心霊世界(スピリチュアル世界)の信憑性 その3
その当時、妻のもう一つの奇跡として忘れられない偶然は、これは妻が当時言った言葉であったのですが、
「もしも、卵巣破裂しなければ卵巣癌が見つからず、そのまま進行してお腹の中に癌が見つかった時には手遅れでだったから、神様が命に問題がない形でちょとだけ卵巣に傷を付けてくれたお陰で早期発見に繋がったと思うよ。」
「私はずっと運がいいから大丈夫。」と笑顔で言った言葉です。
私もその時は妻の前向きな言葉を聞き、私と妻の運なら大丈夫。絶対に辛いことは起らないという自信がありました。
しかし、何とも言えない気がかりな事もありました。
それは、妻が卵巣癌の手術をして1か月後に職場復帰した時の事です。
私は大変な時期を乗り越えたんだから、もっと休んで居た方がいいよと妻に仕事を休むことを勧めたのですが
職場の人に迷惑がかかっちゃうからと、まだまだ体調が完全な回復とは言えない状況で、家で休んで居ても疲れるだけだからと、リハビリも兼ねてと仕事復帰してしまったのです。
そして仕事に復帰してから1週間ほど経過した日の事でした。
妻がポツリと私に言ったのです。
妻が私にポツリと語った内容は
「ゴル妻さん、大病だったのにこんなに仕事に早く戻れるなんて。さすが運がいい人はどこまで行っても運がいいわね。」
と職場の先輩が私の妻に対して、笑みを浮かべて言ったそうなのです。
私と妻の卵巣破裂から始まった医師からの突然の癌宣告。
そして、妻が意図としない子宮卵巣全摘出術。お腹には15センチ以上の電気メスの切り痕が生々しく残っていて、まだまだ腹筋も回復せず、お腹に力が入らない状況で。
職場の同僚や仲間たちに心配や迷惑をかけてはいけないと妻なりに考えての職場復帰に。
妻の何を見てその先輩はそんな言葉をかけて下さったのでしょう?
妻からの話を聞いた私の印象です。
妻はその時「凄く悔しいと言っていました。」
そして私もその先輩の事は解っていますので、心理分析的に、私達夫婦のそれまでの周りの方々の評価や病院側の評価に対して、良くは思って居なかったものと思いました。
そのため、私も
「本当に失礼な人だね。そのまんまお前と一緒の経験をすれば、そんな事は癒えないのに。」
と妻に私の思って居る事をそのまま返しました。
しかし妻は
「そんな事はいいんだけどね。もう終わった事だし苦しむのは私だけでいいから。でもなんか引っかるんだよね。」
といつもの妻らしい発言だったのですが、そんな妻の表情とは裏腹に、何か無性に寂しくなるような、いつかは私から妻がどこか遠くへ離れて行く運命のような表情が、私には感じ取れたのです。
そんな何とも言えない寂しげな妻の存在を、当時私は幾度となく見たことが実はありました。
そして、それに近い感覚をその数年前に実は私は体験していました。
ちょうど、妻の癌が見つかった2年前の事でした。
私の正看護師学校時の同級生で親友が、小腸癌になってしまい大腸や肝臓に転移してしまって、癌で他界する前に久しぶりに再会した時の事でした。そんな妻と同じような影の薄い感覚を私は体感したのです。
その当時デジタルカメラを購入したばかりで、その親友の写真を撮った事があるのですが、その親友は何枚シャッターを下ろしても後ろの壁が見えるくらい薄く映ってしまうのです。
本当に陰の薄い写真を手にとって見た時の感覚と同じ感覚が、私の無意識の脳内感覚とシンクロしていたかのようでした。
その親友を撮った時の写真もそうでしたが、親友との再会の時も、妻の妻らしくない少し感情的な発言も、私にとっては最悪の未来予知に繋がるような本当に嫌な感覚だったのです。
しかし、その当時の私は最愛の妻がすぐに私の傍から居なくなることなんて、絶対に考えたくもないし、あり得ない予感でした。
ですから私は妻はその時はいろいろな事が短期間で重なった疲労のせいで、今ならはっきり発言できますが、魂の抜けたような表情を作ったものと思うようにしていました。
これを世間では霊感。または第六感と言うのかも知れません。
今回のブログテーマでもあります「心霊世界の信憑性」として
こんな世間で言われる霊感。または第六感と言った一方通行の語り手が話すだけの不思議な霊体験や、霊感の鋭い人主導の霊界談話、または第六感と言った脳思考中心の想像で終ってはやはり、特殊能力者だけにしか体感出来ない、信じる信じないだけの世界になってしまうということが、皆様、お気づきでしょうか?
これでは私の生涯目標であった妻との霊界通信も、霊の世界は実在して怖い世界ではなくシンプルで平等な世界であり、その一つ一つの存在に霊界的な意味があるという、妻が私に繋いでくれた妻の生涯をかけてのタスキにも、私の人生観の気づきにも繋がらないのです。
私達生きている人間には、平等に霊界人の魂が霊界のままの形で存在し、霊界は高低や数値など、限界のある人間界ならではの物理は存在しない世界であるという事を考えた事があるでしょうか?
不思議な霊体験、霊感の鋭い人、霊的に特殊能力のある人という自称他称、信じる信じないの世界で終っては、生きている人間都合の視線となってしまう事は想像できることであると思います。
そんなオカルト的な心霊世界を趣味的に楽しむ事はいい事であると私も思いますが、自称特殊能力者が人間特有の損得や縦の関係作り的な物理欲が介入することは、多大なる危険性を生じてしまう事のようです。
同じ身体、脳、魂を平等に持つ人間として、魂を通じて実際に霊界を身体や脳で体感できる感じるか、感じないかに、目には見えませんが本当に実在する心霊世界(スピリチュアル)としてのその信憑性や導かざる真実があるようです。
心霊世界の信憑性とは、脳中心の想像思考ではない、霊界人(魂)の感覚そのものである事を想像できないでしょうか?
生を受けた誰もが平等に生れ持って持ち得る霊界感覚イメージで、「感じるか感じないか?」と言った感覚こそが生涯の人生結果に確実に繋がる、オカルトではない、超スピリチュアル感覚となるようです。
(感じるか感じないか?実際に人生結果に繋げられるかはあなた次第のようです。)
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