日々の生活、あなたはどんなふうに感じていますか?
退屈な日々なのでしょうか?それとも、刺激的な日々なのでしょうか?
おそらく、多くの人は、毎日あまり変わり映えもなく退屈な日々だと思っていると思います。
実際、私自身もそう感じることは多々あります。
今日(9日)が最終日となりますが、現在、山陰海岸ジオパークの再認定審査が行われていて、そこで審査員に向けてのプレゼンテーションをさせていただく機会を得ました。
世界審査ですから、審査員は外国人の方です。
プレゼンテーションは、通訳を通じて英訳するので、日本語でもできますと事務局の方がおっしゃっておられたのですが、私はあえて英語でプレゼンすることに挑戦することにしました。
審査が決まってから、英語の勉強も改めてはじめました。
原稿の作成は、やはり私の英語力ではおぼつかないので、そこは外部の協力者の力を借りて、英訳をしていただきましたが…。
とにかく、審査員の方に、
「ああ、内容はともかく、一生懸命やってるやん」
そう思ってもらえたらそれだけで僕の使命としては十分!
そんな思いで、事前に何度も何度も発音練習だけは繰り返し練習しました。
多くの人の前で英語でしゃべるー!?
かつて、想像もしたことがなかったことです。
しゃべったあとは、あまりに、審査員の反応がなさすぎて、ちゃんと伝わったのかどうか不安なところもありましたけど、自分がそれをやると決めて、人の前でしゃべることができたという満足感はありました。
会社の経営を担わせていただいていることもあって、多くの人の前で話す機会は多いので、最近、それで緊張するということはあまりなくなってしまいましたが、そういう経験のない人にとっては、それは相当なプレッシャーだと思います。
ある人にとっては、刺激的でないことも、他の人にとってはとても刺激的なわけです。
私は今回英語でしゃべるという機会を得て、まだ人前でしゃべったことのなかった私が、緊張をしたり、心奮い立たせたりしながら舞台にたった、昔の自分を思い出しました。
そこでこんなことを考えました。
例えば、新婚さんにとっては、ご飯を食べる、風呂に入る、寝る…そんな日常もものすごく刺激的です。
しかし年数が経てくると、それは何ら変わることのない平凡な日常になってしまいます。
やっていることはたいして変わらないのに、刺激的な日々だと感じたり、そうでなかったりする。
結局のところ、日常が刺激的かつまならいかは、その人が決めているということです。
私ははじめて「英語でスピーチをする」という機会をいただいて、今直面する出来事について、「そのはとても刺激的なこと」と自分で決めればいいことだ…ということに気づきました。
朝ご飯を食べるとき、味わって食べて、お米の甘さを改めて感じてみる。
お風呂に入って、水ってどうやってここまでたどりついているんだろうと思いめぐらす。
夜寝るとき、世界の裏側では戦慄のさなかで不安な日々がいると、こうやって眠りにつけることに感謝する。
いろいろ思いめぐらして、自分たちの日常が実はとても刺激的なのだというふうに思う改めるよう努めていこう…
そんな気づきを得たのでした。
そういう意味でも、今回の新たなチャレンジは私にとってものすごくすばらしい機会になりました。
町のジオパーク推進協議会のみなさん、県民局をはじめとする山陰ジオパーク推進協議会のみなさんに、このような素晴らしい機会をいただいたことに心から感謝申し上げます。