昔、トレーニング中に水を飲むなということが常識としてあったけれど、今ではそれが非常識であるということは、みなさん周知のとおりです。
私の経験から言うと、おそらく小学生ごろまではそれが常識とされていて、中学生ごろから、それは違うということになっていったような気がします。
だから、私より先輩の人たちは、それまでは飲まないことを常識としてやっていただろうし、そういう常識の中で、努力を続けてきていたわけです。
当時のその考えの中でやっていた努力は、無意味だったかというと決してそうではなかったと思います。
自分が信じて努力し続けることには、意味があるということです。
科学の力によって、さまざまなことで常識が覆されていきます。
今日正しかったことが、明日は正しくない時代というのは常にあります。
今自分たちがやっていることも、明日は否定されていくこともあります。
『今』正しいことをつかんでいくことは常に必要だけれど、それ以上に大事なのは、その中で努力し続けることが正しいのです。
先の水分補給の話も、努力の中で、さまざまなものが経験値として、積み重なります。よく言われる根性論…っていうことですけど、それは無意味なのかというと決してそうではないと思います。
努力の中で見出したことはその人の血肉になっているならば、それは正しいことだと思います。
一番よくないのは、そういう過去の努力を、常識が外れていると、あざ笑うことではないでしょうか。
私たちが今続けている努力は、明日になればまったく無意味になってしまうかもしれない。
だけれど、今日努力したことは意味のあることだと私は思います。
