ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】 -39ページ目

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

昨日の日経新聞では、トヨタが4~6月期に黒字を確保したというニュースが出ていた。

 

 

 

いちいち調べないけど、他の自動車メーカーは軒並み期間は赤字だったはずだ。

 

原価低減をひたすらに追求しているが、さらにこれでもかと絞り上げるのは、驚異という他ない。

 

今、日本のみならず、世界中の企業が苦しんでいる。

その原因はコロナウイルスであることははっきりしている。

 

原因がはっきりしているのだから、そこに言い訳をもとめたくなるのは、普通のことだ。

 

だけれど、トヨタのように、世界の先端を突っ走っている会社はそれでも言い訳をしない…そんなふうに見える。

 

僕らのような無駄だらけの会社にとっては、メタボリックなおっさんよろしく、誰が見たって、

『おめーもっとやせなきゃ早死にするぞ』みたいな状況だと思う。

 

言い訳無用。自分の生活を顧みて、ただただ精進。

最近、ずっと安宅和人さんの記事を追っかけている。

 

yahoo CSOでかつ、慶應義塾大学の教授。

 

肩書だけを見ても、ただならぬものでないことは確かだ。

 

私が、この人を強烈にリスペクトするようになったのは、

シン・ニホンという本を読んだからだ。

 

僕は田舎で生まれ、育ち、そして今後死ぬまで、そこから離れないと決めている。

しかし、世の中がつきつけてくる現実は厳しく、周りからは年々人が減っていっている。

 

世間では、コンパクトシティとか、そういうことを論じ、田舎はある程度淘汰し、都市機能に人を集中させて生きていくことが望ましいとしている。

 

強烈な都市化への人の流れが加速したのは、人類史の中からいってもほんの一時でしかない。

うちの村の近くに、5、6世紀ごろと言われている古墳がある。

 

こんなに雪深いところに、そのころから、もしかしたらそれ以前から、人が脈々と生き続けたことを考えると、今おきているコンパクトシティ論が本当に正しいのか…

食料供給システムが変わったからだとはいうものの、人が生きていくという何千年の歴史があるのに、今そんなものは集約されるべきだという論には、どうしても納得がいかないのだ。

 

そんなことをずっと思いつつ明確な答えが見つからない中にあって、シン・ニホンは、東京のようなシティとは真逆の場所にこそ未来はあると、yahooのようなITの先端みたいなところを突っ走っている人が言い放ったことに僕自身は一つの光明をみた気がした。

 

そんな安宅さんのインタビュー記事の中でさらに突き刺さる言葉に出会った。

 

『未来の話というと『どうすれば想像力が磨かれるか』と聞かれますが、想像力なんて考えるから、問題が解けないんです。未来を作るのは想像力じゃない。意志です。50年後に振り返っても自分で恥ずかしくないようにどんな未来を作るのか、あるいは200年後の玄孫(やしゃご)に自分は何を残すのかを考えるんです。作りたいもの、欲しいもの、あった方がいいものという視点で考えれば、自ずと視界は開けていくし、時間の尺度も変わるはずです。』

FQ記事より)

 

想像ではない。意思。

 

コロナウイルス禍の中にあって、田舎も都会もみんな不安だらけだ。

そんな中にあってたくましく生きるためには、自分たちは世界をつくるのだという強い意思こそが求められている。

 

 

 

 

昨日は、地元地区の河川草刈でした。

 

良い天気に恵まれたものの、とても暑い一日となりました。

 

ついでにということで、家の周りや、会社の周りなど気になるところをひたすら草を刈り続けたので、もうぐったりな一日になりました。

 

その様子をみていた某氏が一日中やっていて大変でしょう

 

って声をかけてくれたのですけど、私のマインドは実は草刈を単なる草刈とは思っておらず、いわゆるエクササイズの一つだと思っていたので、もちろん苦しかったけど、終わったときのマインドというのはけっこうな達成感というかやり切った感のほうが大きかったです。

 

【草刈り中にみつけた野イチゴ】

 

 

 

膝を少し痛めてからというものランニングの距離をほとんど稼げておらず、体重も増加傾向にあります。


草刈は結構体力を使うので、ランニングの代わりというわけにはいかないけど、それなりの体力の消費は見込めます。

 

そんなことをつらつらと考えていると、要するところ考え方を変えれば、人生というのはいかようにでもなるもんだなぁと思いました。

 

苦しいことも自分にとっての学びや、成長だと思えばそれは必要なことに変わりますが、それを単なる苦としか思えなければ、ほんとうにつらい時間でしかありません。

 

やっていることは変わらずとも、意識を変えればそれはいかようにでもなる。

 

改めてそんな気づきがありました。

 

 

 

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あるツイートが目に飛び込んで、自分の中で、ものすごく重く響いた。
 
 
ちきりんさんのツイートだ。
 
テスラの時価総額がトヨタを抜いてトップにたったことに対するコメントである。
彼女のツイートは僕ら自身の身の回りにも言い当てているからだ。
 
私の会社は建設会社だ。
少子化社会であれば、業界にかかわらずだろうけれども、ご多分に漏れず、うちの業界も若者の雇用をが相当に厳しい。
 
よく業界の中では、建設業に若者は見向きもしない…
的な話をするが、これまでの20~30年やってきたこととかわらずやり続けるのであれば、そりゃ若者がむいてくれるのは無理だろうと…
 
て思っている。
失われた20年の中で育ってきた彼らは、ほんとうに冷静に社会の在り様をみつめている。
 
40代、50代のおっさんたちは、バブル経済の中で社会資本整備という号令のもとに、バンバン道路や橋をつくってきた世代だ。
そして、次の20年、30年も、そうありたいと願い、変わらず社会資本整備こそが地域経済活性化の本丸だと信じて疑わない。
 
私自身は、そんな業界にいながらいうのも変だか、そんなことありえないと思っている。
 
かのトヨタも、相当イノベーティブな会社だと思うけど、社会のもっと先を見つめている人はそうは思っていない。
これからの社会というのはこうなるのだと突っ走るテスラが市場から支持されているように、私たちの業界も相当に変革しなければ、市場の理解など得られないのだ。
 
株式市場を形成しているのに、20代の若者がこぞって参加していないだろうけど、株式市場というのはある程度、世相を反映していると私は思っている。
 
だから、トヨタよりテスラで働きたいと思う若者はきっと多い。
同じように、私たちの業界、私たちの地域が次の社会の在り様を示せれたならば、若者はほっといてもやってくるだろう。
 
もちろん、給与、福利厚生のような条件もあるだろうけど、やはり未来に明るそうだなと思わせるところに若者は集まる。
 
人集めに苦労しているのは、そういう社会変革という生き様を世に問うていない証拠だ…
 
私はそう思う。