最近、うちの息子などは、『ヤバい』を連発します。
おいしいものを食べたら『ヤバい』っていうし、何かかっこいいものを見つけたら『ヤバい』って言います。
私は『ヤバい』という言葉は、危機的でネガティブな状況をさすような言葉だと認識しているので、どうもその言葉には違和感を感じていて、息子にも時々指摘していたりしました。
今朝ふと、堀場製作所の社是『おもしろおかしく』という言葉が頭に浮かんできました。
そして、そんなことを思い浮かんでいると、ふと清少納言の枕草子の中に出て来る『いとをかし』っていう言葉が頭の中に浮かんできました。
私は言語学者ではないので、定かではないけれど、『おかしい』という言葉は、現在では、異常なさまを指す言葉として使われることが多いと思います。
しかし、古典の中では『おかし』というのは、『美しい』とか『趣がある様子』つまり、その状況が素晴らしいさまであることを表しています。
そういえば、『メッチャいい』の『滅茶』という言葉も、本来は常識をはずれて、道理にあわないこととされています。
人間は本来、古今を問わず、常識にあわないことを疎んじてきたのだと思います。
ただ、それをピンチととらえてるのか、チャンスととらえるのかで、人はものごとを大きく転換させてきました。
ピンチと考え、そのまま壊滅的な状況にしていくのか…、いやむしろその状況を創造的な状況だととらえるのか…。
若者が発する『ヤバい』は、きっと彼らは壊滅的な状況から、未来を創造しようと自然に発しているのだと理解すれば、その言葉も合点がいきます。
『ヤバい』地域、『ヤバい』会社、『ヤバい』自分…。
いっちょ創造的『ヤバい』未来を作っていきたいと思います。