【三島由紀夫】「仮面の告白」を読んだ後の勝手な感想 | Diary of a Goat in NYC

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One Goat and her journey.

三島由紀夫氏の
「仮面の告白」
読み終わった。


ネタバレ禁止の方は

是非こちらのブログはお閉じください。

 
私はこれを読み始めるまで
彼が同性愛者だと知らずに生きてきた。
そのため不意を突かれて
衝撃的であった。

Wikipediaにも奥さんの名前があるし、

お子様もいらっしゃる。

周りの誰かにその部分(彼の同性愛)を

教えてもらう事もなく40歳まで生きてきた。

ずっと昔、何かのテレビ番組(??)で
三輪明宏さんが彼の話をしていたような
記憶があるが、そういう事だったのかぁっと
今更、妙に色んなことが繋がって
納得をするのであった。
 
そういう視点で「金閣寺」を
振り返るとその中の特有な描写もにもまた
納得ができた。
👇
金閣寺を読んだ後のブログ記事

 

 

全くの妄想の中でだけですが、

まだ恐らくご家族ご存命中の発表だろうから

この「告白」を戦後になって読む

彼のエリート官僚家族の思いを

想像するだけでも緊張した。

まさか「戦死してくれた方が良かった」などと

思われていなかった事を願いたい。

私はお母さんのことを「母ちゃん」と呼ぶのだが、

三島氏は「お母様」と呼ぶ。

育ちの違いも本からひしひしと伝わった。

といっても兄弟の中で彼だけは

厳しい祖母に育てられるのだ。

こりゃ普通の家庭の何百倍も

色々と躾けられたに違いない。

 

1949年の作品らしい。

👇

  

さて、

この「告白」が

当時の日本に与えた

インパクトは計り知れない。

 

当時の世間には早すぎる

スキャンダラスな「告白」

ちょうどこの前

全くスキャンダラスと縁がない話ぶりの

夏目漱石氏の作品を読んだ後なので

落差の激しい滝下りをした気分だ。

昼と夜とくらいの差でしょうか。

(夏目漱石氏がスキャンダラスではない理由が

三島由紀夫氏を読むことで分かった気がした。

夏目氏には異常な渇望がない。)

ただ、戦争という最も恐ろしい世界を

経験した人間にスキャンダラスなどあろうか。。。

今日の私にはまだよく想像ができない。

 

。。。

 

話はまた飛び、

本の後ろに

「この告白によって、私は自らを死刑に処す」

っとあるのだが、

当時の社会の求める

「正常」に嵌(はま)らない

悩み続ける繊細な読書家の少年。

 

それでも当時戦時中だったので

期待される一般人のライフサイクル

(恋愛、結婚、子育てetc)に

自分は飲み込まれる事なく

20歳までには死ぬだろうと思い続けて

戦争真っ只中に死を求めながらも

同時に本能では死から逃げ続け、

結局終戦後に生き残り

もう容易には死なないだろう自分を

戦死の代わりに、

このような過激な告白という

センセーショナルな手法を使って

一旦自分を公開処刑する必要があったようだ。

 

彼に取ったらこの告白も

何か一か八かの自分の命を賭けた挑戦で

小説家人生に失敗していたら

もしかしたらこの青年は

もっと早くにお亡くなりに

なっていたかもしれない。

ただ、彼のことだから

晴れやかな文化人の世界で

力のある悪魔になりきり

美しい蜜を吸い

自分の人間の部分と周りを騙しながら

頑張って生きてこられたに違いない。

 

ただ、それにしても

この告白を聞く(読む)ことになる

彼と一緒に育ってきた同級生の驚きや

彼と恋沙汰のあった令嬢の

虚しさ(または謎が解けた喜び?)や

彼を知る人へのインパクトの

範疇(はんちゅう)に留まらず

彼と同じ思いに悩む青年

ただの思春期に悩む青年や少女

青年、少女を教育する大人

日本の当時の文豪、財界人、芸術家なども

遂に日本からも太陽の光の中に

この種の芸術作品が出てきたかぁっという

兎に角すごいインパクトがあったと思う。

 

