人は歩いたり、走ったり、

 

わずかな揺れはあるものの

 

軸と重心は誰しもほぼ一致している。

 

この両者をそれ以外の身体運動においても

 

意識、もしくは無意識に一致させることが、

 

日々の練習の大事なポイントであり、

 

着実な上達、成長のカギともなる。

 

 

空手道などの武道に限らず

 

あらゆるスポーツ、ヨガやダンスなどでも

 

動きの形、ルールというものがある。

 

これを真似て学ぶとき、

 

とたんに軸と重心がバラバラに動き始める。

 

それは胴体を中心としたその周りを

 

自由に動く顔(頭)の位置、両手、両足を

 

どのようにバランスさせてよいか

 

まったく分からなくなるためである。

 

自分のものとするのは容易ではない。

 

 

これを理想的に整えるには、

 

言い表し方は難しいが文字にするならば、

 

軸を保持してブレなく、倒さない、傾けない。

 

そして軸の中に重心を置く意識を持つ、

 

ということ。

 

 

簡単にイメージすると、

 

物理でいうところの、

 

複数の作用、反作用が働いて全体のバランスを

 

保つなかで、

 

その作用点(始点)が軸から外れない状態を

 

つくる。

 

軸から外れるとは、例えば、

 

手や足を伸ばしたその手足の先と

 

バランスをとろうとして不必要に後ろに

 

反らしてしまった身体の間、

 

その空虚、空間に重心を逸している状態。

 

 

軸と重心をはかる要諦は、

 

両者が似て非なるものと捉え、それを再調整し、

 

一致させるという意識である。

 

 

          静から動へ

 

 

軸は、体幹と言い換えてもよい。

 

人は静的であり、動的である以上、

 

巷にあふれている「体幹を鍛える」では不充分。

 

軸と重心の絶妙な均衡をはかる、

 

この微調整、わずかな揺れを

 

身体全体、心身で感じることで、

 

日常は、間違いなく上がる。

 

空手道もスポーツも、ヨガもダンスも、

 

間違いなくセンスが磨かれる。

 

そしてもっと楽しくなる。

 

それは口元が緩むほどに面白く、

 

噛みしめるような味わい、

 

心地よさも格段に上がっていく。

 

 

この感覚に達成、完成形はないのであろう。

 

長年修練してきて思う。

 

そして人生の大先輩をみてもそう思う。

 

ゆえにセンス、味わい、心地よさなどは

 

続ける限り、無限なのだと理解できる。

 

「継続は力なり」

 

を体現しているように見える方からも、

 

ゴールはない、と。

 

倒れたところがゴールなのかな、

 

というのも実感なのであろう。

 

 

どう生きるか ―――

 

先人に学び改めて思う。

 

他者との比較ではない。

 

自分の時間軸での成長こそが確かな力。

 

それは結果的に、

 

個として相対的にも圧倒的に強く、優しい。

 

 

前月にも少しふれた

 

池田晶子さんの “ コトバ ”

 

「個に徹すれば必ず開かれる」ということ。

 

自分探しに迷い惑うのではなく、

 

己を深く追求していくこと。

 

伸びしろは、

 

まだまだ広く大きい。

 

 

追記

 

つい先日の夕方、地元の中学校の校庭脇を

 

所要で通りかかりました。

 

そこで、よく知る校長先生が私服で深く帽子を被り、

 

草取りをしていました。

 

翌日には2学期の始業式というタイミング。

 

生徒たちが登校する前に真夏に伸びた草を刈って、

 

気持ちよく登校してもらいたい。

 

生徒たちを迎え入れたい。

 

 

あとから聞いた話では、

 

その日は朝8時頃から草取りをしていたとのこと。

 

日頃から熱心で、想いのこもった言葉や応対が

 

印象的な校長先生ですが、

 

若手に任せているだけでも構わない学校の草取りを

 

人知れず黙々としている姿に感じ入りました。

 

あの日の光景、

 

ちょっと心に留めておこうと思います。

 

 

以下、3つ再掲します。

 

研究してみるといい

 

丹田

 

SENSE