一昨日のことでしたが、ついに我が子が通う学校でもプールが中止となりました。
おそらく、但馬内でももっとも冷涼な場所の一つですから、他の学校すべてが中止となったに違いありません。
もう子供たちは親が監視する場所で、しかもクーラーの聞いた場所でしか遊べなくなってしまいました。
外に出れば、熱中症になるから外に出ないでと言われれば、よほどの子でもない限りは従わざるを得ないでしょう。
なんとも不幸なことだなぁと思います。
私は、学校が気温等に関する客観的な情報は出しても、その判断までしてしまうことに大いに疑問に感じています。
おそらく、そんな中で事故が発生したら、学校の責任はどうなっているのだという親からの猛烈なプレッシャーがあるからなのでしょう。
もはや、学校は『リスク』にむきあえない組織になってしまいました。
大雨警報が出れば休校…
大雪警報が出れば休校…
その場がどんな状況であろうとも、少しでも疑わしい状況であれば中止。
子どもの命は確かに守れるでしょう。
ただ、そんな社会の中で子ども自らが『リスク』を判断するという機会は各段に失われていると思います。
私は、子どもが身につけてほしいことに『リスク』を向き合うということがあります。
リスクを単に避けるという意味ではなく、リスクの中で正しい判断をして行動していくということです。
それは、一朝一夕に身につくものではないし、勉強をしたから身につくものでもありません。
現場でそういったものごとに、遭遇し、自らがジャッジし、行動して学んでいくしかないのです。
昔は、それこそ遊びの中から、そういったことが自然と身についたのだと思います。
私たちの頃は親も寛容でした。おかげ?血だらけでしたけど…
外で遊ぶ中でちょっとの無茶もしながら、これ以上いくとやばいかも…これ以上いくと死んじゃうかも…
という感覚を学ばせていただけたと思います。
そういう経験は、やはりモノゴトの判断するときに大いに役にたっています。
危険があるから『中止』という判断は、ゼロ百の究極の選択です。
危険だけれど、ここまでならできるかもという可能性がそこにはないのです。
私の会社は建設業を営んでいて、このクソ暑い中も作業は続けられます。
熱中症リスクがあるのは承知のうえです。
それでもそれらのリスクを回避するために、ドリンクを準備したり、空調服などを準備したり、出勤時間も変更したり、とにかく仕事を止めることはありません。
梅雨が明けた7月初旬から、ずっと暑い日が続きますが、命の危険に関わるから、外に出るのを控えているのであれば、私たちの仕事はなりたちません。
また、自然災害が発生すれば、消防、警察、自衛隊などの機関が活躍しますけど、、土砂災害などで道路がふさがれば出動したりもします。
私たちには社員の命を守る責任があるけれど、それとは矛盾するように、『どこどこで災害おきたから現場に行ってきて…』って平気で言うんです。
世の中の多くは天候のリスクがあるから仕事を止めることができないものも多いのです。まして、病院や命を預かっているところは、そんな状況でも止めることはできないのです。それが世の中に現実ではないかと思います。
私は、生きる力を育てるのが教育だと思います。学校で『リスク』と向き合うことがなければ、そんな子供たちが大人になったときに、今まで以上のリスクにどうやってたちむかっていけるのでしょうか?
もはや、そこは学校に期待するのは無理なのかもしれません。他人の命の責任まで負わなければいけないですから…。
もうそれは親しかできないことなのでしょうね。たいしたことなど子どもたちに教えることができませんが、せめて、たくましく生きる術だけはみにつけてもらえることだけは親の責任として果たしていくようにしていきたいものです。