2024年サマー振り返り日記開始前の心意気 | Diary of a Goat in NYC

Diary of a Goat in NYC

One Goat and her journey.

今週1週間ほどブログを休んで
色々と模索していた。
実は自分の人生を
自動操縦モード(後述)
で過ごしていたら、
結構な痛い目にあった。
たまたまなのかもしれないが、
たまたまで片付けるほどウブな年齢でもない。
自動操縦」の危険を思い知った。
 

自動操縦

私の考える「自動操縦(オートパイロット)」は
操縦(=人生を生きる)という行為を
完全に「車(=体と脳)」に任せて
自分(=魂)はふんぞり返って
周りの風景に気を留めることなく、
アクセルを踏むでもなく、
ブレーキを踏むでもなく、
なんかハンドルの後ろで何もしないで
ぼーっとしている行為。

 

っということで「自動操縦」で生きていたら、
案の定事故にあった。(痛い目にあった。)
しかもたった1週間
「自動操縦」に頼っただけで、である。

さすがニューヨーク。

山のような波動が出ているニューヨーク
この街で人生を生きようと思うと
「自動操縦」なんて頼りにならない。

 

私があった痛い目

具体的には書けないので抽象的に書くが、
2024年6月7日(金)に痛い目にあった。

それは一瞬の油断によるミスだった。
もう少し踏み込むと雑念が
めっちゃ多い状態で仕事をしていた。
 
木曜日夜11時ごろに仕事で凡ミスをし、
翌日金曜日朝8時半にパソコンを開いて
気づくことになるのだが、
朝は別の予定があったのだが
修正作業に追われ
上司も巻き込むことになり散々だった。
 
悔しいし、恥ずかしいし、申し訳ないし、
情けないし、自分が許せないし、
痛すぎて自分にかける言葉もなかった。
自分でも自分を突き放して、
「ごめん、貴方にかける言葉も見つからない。」
そんな状態だった。
「ミス」自体は人によったら、
気にもしないかもしれないし、
どうってことないかもしれない事だが、
私は結構自分に厳しいので、
自分が許せなかった。
多分、今振り返るとそれが良くなかった。
 
アメリカ人上司からは
「プラクティカル」
「テクニカル」について
本当にありがたいお説教をいただいた。
この上司と働けて幸せである。
 
要するに私は自分のミスを必要以上に
大袈裟に処理してしまったっと思う。
その背景には自分で自分が
許せなかった事があるかもしれない。
 
この日は対象が自分だったので良かった。
これを絶対に他人にしないようにと
今このブログを書きながら
心に誓うのであった。
 
しかも
自分が許せないことだけならまだしも
問題処理に
他人を巻き込むことになったことは
良くなかった。反省。
 
ニューヨークで激しい競争の中で生きるのに
こんなことではいけない。
そう思うのであった。

 

その痛い目のおかげで、目が覚めた。
ニューヨークのビジネスパーソンとして
やっていくには
どんなに忙しくても日記を書き続けること、
つまりそれは「自動操縦」をやめ、
自分の人生に責任を持って毎日を生きること。
 
もしまだ科学者や数学者が一切証明をしていない
だけれど限りある生きる時間を割り当てられた
これまでの人間達みんなが感じた事のある
天や神や仏やそれらが
サインを送ってくるのだとしたら、
私は金曜日に送られてきた自分へのサイン
無視してはいけない。
 

(多分)送られてきたサイン

金曜日は旦那さんに
毎週金曜日の入場料が無料になる
Japan Societyの展示を
見に行こうと誘われた。
誘われたのが勤務中だったので、
一切事前に何が展示されているかも
調べなかったのだが、
展示されているのは
達磨」だった。

一個や二個「達磨」の絵があった
とかいうレベルではない。
展示部屋には「達磨」しかなかった
と言っても過言ではない。

そういうレベルだった。


まぁ他の作品も多数ありますので
是非観に行って下さい。







 

実際にその展示場にいる時は
それが自分への「サイン」だと
もちろん気づけなくて
ぼーっと通り過ぎていたのだけれど、
しかも6月の米国はPride Month🌈で
町中カラフルな中、
Japan Societyは水墨画のような
白黒で攻めてきたかぁっ
とかそういう驚きを感じていたのだけれど、
その日の夜シャワーを浴びている際中に
自分の身に起きた事がつながったのか
わーっと泣いた。
 
