all or nothingからの転換 | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 
 
一昨日のブログはかつてないほどの反響いただいて私自身もとってもビックリしています。
 
閲覧数がマイベストを記録しました。賛同いただいた声なのか、そうでないのかははっきりはわかりませんが、どちらかというとコメントの数々からしてもご賛同いただいた声だったのかなと思い、とてもうれしく思いました。
 
社会全体がよりリスクをとるようなにしていかねば世の中は良くならない
と思っていただいている人が多い…そういうことだと受け止めました。
 
一昨日から、ではなぜこんな社会になりつつあるのか?とずっと考えていたのですが、それはall or nothingという発想、つまりはi今の教育が横並びを前提とした構築の仕方をしているからなのではないかという考えに至りました。
 
今回の課外活動が中止なった根本は『もし事故が発生しても、学校は責任を負えない』…ということに起因しているからだと思います。
 
それはあまり乗り気でない子供、乗り気でない親も一律な機会を提供しなければならないから、それを無理して押しきって何がおきたら、学校は責められる…そういう考えだったのでしょう。
 
しかし、あまり乗り気でなければ学校で自習させたり、自宅待機をさせたらいいだけの話だったのではないか…と思うのです。
 
『課外活動にはリスクは付き物なのだから、それを覚悟理解した上で参加させてください、もしそのリスクを感じて、子供たちを参加させたくないのならそれでもいいですよ…』
 
とは言えないのだろうか?ということです。
 
学校は一律に機会を提供しなければならないという呪縛を解かなくては、ただただ窮屈になっていくだけなのではないでしょうか。
 
そんなことは公共が提供する教育としては認められない…という意見もあるかもしれません。
 
語弊を招く言い方になりますが、うちの小学校でも障害を抱えている子供たちに特別学級を作っていただいて、一緒に学ぶ機会を作ってくださっています。
 
また不登校の生徒がいても以前のように、学校が強制的に連行するとこともしません。
もうすでに横並びではなくなっているということです。
 
ならば、あんな環境でスキーをさせるのは危険だという親に配慮し、そういう親子は学校で自習なりをさせることはできないのでしょうか。
 
 
こういう風に考えてみたのにはもう一つあります。
それは、『警報出たら即休み』というやつです。
以前から私が指摘しているように
暴風警報出たら休み、大雪警報出たら休み、大雨洪水警報出たら休み…
 
実際の気象状況を加味せずに判断が下される…あれにも大いに疑問を感じます。
私は建設業にいるので、災害が発生すれば、むしろ初動体制を構築しなくてはいけませんから、家を離れ、会社に向かわなければなりません。
 
たまたま私の妻は、比較的自由に自分の身を切り回すことができるので、休校になっても子供たちと一緒に自宅にいることは可能です。
 
ですが、夫婦二人とも消防や警察、災害対応に従事する職場にある人は市民生活を守るために職場から離れることができない人もいるでしょう。公共交通機関も警報が出たからと言って、そんなに簡単に運休することばかりでもありません。
 
となれば休校になって子供たちに自宅待機させるよりも、学校で自習する方がいい場合だってあります。
 
学校に来て、もし何かがおきたら…という親は子どもを自宅待機させればいい話だし、むしろリスクの責任は当然親が持つから、そんな日でも学校に行かせてほしいという親もいるということです。
 
学校の先生の負担が増大するなら考えものですが、そういう多様性を認めるような教育こそ、これからの社会には必要になるのではないでしょうか?
 
さらには、あえて先生に、親子スキーの目的をお聞きしました。
『(はっきりとは覚えていませんが…)スキーを通して…大自然の素晴らしさや厳しさを学び…』
ということでした。
 
『でしたら雪が残っているところ、スキー場でなくても雪のある場所を探して行って、リフトを使わずスキーをやることもできませんか?また、スキーということからは外れるでしょうが、鉢伏山に登山をするってことも十分目的の達成につながりませんか?』
そのように申し上げたのですが、それも却下されました。(まあ、普通はそうなのでしょうが…)
 
私が本当に問いたかったのは、ゼロ100ではなく、50%や70%という中間的な発想でものごとをとらえて、柔軟な対応をしていけないかということです。
 
中止するという決断は実は最も簡単な決定方法です。特にお金の絡まないことならなおさらです。
 
でも、やると決めたことを70%とか50%でやっていくのは実は相当に厳しい。
段取りを変えて、相応の準備や対応が求められるからです。
そういう臨機応変な対応こそこれからの社会にとって最も必要なことの一つでもあります。
 
誤解をしてほしくないのは、そう判断した先生を批判したいわけではありません。
私もそれに同意した立場ですから、その責任は私にもあります。
 
本当は、親を集めて賛同を得たり、それができなければメールや文書や『親の気持ち』を確認することもできたはずです。でも私は、そこまでやりきる行動力がありませんでした。
そういう意味では、今こうやって愚痴みたいに言っていることは卑怯だと思います。
ですが、今の社会を少しずつ望ましい変化に結びつけていくには、言い続け、行動し続け、より望ましい方向に替えていくしかありません。努力していくしかありません。