台風の朝です。
先日この地域も、ものすごい雨で、特別災害警報が発令された折に、
『ただちに命を守る行動をとってください』
と気象庁の方がテレビ越しに言っていたフレーズが頭の中を今朝も駆け巡りっています。
おそらく、先日は、オウム真理教の浅原代表をはじめ、それにかかわった人の死刑が執行された報道もあったのと重なっているのかもしれません。『命』について考え巡らす朝です。
当たり前だけど、命は大事。
では、
『命を大切にする』っていったい何なのだろう…。
ふと考えます。
よく、冒険家が何かを成し遂げるために、命を張ってチャレンジしてますね。常に危険と隣り合わせ。
では、彼らは『命は大切にしていない』のでしょうか?
いや、彼らだって、命は大事だし、それを粗末には扱っていないはずです。
また、こんな台風などの大災害があっても、自衛隊、消防、警察…そういった機関は、市民の生活を守るために、命を張って行動している。
そんな彼らは『命を大切にしていない』のでしょうか?
いや、彼らも、国民の命と同様に、自分自身の命も大切にしているはずです。
つまるところ
『命を大切にする』
っていうのは、その人が、自分の使命を全うしているかどうかということだと思うのです。
それは決して、危険を回避することばかりではありません。
私は、『命を大切にする』というのは、生きながらえること…ではないような気がしています。
命を大切にするというのは、限られた有限の時間というものを精いっぱい自分と他人のために使い切ること…ではないかと思っています。
そういうふうに定義すれば、冒険家が自分の命を顧みずに未踏の地に登ることや、家族と離れ、任務を遂行する公的な機関の活躍とかが説明できます。
もし、明日生きながらえることよりも、今日を精いっぱいやって明日死ぬんだったら、もしかしたら、そのほうが、命を大切にしたということになるかもしれません。
昨今、『あれが危ない、これが危ない』を連発し、いろんな活動に制限がかかるようになっています。
そして、やれ責任がああじゃー、こうじゃー、って自分自身がとらなくてはならないリスクを他人になすりつけているようにも思います。
そうやって、人生や世の中がどんどんつまらなくなってくる。
単に一日一日が過ぎていくことは、決して『命を大切にする』ということにはつながらない。
おそらく、多くの交通機関がストップになり、今日も窮屈な一日になるのでしょう。
そんな今日ですから、今一度、自分の命を使い切るということがどういうことなのかということにじっくりむきあってみるのもいいんじゃないでしょうか…。