 

2024年は

LGBTQQIP2SAA*とか

色んな性的嗜好が存在して当然だと

年少教育(?)から教えられる時代に

なりつつあるように見受けられる。

*LGBTQまでは覚えていたが

ブログ用に調べてみると頭文字が長くなっていた。

調べる度に毎年長くなっている気がする。

これは既に3.141592…を覚えるより長いではないか。

三島由紀夫氏の告白も

2024年に発表したら

”大袈裟”と言われるかもしれない。

 

。。。

 

また、彼のタイプの男性についてだが、

若くて、筋肉質で、理智のない(=頭が弱い???)

男性に惹かれていたようだ。

まぁ、、、男を肉として

見ることが好きだったようだ。

それ以外にも

この本は描写が激しい。

彼の妄想によると

身体を縛って傷つけたり、流血などにも

興味があったようだ。

また、小さな頃は女装をしたり、

青年時代に綺麗な女性と自分を重ねたり

ただの同性愛ではなさそうだ。

今述べた点からしてもこの告白は

1949年の戦後の日本に

スキャンダラスな衝撃を与えたはずだ。

現代においてもどうせなら

この本を複雑な性を理解するための

性教育の本に使っても良いかもしれない。

 

それにしても彼も

「カラマーゾフの兄弟」の影響を

モロに受けた小説家らしいが

まだ「カラマーゾフ兄弟」に比べたら

お子様だ。

この本は三島由紀夫氏の

初期の長編なので

社会全体を小説に反映した

ドストエフスキーとは違い

彼個人の意識の世界だけに

留まっているから。

ドストエフスキーさんの作品では

主人公だけでなくて、

色んな登場人物の意識がまるでその人が語っているかのように描かれる。

女心でさえ、ものすごく上手に描かれていると思った。

 

そうは言いながらも

三島氏のように小さな頃から小説を読み続け

他の子供達よりも意識を

コントロールできるようになったこと。

色んな海外の小説を頼りに自己分析を重ねて

内省する姿は脱帽である。

 

ただ反面、それはあんまり羨ましくなかった。

(強がり!)

私は自分自身の昔を振り返った。

あまり読書をしてこず

本能のままに無邪気にわんぱくをし、

小説などの大人の入れ知恵に頼らず

子供らしく生きてこられたことは

もしかしたら

とても恵まれていたことだったに違いないと

この本を読みながら

読書をしてこなかった

自分を自己弁護するのであった。

まぁ、、、最初の方に書いたが、、、

育ちが違ったのだろう。。。

上流階級の方々の読書量は半端ないのだなぁ。

 

40歳になった今こそ残りの人生、

子供の頃にしてこなかった読書を

もっとして(視力が許す限り)、

色んな小説を通して時間と空間を超えながら

この世界を味わい尽くしたいと思った。

(仕事が忙しくなっても読書したい。)

 

 

また旦那さんが好きな

映画監督がなんと

三島由紀夫氏の別の作品

(サド侯爵夫人)を

演劇にしているので

折をみてぜひ観たい。

 

Ingmer Bergman 

 


ただ私はしばらく

また何かキッカケに出会うまでは

彼の他の本は封印したい。

読むのとちょっと呪われたような感覚に陥る。

ただ、次に三島由紀夫氏の作品を読む時は

「豊穣の海」を読みたい。

 

 

次は手元の5冊のシェークスピアを読む。

その次もまたプランがあるが、

柔軟にいきたい。

結局なんだか予感していたが、

就労開始日が1週間後ろ倒しとなった。

もうあまりここに記録すると

まるで自分がオオカミ女のようなので

記録したくないが、事実です。

一日一日をもっと大切にするため

来週からカウントダウンしようか。。。

 


 ブログを書いていない間の出来事

このタイを旦那さんが焼いてくれた。

丸ごとはめっちゃ怖い。

内臓などは魚屋のおじさんに

全部綺麗に処理頂いた。



ギャラリーでの音楽コンサート

(ニューヨークっぽい。)

ソプラノ歌手もいるコンサートでした。

バロック時代のイギリスの音楽という事でした。


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