。


私を収容して下さった方も、あんまりにも早い時間のリタイアなので驚いていました。


その方からは金沢さんは何度もL部門を完走しているのだから、スタート時間は10時にした方が絶対よいと言われています。


E部門、L部門の中間地点でのリスタート特別ルールがあり、早いスタート時間の人が茂木中間地点に到着して、リスタート出来るのはE部門9時以降、L部門16時以降のスタート者のトップが茂木ぶらぶらぶらに到着してからになります。


私も数年前にこのルールのために茂木ぶらぶらで1時間半ぐらい待つ事になった事がありました。


7時スタートは自分は早いと勘違いしてしまうし、何時間も待機するのが得策とも思えません。


私はここ数年ウルトラや超ウルトラには出場していません。


だから、69キロしか走っていないのに、今日はまあまあの筋肉痛にを感じています。


やはり場数を踏んでいないと、173キロの道のりは決して簡単じゃないなと思う今日の私です。









今日は日曜日です。


私は長野県長野市を中心とする地域で開催された〝弟27回長野マラソン〝に出場しました。


18回の金曜日の夜間に長野県で発生した震度5の地震には驚きました。正直、長野に行くのを止めようかなと思いました。


しかし、翌日になってもさほど大きな被害は出ていなかったし、大会の公式HPでも、大会は予定通り行う旨の発表がなされていたので、予定通り長野に向かう事にしました。


昨年も長野マラソンにはエントリーしていました。しかし、大会当日がかなり気温が高くなりそうでしたので、それに怯んでDNSにしています。


今年は絶対にDNSは避けようと思っていました。


スタート時は気温は高かったですが、日差しは余り強烈ではなく、雨も降りそうになかったので、意外に走りやすいコンディションかなと思いました。


しかし、スタートして暫くしたら、気温は上がり始め、30キロ以降は非常にタフなレースになりました。


エイドステーションで止まらないランナーはいなかったです。給水のボランティアは大忙しだったと思います。


後5キロを切っても完走出来るかどうか分かりませんでした。


水分補給はしっかり行いましたが、後1キロを切ってから、完璧に足に来たので、僅かな距離ですが歩いています。走ったら転倒しそうな気がしたからです。


結果は3時間54分06秒(ネット3時間53分16秒)でした。


先月出場したさが桜マラソンも暑かったですが、今日の方が記録はよかったです。


長野マラソンは完走制限時間が5時間なので、市民ランナーが参加する大会としてはハイレベルだと思います。


コースもそんなにタフではないとは言え、ある程度のアップダウンはあります。


今年から前日受付がなくなり、ゼッケンを事前に郵送して頂けるようになったのは非常に助かりました。


長野マラソンのように伝統ある大会も変わっているのだから、他の大会も見習って欲しいと思います。


尚、長野はインバウンドの利用者が多く、今日の大会にも結構な数の外国人が出場していたような気がします。


尚、大会終了後も気温は高く、完走メタルを首からぶら下げ、フィニッシャーズタオルを羽織った方を長野駅構内で沢山見かけました。


土曜日に大きな余震が起きていたら、今年もDNSにしていたかもしれません。


決して簡単ではない条件下のレースである程度の結果を残せて本当によかったと思う今日の私です。