今年も、私の会社が経営する『うづかの森』で栽培した米の稲刈りが終わりました。
我が家は代々百姓の家系です。
4代前に、分家しました。
うちの隣に住んでいる同じ姓の同級生が、本家になります。
私の父は、西村家次男、父は中学を卒業し、大工の道で食っていくことを決意し、一旦は外に出たわけですが、祖父母に呼び戻され、ハチ北に帰ってきました。
世の中の流れと同様、普通は長男が跡継ぎになり田畑を守っていくのですが、父の兄が青年期に交通事故で他界したのです。
おりしも、ちょうどハチ北はスキーブームによって、どんどんと発展していこうとした時代でした。
地元の旅館民宿などの物件も多く手掛け、個人の大工から法人の建設会社へと成長していきました。
なので、跡継ぎになったあとも、田畑は祖父母が細々と守っていっているような状況でした。
私が西村工務店に勤務して、10年ぐらいたって、父の片腕にぐらいにははなれるようになった頃だったでしょうか…父は思い出したかのように田畑を手がけるようになりました。
父は本業の傍ら、世襲農家として再び百姓に復帰したのでした。
しかし、6~7年ぐらい前、父は怪我がもとで入院をすることとなり、それと重なるように脳梗塞が発症し、手足の自由がきかなくなってしまい、外で活動ができなくなってしまいました。
私は、父が管理していた田畑をどうすべきか悩みましたが、おりしも養父市が農業特区をとり、農業に再び脚光をあびるようになってきたので、そのムーブメントに乗っかって、私はこれまで父が管理していた田畑を工務店の事業の一部として手掛けることにしました。
私は基本的に、会社のマネジメントに多くの時間をとられていることもあって、ほとんど田畑の現場に出ることはありません。
今は、それを専属の社員がしてくれています。
しかし、社員に給与を払い、必要な肥料などの資材を買って、農機具などへの賃料などを払うと、今の一般的な市場価格ではペイはできていません。
今、『うづかの森』という宿泊事業を手掛けているので、米はそこでほとんどを消費していて、出荷はあまりしていないので、それだけコストがかかった価値のある『コメ』を提供しているという考えで割り切っています。
やはり、農業はそんなに甘くはありませんでした。
地元村岡でも兼業農家がたくさんいらっしゃって多くの方が、田んぼをつくっておられるのですが、結局、彼らはサラリーとしての主たる収入があるか、一線を退き、年金をもらいながらやるかのどちらかがほとんどどです。
だからコストのかかる米づくりをしようと、人件費そのものは、ゼロ円なので、損はしていないわけですね。
だから、専業農家はほとんどいない。
この村岡にあっての専業農家は、但馬牛の生産者ばかりです。
米や野菜の生産を生業しているのは、ほんの数名だけなのです。
自分の会社で事業の一輪として取り組んでみて、その実態がだんだんとわかるようになりました。
今の村岡では稼ぐ農業を実践するのはほんとうに難しい…。
それが実感です。
最近、ご高齢の方などから、うちの田んぼなども耕作してくれないだろうか?
という相談をよく受けます。
ご子息などはヨソに出てしまい、老いてくる体とむきあっても、できなくなってきているのです。私自身、ほんとうに痛いほどに、その方々のお気持ちは理解できるのですが、首を縦にふって、みなさんの田んぼを引き受けることができないのです。
農業に取り組んで6年、いまだ、明快な答えを私自身はみつけることができません。
会社として取り組むにあたってはやはり利益を確保できる状況にならなければできません。
冒頭のFBにもあるように消費者は安いものを買い求めます。
そうなると、私たちは、まったく足元にも及ばないのです。
しかし、こうも思います。
コストがかかろうが何しようが、人が(栄養を取得するという意味での)食糧を確保できなければ、生きていくことはできません。
台風や大雨などが多く発生するようになり、物流が滞る事態がときどき発生します。そして、今は多少落ち着いているものの、国際情勢も不確定なところがあり、いつなんどき食料を確保することが難しい場面に直面するかもしれません。
だから、儲かる儲からないだけで割りきっていいのかって…。自分達が食べるものを自分達で確保することは不確実な時代の安心をてにいれることではないのか?…って。
まだまだ知恵や努力が足らないのも事実です。
しかし、今世の中のそういったものに翻弄されているのが私の置かれている現状なのです。