
昨日の続きになります。
『兼六園』に行ってから、なぜ日本庭園に日本人は惹かれていくのかということをふと考えこんでしまいました。
以前、カナダのブリッティシュコロンビア州の、ビクトリアにあるブッチャートガーデンに行ったことがあります。
行った時期が初夏ということもあったのですが、それはそれは見事な庭園で、素人の私でもすぐにそのスケールに圧倒されたことを覚えています。
それは、色彩があって、絢爛豪華な雰囲気の庭園だったからです。
一方、兼六園もつつじとかさくらとか彩の美しい季節もあると思いますが、色彩という意味では、まったく地味な感じです。
しかし、なんというのでしょうか、凛とした空気を感じて、これもまた美しいなぁって思うのです。
ユーラシア大陸の一番東に日本が存在しているからなのでしょうか、美というものに、まったく両極端な世界を感じます。
日本の床の間に一輪挿しをおいてあったりすることがありますが、花一輪で、その空間全体の華やかさを感じる感性が日本人にはあります。
私たちが生きる今の社会は、モノがあふれています。
そして、すでに私たちは多くのものを手に入れました。
また、例えばファストファッションに代表されるように、短いスパンで次々と服を手に入れることができる時代です。ですが、どこまでモノを持ち続けても、これでいいという限界がありません。
日本はモノづくり大国。モノを次々に産み出さないと、成り立たない社会であることも関係しているのかもしれません。
年齢のせいもあると思いますが、人生の折り返しをすぎた今、何かをくっつけて価値を見出すのではなく、不要なものをそぎ落とし、本質的な価値あるものだけを残していく…。
そういう生き方こそ、これからの時代に必要だ
そんなふうに思います。
日本庭園にある草木は稀少なものはありません。山に行けばどこにでもあるようなもの。
しかし、雑草や落ち葉を取り除き、形を整え、過剰なものを、どんどんそぎ落としていきます。
そこに見えるのは、本質。
本質は、力強く、美しい。
これからはそういう生き方を目指していきたいです。