銀行口座の整理をしていて、不要口座の解約手続書類と共に手持ちの通帳を郵送する必要が生じた。
受取人払いの返信用封筒に全部入れ、ポスト投函直後に気がついた。
通帳を送る時、普通は書留だよな。
家に帰ってから案内書類を読み返すと、
「お手数ですが郵便局の窓口でお手続き願います」
と書いてあり、赤のマーカーまで入っている。
やっちまった。
マーカーだろうが印籠だろうが目に入らないお年頃なんだよ。
残高0円の通帳だから届かなくても大きな問題はないけれど、口座を閉じるのに手続が増えて面倒なことになったらいやだな。
どうする河童。
そうだ、京都に行こうw
ちがうか。
見なかったことにしておこう。
何もしないのか~いw
やがて一週間が経った。
すると、なんと言うことでしょう、銀行からパンチされた通帳が返送され、手続が完了してるぢゃないか。
やるぢゃん郵便局w
銀行のお姉さんに、うっかり者と思われたに違いない。
実際そうなんだけど。
歳を重ねると、うっかりが増えてくる。
それを繰り返すとヘンな人になる。
実際そうなんだけどw
世の中にはヘンな人がいる。
しかも意外と多い。
会社人間を長くやっていると周りには似たような人が集まって来るから、あまり意識することはないけれど、考えてみれば、高校・大学受験、入社選考のフィルターを通って来るのだから、似たような価値観で偏った集団になるのは当たり前に思える。
しかし本当にそうなのか?
一旦、自治会活動などで似たような文化を共有する常識的な地域社会に軸足を戻すと、そこにはとんでもなく変わった人たちがいることに気づかされる。
職場では気付きにくいが、本質は同じなのかも知れない。
人間に性質的偏差値があるのかは知らんけど、何となく富士山型の正規分布になっている気がしていた。
しかし恐らくそれは個々人が空気を読むから中央が高くなっているだけで、本心の実際分布は標準偏差がバカでかくて、同じような高さで台地のようにフラットに広がっているのではないか。
一部のパーソナリティ評価にスペクトラムという表現がある。
特性の強弱が連続的に分布している様を表しているようだ。
一般人との違いはその発言や行動が平均値から大きくズレていて、他者に迷惑をかけていても自覚できないことがある点。
迷惑の有無が一般人との境目だと極論したとしても、迷惑は相対的なものだから、よほど極端でない限り曖昧なはずだ。
一般人と言ったって、その同じスペクトラムの延長線上に連続的に分布しているだろうから、明確な境界があるわけではない。
両者にグレーゾーンというか、僅かな過疎地帯はあるのだろうけれど。
いつものように話がとっ散らかって来た。
専門外のド素人ながら気づいたこととして、
人の性質って、
遥かに、
全然、
思っている以上に
皆、とんでもなく違うのだろうってこと。
桜梅桃李は正しいけれど、会は正反対の全体主義を強いるから病む人が出て来る。
みんな違うから社会の健全な発展がある。
衰退し続ける会を見れば、全体主義の誤りは明白だ。
多くの日本人は空気を読むのが得意で、中央に寄せて来るから分かりにくいけれど、酒を飲ませれば直ぐエッジまでワープしてその正体を晒すw
全体主義は窮屈すぎる。
突飛なことをするとヘンな人と呼ばれることがある。
良い意味で人とは違った考え方、行動、発言をする人は、ヘンな人だけど実利があって楽しいし刺激になる。
逆に空気が読めず、非常識な行動、発言をする人は、時に自分勝手で人に迷惑をかけることがあるから、要診断の?ヘンな人だ。
ある程度の訓練を受けないと生きにくいのではないか。
人に迷惑をかけない限りは、何をどうやったって文句を言われる筋合いはない。
ワタシ的には、前者の意味でのヘンな人を目指している。
独自性を高めないと技術分野ではやっていけないから。
世の中で迷惑系の動画配信者がもてはやされるのも、世間の価値観のすそ野の広さとその高さを物語っている気がする。
会の会員は、一世の場合、元々大きな悩みを持って入会する場合が多い。
幸福度は決して高くないだろう。
そこでヘンな活動を強いられるのだから、自分だけの幸福を求める迷惑系のヘンな人の出来上がり。
宗教なんだったら、大人しく成長すればいいのに、人に迷惑をかけてどうする。
そうしないと幸せにれない教義だから仕方ないけど、迷惑と慈悲との区別がついていない。
いや、慈悲は迷惑に勝るとさえ教えられる。
だから武勇伝を自慢するんだろうけどw
バリ活がパーソナリティなのか宗教なのかは知らんけど、やってることは迷惑系だから、社会に馴染もうと気づいた時には、やはり相当のリハビリが必要だと思う。
ただ、知らず知らず迷惑をかけてしまうのと、知っていても迷惑を正当化するのとでは、他者の命に与えるダメージが全然違う。
特に後者は全然可愛くないし、気付いた本人自身の命にもダメージ与えることになる。
注)個人的な気付きを書きましたが、
生まれ持ったパーソナリティを批判する意図は
全くありません。