日本マラソンを救った偉大なる凡才、中本健太郎選手~彼の父はフルを2時間24分台で走る! | 「最後まで諦めない」~医師、時々作家、そしてランナー

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医師であり、時々作家、そしてランナーである筆者が日々の出来事について徒然なるままに綴っております。「最後まで歩かない」事をレースでも、人生でも目指しております。

今日は火曜日です。

本日の山口県西部、早朝は激しく雨が降っていました。その後も天気はすっきりせず、終始曇り。激しく雨が降るかもと予想されていましたが、幸いパラパラと降る程度で済んでいます。

しかし、今はお盆休みの真っ只中です。夏休みに海や山に出掛ける予定を立てていた方達には恨めしい
天候が続いています。

本日の「金沢守クリニック」の外来総受診者数は23名でした。

昨夜は10.6キロを48分47秒10掛けて走り、681カロリーを消費しています。キロ4:36分のペースでした。昨夜は蒸し暑く最後はかなりバテました。

私は夜なら走る前でも泳ぐ前でも夕食を食べてから運動を開始します。お腹が痛くなる事などまずないのですが、昨夜は久々に横っ腹が痛くなり、ペースが上がりませんでした。

ラスト1キロはキロ4:40分掛かっています。8月の月間走行距離は95.1キロになりました。

そして今朝はさすがに外を走る天候ではないと判断し、早めに診療所に出勤し、ローラー台を50分回しています。意外に色々とやる事があったため、残念ながら目標の1時間に後10分及びませんでした。

今夜は山口市阿知須のプールに行き、1.5キロ泳ごうと目論んでいます。

さて、ロンドンオリンピック、男子マラソンで6位入賞を果たした中本健太郎選手について今日は書かせて頂きます。

中本6位 マラソン2大会ぶり入賞/陸上

中本6位 マラソン2大会ぶり入賞/陸上

日本男子マラソン界には藤原新選手、そして川内優輝選手という燦然と輝く2大スターが君臨しています。
この二人はその走りも勿論ですが、存在感やその振る舞いがとにかく目立つので、スポーツ紙の一面を
さらったりします。

そして、その川内選手と最後まで代表選考で3つ目の椅子を争ったのが、中本健太郎でした。彼は山口県
下関市(旧菊川町)出身です。彼は新聞で一面を飾るような華やかな男ではありません。むしろ“地味”といった言葉が彼には似つかわしいでしょう。

川内選手にはランナーとしてのカリスマ性があると思います。藤原選手も又しかりです。彼らはいわばマラソンでホームランが打てる選手でしょう。彼らに天才という言葉が相応しいとすれば、失礼な表現かもしれませんが、中本選手は“凡才”でしょう。

私も藤原選手や川内選手の事が好きですし、ロンドンでも藤原選手が日本人離れした走りをみせてくれると思っていました。しかし、藤原選手の結果は非常に不本意なものに終わっています。

藤原選手が非凡な才能の持ち主であり、今回のオリンピックでもまず藤原選手ありきでした。彼も人の子、
その重圧が走りに影響したと思います。でも、まだ人生が終ったわけではないので、果敢な挑戦を今後も
続けて欲しいと願います。

中本選手は「地味な男」らしく淡々とゴールしています。山頭コーチも「影の薄い地味な選手」と称する男が、意地で踏ん張っています。終盤にアメリカのケフレジギ選手とマッチレースを繰り広げた中本選手の
姿は神々しかったです。

「初めての舞台だったんですけど、今までやってきたことが間違いじゃないと証明できた。いいレースができました」と、インタビューでも、うっすらと涙を浮かべながら、淡々と静かにうなずいていました。いわゆる
名台詞は残さないところも、地味な男の真骨頂かもしれません。

メダルを捨てて「入賞」を狙ったレースでした。今の日本勢にスタートから飛び出すアフリカ勢と競い合う力はない事を彼は冷静に受け入れていました。

「ついていかずに後半勝負」と無理をしなかった。折り返し点は先頭キプサング(ケニア)と1分27秒差の
20位でした。そこから脱落者を1人ずつ抜いています。

25キロは9位、30キロ過ぎに第2集団を抜け出し、35キロは5位まで浮上し、実況アナも興奮の余りに中本
選手を藤原選手と言い間違えて、解説の高岡さんに訂正されていました。

最後に力尽きて、4位、5位の選手を追い込む事は出来なかったものの、「第3の男」が辛うじて日の丸の
誇りを守ったのです。

たかが6位かもしれませんが、ケニア選手3名、エチオピア選手3名が持つ記録を考えれば、よくぞ日本人
選手が6位に入ったとみるべきでしょう。

菊川中では野球部の俊足の外野手だったそうです。1度は野球強豪校への進学を決めたが、西市高・富家正治監督(44)が熱心に陸上界へ誘っています。「地元の陸上大会で膝から下の動き方がしっかりしていた。腰が入っていました」と同監督は語っています。

だが、高校では本番に弱く、1度も全国大会に出られなかったそうです。又、進学した拓大でも箱根駅伝は出場1回に止まっています。凡才らしい経歴です。

卒業後は地元に近い安川電機入りしています。しかし、駅伝でも活躍できず、08年にマラソンに初挑戦しました。

マラソン挑戦後は、そのひたむきな性格が実を結んだようです。「両親に感謝したい。父が今も走っている姿を見ると、勇気と刺激をもらえます」と語っています。

父輝美さんは、マラソン2時間24分12秒のタイムを持つ市民ランナーというから驚きです。お父さん、速すぎますw。私はむしろお父さんの記録に刺激を受けています。

中本選手の父は58歳になった今も夜9時から黙々と走るそうです。母京子さん(54)が「世界選手権に行っても、五輪に行っても、良かったなと言わない」と言う父は、ようやく「よく頑張りました」と目頭を熱くしていたそうです。 

6月27日、大分・九重合宿中に長男理久(りく)くんが生まれたそうです。強き姿を見せるために懸命に走った新米パパは「マラソン王国日本を、もう1回復活させたい」と意気込んでいるそうです。

今回もアフリカ勢に対抗すらできずメダルの夢は遠のています。中本選手にもう少し力があれば、4位にはなれたかもしれませんが、メダリストになった選手達との力の差はとても大きいと誰もが感じたと思います。

ロンドンオリンピック、女子選手達の活躍が目立ちました。しかし、男子マラソンで山口県出身の地味な選手
がみせた粘りの走りは市民ランナーにも励みになると思います。

天才達のように切れのある走りは私には出来ません。しかし、粘って後半落ちてくる選手達を抜いて順位を
上げる泥臭い走りなら出来るはずだと思う今夜の私です。