 
私の解釈
達磨」については確か以前に
中田氏のYoutube大学で
実在した禅の開祖様だと言われていた。
自分でも自分を突き放して
「かけてあげる言葉もないや」っと
思っていたのだけれど、
達磨の絵は私に
It's nothing.
「無」
「なんでもありません。」
そう言っていたと感じた。
 
一つ弁解するが、問題に目を向けずに
なんでもかんでも
It's nothing.
と無視して通りすぎたわけではない。
無視して通り過ぎる行為は自動操縦だ。
 
そうではないんだ。
自分の中に起こった感情を吟味して、
何が起こったか見つめた上で
It’s nothing.
と言って人生を生きることを
進めるのだ。
 
明日また人生を生きることを
「進める」ための号令が、
It's nothing.」だったのだ。
 
そう思ったら涙がわーっと出た。
いちいち今日のような
こんな小さな凡ミスに悩んでいては
ダメだ。


「何を大袈裟に落ち込んでいるの?」
そう言われたような気もした。
 
 
見えない神仏ってそうやって
自分達に話しかけてくるのかぁっと
気づいて、またわーっと泣いた。
「何これ、不思議ー」
「やっぱり私達、何かに見守られてる。」
っと確信すると泣けてきた。
 
達磨からのメッセージは
七転八起もあるかな。

 

兎にも角にも

モヤモヤ発生した感情を整理する上で
書きだして人生を生き続けることは
大切だと思った。

そうじゃなければ雑念が溜まって仕方ない。

感情を整理するというのは
箱だったりなんか区画を与える
という感じだろうか。
もっと具体的に書いてみると
それは絵の具を出す時の
パレットのようなもので、
どんな画家でも黒色の絵の具を
扱う時は気をつけると思う。
黒色が他の色をにじませないように
黒の指定エリアに入れるそんなイメージ。
この整理がうまくできなくなると、
強い黒の感情は
他の感情をにじませて他の色をも黒にする。
 
それが例えば
黒い部分と空の部分しかない水墨画であれば、
黒があるから絵になる。
でも全部を黒にしたら絵にならない。
「黒(=色)」を使って、
「空(カラ)」の部分を残し
それを絵にする。
それが以前無職で時間がある時に
色々読んでいた頃に出会った日本の般若心経の
色即是空、空即是色
にも通ずるのではないかとふと思うのであった。
これはそれぞれの人間が描く人生が
一つの「絵」だとしたら
It makes sense.(=なるほど)」
なのである。
まぁ、1枚でなくても良いと思うが。
 
っということで、
結論(ようやく)
明日からまたブログを書きたい。
カウントダウンブログには
毎日ほぼ変わらない食事のことや
できていない運動のことも書いたり
なんか無駄な部分も多かったので、
次のブログは下記のような
スタイル(テンプレート)にしたい。
毎日書くことにも拘らないようにしたいが、
できるだけ黒色が意図せず空の部分を犯して
真っ黒な人生の絵で終わらないようにするために
毎日書くようにしたい。
 
書くとき、私は五感を研ぎ澄ましていると思う。
書くとき、私は意識的、無意識的に、
自分を俯瞰して眺めていると思う。
 書くとき、私は立ち止まって
自分の感情を通常よりは観察していると思う。
 
月曜日の6月10日からスタートすると
ちょうど8月31日(土)までは
83日あるようなので、
目標毎日更新の83日間の日記にしたいが、
毎日のカウントダウンと呼ぶと焦るので、
更新しない日があっても良しとするが、
自分のためにもできるだけ毎日更新したい。

また一日一善に取り組みたい。
これは善とは何かよく分かっていないので
こちらも手探りで始めたい。

 

2024年サマー振り返り日記

現在地:全83日間中○日目
日付:2024年6月○日(曜日)
天気と気温:
今日の特筆したい出来事:
今日の振り返り:

一日一善チャレンジ:
 
今日の1枚:
 

またカウントダウン時にトラッキングしていた

下記(2024年夏の課題)も

引き続き毎日ブログの目のつくところにおいて

意識を向け進展があれば報告したい。

2024年夏の課題

スペイン語学習継続 
CPAのライセンス取得(前進) 
読書(現在読んでいる本):「戦争と平和1 」
米国グリーンカード更新 
仕事をフルタイムで契約更新
健康な身体作り

上記で特筆(進展)があれば:


 
オマケ:

今日は近所でストリートフェアがありました。

平和