一昨日、立春を迎えました。
稽古で、若者たちに息吹の本質を伝える指導のなかで、
かつての稽古の一シーンを提示しました。
2006年(中央の赤帯は恩師、その右に森)
徹底した陽の息吹、
鎮まるような陰の息吹の修練、
いつ、恩師から厳しい一言が飛んでくるか、
肩に、脇に、腕に、足腰に、みぞおちに、
『締め』のきつい一撃がいつ飛んでくるか。
それは、座禅における警策(※)と比肩するほどの
心身はもちろん、精神修養をはかるもの。
※警策(きょうさく)
曹洞宗をはじめ、座禅で、高僧が修行僧の肩や
背中を一喝して叩く板、またはその修行。
これ以上ないほどに洗練された空気のなかで、
みなで充実の稽古を行ってきたものです。
人としての強さと優しさを培うことの基本が、
剛柔流の伝統を受け継ぐ私たちの稽古にあり、
そのおおもとが、
この息吹の修養に凝縮されている。
息吹はもとより、長年の修養によって、
よい習慣を、よい形(かた)を身につけたなら、
それらは生涯にわたって己の心身の軸となり、
自身を根本から支えるかけがえのない財産となります。
決して失うことはありません。
シドニーのジョージ師範からの一言が
改めて思い起こされます。
「この剛柔流との出会いは、100万ドルの宝石にも優る」
AUSにて(ジョージ師範 森)
広大なオーストラリアのニューサウスウェールズ州の、
約30カ所の道場をクルマで2人で移動中に
ふいに英語で語ってくれた言葉。
若かりし頃に日本に修行に来て
得たものの大きさを表現する、
ジョージ師範の心からの実感であり、
いまも私のなかに深く刻まれている
一言です。
あれからおよそ四半世紀、
出会いこそが、
よい変化をもたらすかけがえのない契機となり、
確かな成長につながる源泉です。
人生の命題は、カントの哲学にもあるように
『よく生きること』 ―――
成ったことはもちろん、
成らなかったことを含めて、
すべてを糧とし、心身の成長をはかる。
試合も試験も仕事も、
あらゆるものごとが短期間で結果を求められる
現代社会にあって、
長期的な視点で取り組む軸を持つことは、
必ずや己の助けとなり、力となる。
すべては、
継続こそが力であり、努力は必ず実を結ぶ。
この一言に、収れんされるのです。
3つ、再掲します。

